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敬語という、アクリル板のようなもの。

人は、生きていれば、自分が好意を持つ人とそうでない人に出くわす。子どもの頃や学校生活では、そういう人と出会えば、話さないようにすればよい。そう、その苦手な相手から距離を置けばよいのだ。

でも、社会人となるとそうもいかない。1人や2人、苦手な人と一緒に仕事をしなくてはいけない経験は、誰もが経験しているのではないかと思う。それがイヤで、仕事を辞めてしまう人もいるだろう。仕事を辞めようと悩んでいる人の多くは、人間関係のような気もする。

今の仕事場に、私のとても苦手な男性、Fがいる。たぶん私が経験した中で最強に苦手な人だ。何が苦手かというと、これまで何人も雇い、仕事を辞めている原因がFにあるからだ。忙しい春先、Fの仕事を手伝ってもらうために、いつも最低1人は他の男性を雇おうとする。だが誰もが、1年位経つと、Fとすごい口論になり、辞めていく。

何か気に入らないことがあると、すぐキレてしまうF。これが40代なのだろうかと思うくらい、他人と仕事をすることが苦手だ。少しの冗談が受け入れられない、今までどうやって生きてきたのかと思うくらい、仕事をしてもらって感謝する、という気持ちが見えない。…というか、私にはそう見える。

Fは、気の許した人としか会話をしない。この職場に入った頃、朝ちゃんと来ているが何をしたいんだ?とパワハラめいた事を言われて、頭を下げろと言われてから、意図的に近寄らないようにしている。それ以来、挨拶すらしなくなった。

Fは、1人なら仕事はちゃんとするし、一応成果も出している。普段は穏やかで、少し頭の回転が遅い人なだけのような気もする。だから、この現場に来て思った。「仕事」と「仕事での人間関係」は別々に考えるようにしよう、と。

あれから、3年経った今、私とFは違う仕事をしている。まったく会話をしなくて済む。それが、今年の春、突然Fから仕事を言いつけられることになった。

それを別の人から聞いて、私は緊張した。まず、どう接すればよいのだろうか。普段から近くですれ違っているが、会話をしたことない。私も怒られないだろうか、とかマイナスな事ばかりが頭をよぎった。

でも、考えていても仕方がない。仕事は仕事、人間は人間。別々に考えるし、今までも多少なり苦手な人とやってきたではないか、と自分に言い聞かせる。

それで、説明を聞く。そんなに難しい仕事ではなかった。ただ、原料を一定量に計り、袋に入れるだけである。でも、どうしても質問せざるを得ないことが起こって、恐るおそる、質問をしてみる。

「これを入れる袋、何色にしますか?」

4種類の色がついている袋があり、どれに入れるかは、たぶんFしか知らないし、違った袋に入れると、ほかの原料と間違えるからだ。こんな単純なことを尋ねるだけで、すごく緊張した。でも、社会人をある程度他のところでやってきたお陰もあり、表面上はすごく冷静に乗り切れたと思う。入った頃のトラウマがあったから、きっと罵声でも浴びせかけられるかもしれない、ちょっと思ったのだが、Fからはこう返ってきた。

「…うーん、そうですね、緑色の袋でお願いします。」

ま、まさかの敬語。田舎の方言が染みついていて、いつも気の許す人とは、ちょっと砕けた方言で話しているのに。だいぶ表紙抜けした。

この人、ちゃんと敬語使えるんだ。

それから、他の仕事も教えてもらうことになった。私が、敬語で質問をしたら、ちゃんと敬語で応答がある。少しミスしたことがあり、怒られるかなと思ったが、「次からでいいですから、コレでお願いします。」と言われただけだった。

◇◇◇

20代の頃、敬語を使うのは単なる礼儀で、よそよそしい言葉だと思っていた。敬語を話すことも、聞くことも、体に染みついておらず、違和感があった。しかし、30代後半になった今、人と接する時は、敬語を使うくらいの距離感があった方が心地よいと感じている。

私は、Fが仕事をお願いしてきたら、今後も手伝うが、それ以上はは踏み込まないと思う。でも、敬語というアクリル板のようなものが、お互いを「ちょうどよい距離」にしてくれているのかもしれない。

Fのことを知って10年経つが、全く本性を知らない。でも、それでいい。「ちょうどよい距離感」をずっと保てるように、これからも仕事ができればと思う。

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