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初めまして、母子家庭出身留学生カズキンです。僕の人生を全て綴りました。これを全て読み終えたあなたは変人です。

プロローグ


初めまして。カズキン@kazukin_vlog】です。

まず初めに貴重なあなたのお時間を使って、来てくださったあなたに感謝です。本当にお忙しい中、足を運んでいただきありがとうございます。


今回、人生初めてのノートに挑戦。

何か少しでも皆さん1人1人に何か価値を感じてもらえたり、何かの行動に繋がるキッカケになれれば幸いです。


突然ですが、僕には大きな理念があります。


”人々の人生にキッカケを与える" = ”人生の選択肢を増やす”


・個人個人が自分の才能、そして情が持てるものを発見し
・その才能を発揮し、世の中に価値を生み出し
・笑顔が溢れる世界(人の目を気にせず、自分を貫ける世界)

そして、革新的な新しい価値を世の中へ与えられる世界を創りたい。
といった大きな理念があります。

その理由は自分自身が受験失敗とアメリカ人の留学生をキッカケに留学というものと出会い、それを通じて様々な人と出会い、学ばせてもらった事で自分の知らない世界を知りました。

日本での当たり前が外の世界では当たり前ではない。
自動販売機があること、24時間開いているコンビニがあること、屋根のある家があること、働けること、これらはあくまで日本での当たり前であるだけなんです。

まだまだ世の中には知らない世界だらけです。
それに気づくと、小さなことまで心から感謝できるようになります。

たくさん知って、学んで、感じて、経験して人生を積み上げて成長してほしい。
また必要とする人に経験を情報を届けたい。

だからワクワクするんです。

本当に多くのものが”知っているか””知っていないか”だと思っていて、それを知るキッカケを創れる人になりたいからです。

キッカケを作り、実際に行動プランまで落とし込めるのが理想です。


ではそれをどうやって?

僕が描いている世界は簡単にいうと学生から社会人、日本人から世界中の人々が関わりあえ、出会い、お互いが教えあえる、何かのキッカケを創造できるプラットフォームの創造です。

人生何が起こるか分からないので必ずしも〇〇でとは言い切れませんが1つだけ言い切れることがあります。

それは海外経験を積むことで可能性は一気に拡大する。という事です。

僕の場合は留学という手段で凄く物事の考え方、捉え方が海外で違う文化、違う価値観、違う言語の環境で過ごしていく中で凄く変わっていきました。


キーワードは

英語×海外留学×フィットネス×健康×コミュニティ×投資×サステナビリティ×多様性×地域活性×プロモーター×〇〇... etc...

と日に日に増えていっています。(笑)

将来はご縁があった皆さんと同じ同志の方々と新しい価値を作って行きたいと考えています。

今まで様々な事に挑戦し、失敗をしてきた経験から何か皆さんに伝えられる物があれば光栄です。

今回のノートも理念達成の為の1つのステップです。

今回ノートを書いた理由は3つ。

純粋に僕を知ってもらいたい。

・今コロナで動きが取れないかなで自分のやりたいことがわからない人、今の自分に何か違和感を感じている人、留学に興味がある人、普通に違和感を感じる人、何か挑戦したい人けど何をしたらいいか分からない人、特に片親の過程で金銭的無問題で行動ができていない人に自分の経験を全て話すことで何かのキッカケを見つけて欲しい。

・僕の船(理念達成に向けて)に乗ってくれる仲間、同じ志を分かち合える同志と出逢いたい。

3つです。

本気で真剣に伝えたい事全てを書いたので、最後まで読んでいただけると光栄です。(最後まで読めたあなたは変人です)。

最後に僕で良ければ相談に乗るので、気軽に連絡して下さいね!

自己紹介

改めて初めまして、中江和喜(ナカエカズキ)と申します。

今はアメリカのアリゾナ州にあるグランドキャニオン大学に通う4年生です。

専攻はホスピタリティマネジメント副専攻は起業学を専攻しています。

InstagramとTwitterとYoutubeで留学前に知っておきたかったことを初め、留学で経験を通して学んだ事や自分自身の経験から留学前に知っていたらよかったなともう事を軸に発信しています。

少しでも興味ある方は是非フォローしてください。

必ず、何かのキッカケ発見があると思います。

Youtube  チャンネル名【Kazukin Vlog・カズキンブログ】

Instagram

Twitter 

Stand FM ”5分で学べるカズキン大学”


まず、なんでカズキンなの?と聞かれるのでお話するとアメリカで名簿の名前はファーストネーム、そしてラストネームで書かれます。

つまり、僕の名前はこうKazuki. Nと書かれるわけです。
もうお分かりですね?カズキンです(笑)
というウォームアップは置いておき、自己紹介に入ります。

大阪生まれ大阪育ちの今年で25歳になります。
日本では祖父と祖母、母、父と暮らしています。
二人兄弟の兄です。
昔は犬猿の中で、弟との口数は少なかったです。

よく比較され、弟の方が断然イケメンやわ
っと言われてきました。

性格はほぼほぼ真逆です。(笑)
彼もスポーツ全般にやってきたので、運動神経はよく。

クリケットという日本ではマイナーなスポーツですが、世界ではとても有名なスポーツをやっており。
日本代表に選ばれたりなど、実績を残しています。

また家業である靴下で自分のブランド”MITSUKI”を出したり
彼なりに色々やっているので、よければフォローしてやってください。
▶️Instagram 

小さい頃から様々な事をさせてもらってきました。

・相撲
・空手
・水泳
・公式ドッジボール
・野球
・バスケットボール
・そろばん                                ETC...

といった感じでスポーツばかりの少年時代でした。

わんぱく相撲
では2位になったり。

そろばんでは準2級をとったり。

といったこともあり、地元も凄く田舎なのでよくみんなで川遊びやBBQ、ハイキングなど行っていたこともあり、凄くアウトドアが大好きで人懐っこい性格です。

今こそアメリカや日本以外の国での経験を経て価値観、考え方が変わってきましたが、本当に小さい頃は運動好きで、ゲームして、虫取りして、ザリガニ釣りして、っていう。

田舎のわんぱく小僧でした。

ただ僕には昔から喘息という重りがあって、冬になると気管が狭くなり呼吸混乱になる時があります。

でも、無理やり走って、体力をつけて、無理やり直しました。
今でも寒くなると時々苦しくなる時もあります。

それが原因で今アメリカのネバダ州を経てアリゾナ州という砂漠地域にいるのかもしれません。(笑)

趣味は

・筋トレ
・スポーツ観戦。(NBA, プロ野球, etc) 
・アウトドア
・読書、ヨガ、
・人と夢を語ること
・色んな生き方をしている方とお話しする事

好きな色は赤色。

好きな食べ物は母の手料理。オムライス、焼肉(タン)、すき焼き、

好きなフルーツはパイナップル

好きな言葉は"No Pain No Gain" &”自利利他”

筋トレ好きな方は知っておられるかもしれませんが

そのまま訳すと"痛みなくして得るものなし"

という意味ですが、僕はそれ以上に深い言葉だなと感じています。

痛みを知っているからこそ相手を許せる

痛みを知っているからこそ相手を知れる

英語も他のスキルもビジネスもなんでもそうで、楽して手に入れれるものは無い。

むしろ、楽するより、挑戦的な事をした方が絶対に人生ワクワクする。

気持ちを話せば長くなるので、省略しますがそんな感じです。

※実はインスタグラムの@kazukin_npngのnpngは実はここから来てます。

といった感じの人間です。

よろしくお願い致します。

※追加でもう一つ、僕の心に刺さった言葉を紹介します。


身体は食べた物

心は聞いた言葉

未来は話した言葉

でできている。


本当にそうだなと共感しました。

これを読んでくださった皆さんにも是非知ってほしいです!



僕の人生と留学のきっかけ


僕が生まれる前、家族がアメリカ人の留学生をホストしていました。

それから凄く仲良くなり、おじいちゃん、おばあちゃんは彼の結婚式でアメリカにいくほど深い絆がありました。

そして、彼は日本への旅行ツアーガイドになり日本へ来ることも多くなりました。

僕が小学生の時、彼が率いるアメリカ人だけのツアーの一部にお邪魔しました。

それが僕が人生で初めてアメリカ人と対面した時でした。

ほとんど英語が話せない僕に、笑顔で何度も話してくれるんです。

彼らのフレンドリーさ、寛大さに凄く魅了されて、

英語を学びたいというよりかは”コミュニケーションを取りたい。”

そう思うようになりました。

それから地元の公立小学校卒業後、地元の中学に進学。

そこで元々は野球部に入る予定でしたが気づいた時にはバスケットボール部でした。

中学ではバスケットボールに励み、ザ 部活!といった中学生活でした。

そこで出会ったのがESLのカナダからの英語のピーター先生

彼は以前バスケットボールの選手を目指した事もあり、本当に上手かったです。

毎日、お昼休みに職員室へ呼びに行って拙い英語で

"Hey, Let's play" 

とかいってバスケットボールを彼とほぼ毎日していました。

今思うと良く、相手してくれたな〜と感謝です。

もちろんボコボコにされました(笑)

そして、何よりすごいのが昨年の夏、

このピーター先生と中学校卒業ぶりに出会うことができたんです。

ちなみにその時の動画がこちら

https://www.youtube.com/watch?v=xzOfC9bl8MM

動画でもいってくれてますが、卒業式に僕は彼に

”英語話せるようになるから待っててな!”

って言い切って卒業して、まさか本当に英語で話してこう出会えると思ってなかった。って。

今はもう先生じゃ無いから、ピーターにしてって。

本当に彼には感謝です。

そして、英語の源になったのがピーター先生に加えて

担任の英語の先生でした。

オーバーワークでもお金が出ないのにも関わらず毎週放課後に残って英語を教えてくれました。

その先生の勧めで英検にも挑戦し受かることができました。

その先生のおかげ英語をがんばれたといっても過言ではありません。

本当に先生ってすごく学生にとって人生のインフルエンサーだと思います。

田中先生が担任でなければ今の僕はいなかったのかもしれません。

その当時から母子家庭なので、できるだけ出費を控えようとしていた僕は高校受験時のスベリ止めという概念が分からず、公立高校の国際教養学部を目指していました。

でもその先生が滑り止めの高校を選んでくれ、

”ここだけは受けときなさい”

と言われて、凄くお世話になった先生だったのでその高校を受験する事に。

それからいままで塾に通ったことのなかった僕はその夏から受験までの半年初めて母の知り合いから知った"寺子屋”という他と比べれば格安の塾に通わせてもらう事に。

毎日、自転車で通いました。

その結果、私立は合格。

そして、公立高校の合格発表

”絶対に受かってるでお母さん!!!”

と一緒に発表を見にいき。

見ておいでと1人車から降りて出して、結果を見にいきました。

今でもあの瞬間は覚えています。

何度も何度も見返しました。

なぜならテストを感覚は凄くよかったからです。

でもどれだけ粘っても僕の三桁の数字は出てこない。

そして、大泣きして母の待つ車に戻った事を覚えています。

泣き崩れて、母には本当に申し訳なかったです。

”お母さん、もう働くわ。ごめんな。”

って

でも母は

”そんなんしゃあないやん。次やろ。”

って

そのまま私立の入学式へ。足を運びました。

そこでまず目にしたのは入学金での数十万円の札束

自分の受験失敗のせいで、そのお金を失ったと思うと凄く申し訳なかった

それに会場はみんな受験に失敗した人の集まりで、雰囲気は本当に悪かった。

幸いな事に地元の中学校からの親友がそこに決まっていたので、まだモチベーションはありました。

その高校に入ってからは勉強の毎日。

進学校という事もあり、土曜日も学校がある。

勉強勉強勉強。

高校1年生の時、模試がよく高校2年生の頃から公立のクラスへ上げてもらえた。

でも中学と同様、高校も”ザ・部活&勉強”といった生活。

でも、なかなか高校1年生で練習には参加できず、

どうしても練習したかったので

顧問の先生に頼み、朝練を開始。朝6時ぐらいからしていました。

それもあり、母には朝早くからお弁当を頼まないといけず。

今思うとよくずっと二人とも朝練がある中で、よく会社を経営しながら家事もして、お弁当も作り続けてくれたな。と感謝しかないです。

そして、高校2年生の夏からはバスケットボールの部長に任命され、また応援団長としても体育祭を盛り上げていました。

ただ、英語とはかけ離れた世界でアウトプットする場も話す相手もおらず

昔の英語に対する情は自然と消えていきました。

ある日の練習試合で膝を剥離骨折

リハビリの毎日が始まります。

それから凄く退屈な毎日。

母にも送り迎えを毎日頼まないといけない。

部活のメニューも顧問の先生がこない時はほとんどマネジメントしていました。練習メニューも各大学を見に行って真似したりしてました。

なので凄くチームから疎遠した感じもなりましたし、復帰時には全く体がついていけず、引退試合にはスターティングメンバーからも外され、1番夢中になったバスケットボールは苦い思い出になりました

そして、高校3年生の夏。

僕は人生で初めてどん底に陥ります。

進学校という事もあり、運転免許、そしてアルバイトも禁止されている厳しい高校でした。

ですが僕にはそんな事を守っている余裕はなく、練習後には働いては自分の生活費は自分で稼いでいました。

その中で当時の彼女を事故に合わせてしまいます。

大事には至らず、大丈夫だったものの。

初めて人が意識を失った状況に直面しました。

それから人生で初めて、あのドラマでよく見る警察署入り。

そう、尋問です。

彼女はクラスでもトップに入るエリートなので、学校側もとても期待している方でした。

僕は学校から2週間の停学を受け、毎日反省文を書くことに。

そして、学年の先生が毎日、日替わりで来てお説教。

”こんなことするやつとは思わんかったぞ”

”お前にはガッカリや”

それからメンタルがやられて、何も食べれず、吐き気が毎日僕を襲い

気づけば母に

”僕はうつ病だ”

と訴え続けており、母は大丈夫というものの

あまりにも僕がいうものだからと人生初の精神外科へ。

結果はショックからの激しい思い込みで、うつ病ではなかった。

それ以上に相手側も母子家庭だったので、相手のお母さんにも本当に申し訳なかった。

高校に戻った時には噂は回っていて、みんなからの視線が痛かった。

色んな先生からの目線も怖かった。

ある生徒からは

”お前人殺しやな”

”やらかしてるやん”

”くそやな”

居場所がなくなった

初めて、不登校になりたい。って思った。

とどめは卒業式。

キャプテンの表彰からさえも消される。

今まで一番魂を燃やして、チームの為に積み重ねてきたものが一気に崩壊した感覚だった。

最後までセンター試験、8教科本気で勉強するも結果は目標大学の点数には及ばず。

高校受験で失敗し、それを大学で挽回してやる

という思いは実らず。

もう自分は価値のない、何も才能の無い人間なんだって思うように。

でもそこで昔のアメリカ人の留学生の話を聞き、アメリカの選択肢を知る。

最後まで粘るということで沖縄の国公立の大学を目指していたがその人に

"Why do you wanna go to college?" 

なんで大学行くの?

と聞かれ、自分で答えれなかった。

なぜなら答えは 

"because my teacher told me to go to that college" 

先生達が目指せって言うから。

だった。

今だからこそ思う。

学校もあくまでビジネス。

実績での集客が全てだった。

京都大学、大阪大学、神戸大学に行くんだ!!!

何を理由でそう言い切れるんだろう。

誰も生徒さん個人個人のやりたいこと、なんて聞かない。

個人個人の良さをみない。

ただ業績と言う数字を達成する為

まるで、ロボットのように。

ずっと模試を受けさせられるも、ある選択肢は国内のみ。

きっと、世界の大学がこの選択肢にあればもっと多くの人が海外に踏み出しているだろうなと思う。

なぜしないか?

そんなの決まってる。

ビジネス。

ただでさえ少子化の現代に置いて学校の定員割れをしている中で生徒の確保が難しくなってきいるからだろう。

だからこそ僕は教育にも関わっていきたい

もっと『海外の選択肢があること』を知ってもらえるように影響力を付けたい。

さらに、コスパのいい選択肢を提供したい

一人一人に最適な留学を選んで欲しい

留学=アメリカっていうイメージがありますが、他にも良い留学先はありますので、それを知ってもらえる”キッカケ”になれればなと。

第一次情報を意識して色んな留学をYoutubeにて提供しています。

そこで僕は大学生の先輩方に大学生活について聞いた。

なぜならそれが僕の3年、4年後だからです。

そして、答えは遊んで、働いて、サークルだらけの毎日。

誰も勉強していないし、キラキラしていなかった


ある尊敬していた先輩も有名な大学に行ってるにも関わらず、

”いかん方がいいで”って。

衝撃でした。。。

何の為の高校3年間だったんだと思ってしまいました。


そこで感じたのは、なぜ親にお金を払わせてまで遊べるんだろう。って

それらを聞いた事で

日本の大学に借金してまで行く価値が感じられなかった。


どこの大学に行くにしろ奨学金と言うなの借金を背負わなければならなかった。

どうせ借金するならスキルを身に付けたい。

でも何がしたいかわからなかった。

日本の大学生さんはすごいと思う。

だって、高校生で4年間学ぶ分野を決めれるんだもの

すごく尊敬します。

そこで昔の思い出がふと蘇る。

英語だ。

英語を学びたい。

アメリカ人と話したい。

ピーター先生と話したい。

そして、自分が情を持てるもの、好きな事を発見したい

アメリカの大学では基本1、2年でリベラルアーツで好きな事を学び3年4年で自分の専門分野に入っていく

それがアメリカの大学に決めた理由です

※できるだけ目標はしっかり定めたほうがいいです!

(僕はあまり良い例じゃないかもです)

僕の場合は受験失敗とアメリカ人生徒さんがたまたま家に滞在したから、この選択肢と出会えました。

でも僕と同じ高校から海外にでた人はいない

だからこそ情報も無かったし、反対されたんだと思う

本当に環境で変わる。

だから

知らない→知る→わかる

にして、もっと多くの選択肢、きっかけを与えたい。


人生で一番キツかったNICでの1年間


アメリカ進学を決めたのはいいものの

アメリカにそのまま行ける英語力もない。

そこで見つけたのが"NIC"と言う東京と大阪にある語学学校でした。

NICについてはこちら

大阪か東京か迷った方にはこちら

推薦書が必要であれば、お気軽にご連絡ください!


最後の沖縄の大学の願書を下げ、その学校の受験を決意


結果は合格

そして

そこに1年間通ってからアメリカに来ることになります。

ここでの1年間は今までで1番濃い1年間でした。

それは消して楽なものではなかった

でも本当に”ハードBUT楽しい”の1年間

・毎日4〜7時間かかる宿題。

・通勤ラッシュで毎朝パンパンの電車。

・ほとんど留学経験のあるクラスメイト達との授業。

英語レベル別にクラス分けされますが、面接で情熱を期待された僕はなんとか上から2番目のクラスに入ることができました。

でも毎日英語のニュースの宿題が中々聞き取れない。

ディスカッションも僕の質問レベルが低すぎて、スキップされたり。

時は悔しすぎて、帰りの電車で泣きながらニュースを聞いてて他の人にドン引きされたり。

でも全然苦じゃなかった。

みんなキラキラしてるし、個性的。

とにかく環境が良かった

この学校での仲間は今でも深くつながっているし、今も世界中で活躍している。

この学校でまた初めて学生会に立候補して最初は副会長として学校のイベントなどを企画したりと盛り上げた。

オープンキャンパスの体験授業ではトップクラスの優秀な生徒さんと僕がメンターでするのだが、それがまたすごくプレッシャーだった。

先生も僕の能力が見せれるほどではなかったのは気づいていたし、できるだけ当てないでいてくれるのも伝わった。

安心感と共に悔しかった。なぜなら、理解できていない時もあったから。

それからは足を引っ張らないように先生に先に聞きに行って用語とかも全て調べて準備満タンで望むようにした。

そのおかげで自信がつき、最後の学期ではチューターを楽しんでいました。

それでも学期が終わったところで僕のGPAは1.75. 

驚異的に悪いです。

中々スピーキングで思うことが話せなかったので何回もパンクしました。

と言う事でその当時、ホテルで働いて貯めたお金でフィリピン留学にいきました。

そして、フィリピン留学を経て夏のスピーチでは先生に褒められやっとのことで自分に自信が付き、授業についていく事ができるようになりました。

そして、なんとか卒業します。

最初はGPAが1.75だった僕がなんとGPA最終2.75で卒業できました。

消して良い数字ではないですが、自己成長が感じられたのでそれが大きいです。

ですが、最後の最後に謎の病気にかかり、皆勤賞を逃してしまいます。。。

人生初めての入院。

それでも、卒業式はなんとか出席し。

ステージでは歌も歌いました。(笑)

2次会は病院の許可が降りず、いけませんでしたが凄く良い時間を過ごせました。

また、茶道部を結成し作動を校長先生から学んだり

卒業生の心理カウンセラーさんのサービスを受けたり

地域貢献のボランティア活動だったり

CM撮影で出させてもらったり

学校のパンフレットに自分の記事を載せてもらえたり

一気に田舎の行動範囲が狭かった世界から

都会に出て、様々な経験をさせてもらいました。

ここで思考力、忍耐力、継続力、想像力、コミュニケーション力

そして自分への自信が身につきました。

また、世界中で活躍する先輩をみて、留学で人生を変えられる可能性にワクワクさせられた1年でした。


フィリピン留学での経験


フィリピン留学の魅力を少しお伝えすると

・コスパが良い

・時差がたったの1時間

・マンツーマン授業

・洗濯してもらえて、ご飯もでる

・ジムもある

・リゾートエリアが盛り沢山

他にもありますが僕の経験上この辺りがすごく良かったなと思います。


これだけでなく、僕が実際に体験した3つの事


1. 女性に誘拐され、脅される

当時学校の同期入学メンバーとショッピングモールいきました。

その当時なぜか500円玉をたくさん持ってきていて、

お金の交換をできない事を当時は知りませんでした。

買い物ができないと気づいた僕は外で1人でみんなを待っていました。すると1人の女性が話しかけてきて僕は英語の良い練習場と考え話してました。

学校できていたのでもちろんそのモールからで出てはいけないのでそれをその方にお伝えると

Okat. Let's just walk around here. 

わかったわ。じゃこの辺で話すだけね

と理解してくれたと思いきや手を引かれて人気の少ない公園の裏に連れて行かれました。

そこで、金を出すように脅されて、後ろにはその人の仲間が銃を構えて待ってるから逃げるなよ。

と。本気で人生終わった。。。

って思いました。

幸運なことにポケットにたくさんの10円玉、100円玉が入っていて、それを拙い英語ですごく価値があると伝え、放り投げて、それを拾ってる間に本気で逃げました。

そして、戻ると韓国人の方が警察を読んでいてくれました。

そこでビンタをもらい、日本人は平和慣れしすぎだ。と。


2. ゲイの先生に無理やりキスされる。

学校の最終日、門限がある学校にも関わらず夜に先生に呼び出されてまず酒屋へ。そして、たくさんのビールを飲まされました。お酒にもあまり強くないので、途中で何かおかしいなと感じた僕は飲むふりをして、たらし落としていました。

そして、その後クラブへ行き手を繋がれたまま離さず、最終的には無理やりキスされました。そして、酔っている勢いかもしれませんがFacebookを無理やり交換され、

You are my honey, you shoul not make a girl friend

これのパートナーだから彼女つくるなよ

今でもあの時の恐怖は忘れません。


3. 子供にお金を要求される

ある島に旅行に行った時でした。トイレをするにもお金が必要。

ホテルもお湯もでず。そして、その村の小さな子供達にずっとお金を請求され可哀想だったので少し気持ちほどでしたがシェアしました。

それもそのはず、その島のお金を稼ぐ方法は観光客からしかないのです。

以上3つの経験から


本当にどれだけ日本が恵まれているのか

日本の当たり前は当たり前じゃない

そして、どれだけ飢餓で苦しんでいる人々が世界にいるのかと言う事をフィリピン留学を通して学びました。


英語ももちろんそうですがそれ以上に学んだものがありました。

ちなみにセブ留学の行った記録はこちらです。

https://www.cebu21.jp/bbs/board.php?board=kkkforum&command=body&no=946


アメリカ留学(ネバダ州)


そして2016年6月1日。アメリカに飛び立ちます。


TOEFLを必要最低限取ったものの、アメリカの大学に必要な点数まで達していなく、アメリカで夏の間だけ語学学校に通います。


ただ、その費用がアカデミックではなく奨学金を借りれる多少ではなく祖父にお願いして借りないといけませんでした。


そうです、また自分の学力の足りなさで余分なお金をかけてしまいました。


ただそこでの経験は凄く価値の高いモノでした。


世界からきている交換留学生の友達ができ


自然豊かな地で色々なアクティビティーを経験し


ジムや図書館などの4年生大学の施設の利用ができ


ムービーナイトなどの様々なイベントにも参加でき


ルームメイトもアメリカの大学生ととても整った環境でした。


1つアメリカの大学にTOEFLなしで上がれる手段としては語学学校から推薦状をもらう事です。


それができなければまた、余分なお金がかかるんので多い課題にも本気で取り組み、チューターに何度も通い、ルームメイトにも添削をお願いして万全の状態でスコアをキープしていました。


もちろん、先生とのオフィスアワーも絶やさず積極的にお願いしていました。


そして、なんとか推薦状をもらう事ができコミュニティーカレッジへ通う事に。


ラスベガスで観光学を学ぶ予定がお金の証明問題があり、その大学にいけずそのままネバダにステイする事に。



アメリカ留学の目的は自分のしたい事を探す事だったので



専攻もリベラルアーツにし様々なクラスを試してみました。


バスケットボールが好きだったので、アスレチックトレーナーを目指したかったのですが、解剖学が必須です。

また、アメリカは本物の人間の死体を扱うので僕にはそれが耐えられませんでした。


その後


コミュニケーションやダンス。

歴史やワークアウトのクラス。

ミュージックにビジネス。

そして

フィールドトリップ付きの地学まで取りました。


ちなみに地学はエンジニア専用のクラスで超難しくて

D+を取ってしまいました。

でも僕は最後までやる事に意味がると信じていたのでドロップはしませんでした。


仕事の面では言葉が上手く話せなかったので、まず言葉のいらないマスコットを始めます。

地元の高校にプロモーションで行ったり

時にはプロサッカーの試合でコイントスをしたり

野球の試合で観客を盛り上げたり

凄く貴重な経験をしました。


そして、2年目には学生会に立候補してみました。


選挙が終わった後の、1つの余った副会長ポジションをアメリカ人の方と競い合いました。


人生初めての圧迫面接のようなアウェイな雰囲気


8対1。


そこで聞かれた質問がネバダ州の政治についてで、


たまたまその時にPolitic Science を取っていたので少し知識はあったものの 


いくつかの問題は全くわからず、選ばれることはありませんでした。


その後学校のメインの部署でお仕事をいただき

電話対応、

ゲストサービス

テスターのチェックイン

イベント設営

ID制作

そして、学校ツアーまでも任されるようになりました。


そして、僕がいたネバダ州のリノにはテスラのギガファクトリーがあり、日本人の労働者さんも増えてきました。


そこで、日本の方に存分にアメリカを楽しんでもらうべく

ネバダのレストランや家族で遊べる所などの情報発信をYoutubeで始めます。


また、他の理由としては家族、特におじいちゃん、おばあちゃんに見せたかったのと、来ることのできない人に少しでもリアルを届けれたらなと思い全く編集スキルもないままやっていました。


そして、卒業後お金の都合上、帰国予定でしたが自分の能力、英語、経験に納得がいっていませんでした。


そこで、日本ではできないことをしたいなと考えたすえ

カジノが頭に浮かび、CPTを使いカジノでインターンをしながら

編入する為に奨学金と一緒に貯金をはじめました。


ディーラーをやってみたかったんですが、専門学校での資格が必要だったのでお金の都合上厳しく、ホテル側でのインターンをしました。


ネームタグにはJAPANと書かれいるので、珍しいのか色んな方に声をかけていただき、サンフランシスコから来られる方も多く、日本語の需要があるみたいで人材を紹介してくれと何枚ビジネスカードをいただきました。


また、日系のゲストの方がいらっしゃり、どら焼きなどの日本の物をいつも分けてくださりました。


意外に”こんにちわ”や”ありがとう”といってくれる人多く


日本人でよかったなって改めて思いました。


Ceasersのプロパティーでコネクションが必要な方は、繋げるので気軽に声をかけてください。


アメリカ留学(アリゾナ州)


そして、2019年からアリゾナにうつりました。


現在在籍しているグランドキャニオン大学です。


この大学に移った理由は3つあります。


1. 授業料

・GPAからの奨学金

・Honor Society からの奨学金

・そして、学生会からの奨学金

・デューデリジェンスピッチの奨学金の機会

などの奨学金のチャンスがあり

ミールプラン、家賃(一番安い)込みで

でセメスターで90万ほどでした。

それでも高いですが。。。


2.アカデミック

専攻がホスピタリティーマネジメントなんですが基本アメリカでは学校外で働くことはできません。ですが、この大学はホテルを所有しており車が無い僕としてはいい機会でした。

この大学はビジネスも有名でコランジェロサンという元アメリカバスケ代表の監督が立ち上げた学校で、ミュージアムもあります。

そして、昨年からイノベーションセンターと言うところがあり、エンジェル投資家のグループもあり、その投資家の人へのデューデリジェンスの機会などがあり、スタートアップの会社も20企業ほど入っていて、学生が働けるいい環境があります。

また、私立大学で交換留学生がおらず(日本人も少ない)寂しいですが、最後ぐらい自分を追い込みたいなと思ったのも1つの理由です。


3. キリスト教徒

この大学は私立でアメリカで1番大きいキリスト教の大学です。

キリストの大学ということもありアジア人の比率はとても少ないですし、インターナショナル生もほとんどがアスリートでなかなかみません。

ネバダ州で住んでいたシェアハウスがクリスチャンの方で経営されており、本当にお世話になりました。

あくまで自分の経験ですが、彼らは凄く人の為に動ける人で

愚痴も言わないし、初めてのインターナショナル生にでも買い物も連れてくれたり毎週日曜日にはフリーミールを提供してくれたり。

凄く、彼らがどのように教育されてるのか気になりました。

そこで、少しキリスト教を学んでみたいなと好奇心がありました。

1つだけ、キリスト教のクラスは必需なので、そういった意味でも面白そうだなと思いました。

また、学生会に入るとチャペル参加は必須なので学ぶには良い機会です。


最後にもうひとつだけ加えさせて下さい。

ロケーション、天候です。

やはり、天候は心にも凄く影響するなと思っていてほとんど雨の降らない天候の良いアリゾナにしました。

そして、少しでも都会に出たいなと思っておりギリギリいける中での1番の都会がここアリゾナでした。


以上がこの大学に決めた理由です。


学生会ではトレーニングもしっかりしていて

特にウェルカムウィークはザ・アメリカでいい経験でした。

その様子も動画にしてるのでみてみてください。


また実際に学校の資金を使って、自分達でイベントを作ったり、マーケティングも自分達なのでとても勉強になります。

聞きたい事があれば気軽に質問してください。

Twitter:


最後に


1万3000千を超える長いノートをお読みいただきありがとうございました。

12時ちょうどに間に合いませんでしたが、自分の思いを込めました。

色々方向が混ざってしまいましたが、これから先もこのノートを更新していこうと思ってます。


お読みいただいた通り、本当にバカで親、家族に迷惑をかけてきたやつです。

頭の良い人から見ると効率悪いだろう。と思われる事も多いかと思います。

でも今は海外の経験を通して、一人でも多くの人に自分ができる事をと思い発信活動しています。

これから日本ももっとグローバル化していきます。

大阪、東京を初め、外国人労働者が増えてきました。

その中で少子化

外国人頼ざる追えない環境でまだ受け入れが整っているかと言われればそうではないと思います。


差別問題。LGBTQなど、まだまだ問題はあると思います。

そして日本はGDP世界3位ですが、人口一人あたりで見ると実は26位です。

また優秀人材は海外へ

これから先もっと日本は衰退していくと思います。

だからこそもっとグローバルリーダーの育成が必要だと思います。


まだなんの実績もない凡人の僕自身には変える力はないかもしれない。

でもその入り口(選択肢)は届けられる。


これからもキッカケをたくさん与え、個人個人が情をもってしたい事を行える愛のある世界を創造する為にも自分自身がもっと成長してみんなが勝てる日本を作っていきたいです。


最後に是非このノートが良ければ、支援いただけると幸いです。

ご精読、本当にありがとうございました!


中江和喜





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