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子どもに「なんで勉強しなければいけないのか?」と聞かれたら

子どもが常日頃思っていることであろうことが、
「なぜ勉強をしなければならないのか?」ということ。

まず、前提に言っておくと、個人的には「勉強」という言葉が好きではない。
「強いて勉める」という強制力を帯びた状況を想定している言葉だけに、
「イヤイヤやらされるもの」というイメージがついて回る。

そして「イヤイヤやらされるもの」だからこそ、「なぜ勉強をしなければならないのか?」という疑問がついて回る。

つまり、「なぜ勉強をしなければならないのか?」の裏には、
「なぜイヤでも勉強しなければならないの?」という強迫観念めいたものが存在しているということになる。

だから、まず最初に「イヤイヤやらされるもの」という状況から抜ける必要があるように思う。

昔、よくいたような気がするが、
テストの成績が良い子に「どれくらい勉強しているの?」と聞くと、
「え、全然勉強してないよ〜」という答えが返ってきたりする。
これに対しては「いやそんなことねえだろ」という邪推に駆られるが、今思うと「確かにそうだよな」と思わなくはない。

彼らは「勉強」はしていなかったのかもしれない。
事実としてあるのは、
「学習に対するモチベーションを作ることができた」
ということ。

これを達成したらXXがもらえるなどのインセンティブはあったかもしれないが、
いずれにせよある程度の高得点を狙うまでのモチベーションを高めたのは事実。
「やる」ということに腹を括った事実だけは確実に存在する。

実はもうそれさえ出来てしまえばあとはどうにでもなると思う。
あとは手段の世界であるから。

私は実は最初に就職した仕事が「塾講師」だったのだが、
そこに入ってきたコンサルの人が言ってたことで数少ない覚えている言葉で、
「勉強を教えるんじゃなくて机を教えろ」
いうのがある。
表面だけ見ると、よくわからない言葉だが、今思うと上記した
「やる」ということに腹を括るということに対する「きっかけを作れ」ということを言いたかったのではないかと思う。
どういう意図だったかの真偽はもう分からないのだけれども、このように解釈すると個人的にはしっくりくる。

以上のことを整理して、
改めて「なぜ勉強をしなければならないのか?」ということに立ち返ると、
この質問をすることに、
「自分のモチベーションを定義出来ていない」という状況であることが伺える。

ブランドンヒルさんのTwitterで面白い内容が記載されていたので引用したい。

本田宗一郎さんににあったのも、
「出来るか出来ないかではなく、やりたいからやると決めた」
それだけである。

つまり、重要なのは、
「自分自身でやると決めるに足るものなのかを考えること」
ではないかと思う。
その選択は自分で決める必要がある。
(私個人としてはその判断は親が決めるものではなく、あくまで手助けをするまでであると考えている)
その答えに至れれば、「なぜ勉強をしなければならないのか?」という質問は出てこないように思う。

その答えは何だっていい。
面白くないから、つまらないから、興味がないからで結構。
もちろんその逆でも良い。

なので、本題に対する私自身の解答として、もし「なぜ勉強をしなければならないのか?」と子どもに問われたら、
「子どものモチベーションの源泉を確認すること」
というのが一つの解ではないかと思う。
それを見つめ直した上で、自分のやりたいこと、やりたくないことを決める手助けとなるアドバイスを親が行えばいい。
(そこで「頭が悪くなったら将来どうするの!! 将来ご飯食べていけないでしょ!!!」なんてことは間違っても言わない)

最後に一つ、今回参考にしたのが、
齋藤孝さんのこの本。

https://www.amazon.co.jp/本当の「頭のよさ」ってなんだろう-勉強と人生に役立つ、一生使える-ものの考え方-齋藤-孝/dp/4416619324

この本で、「頭の良さ」について定義した内容はすごく腑に落ちた。

「頭の良さの根底には情熱がある。だから10代のうちは心に火をつける、情熱を掻き立てるクセをつけておくことが重要。

確かに、10代はいろんなことに情熱を傾け、チャレンジするうってつけの時期。

だから、それを通して、
自分でやりたいこと、出来ることを主体的に判断していくことこそ、
頭の良さではないか。」

なるほどなと思う。
結局大事なのは、やはり
「自分自身の心にケリをつけられるようになること」
これが出来れば勉強なんて何も怖くない。
自分で決めていく勇気と覚悟があればそれだけでOKさ。

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