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ストーリーアレルギーを克服したときに
これまでの何かしらを始めたきっかけの話をする前に、
ストーリーアレルギーを克服した先の変化について書きたいと思います。
「葉脈」の改名について
556madeの代表作でもある「葉脈」、このデザインで556madeを認識してくださっている方も少なからずいらっしゃるかと思います。
作ったときに見た目のみで名前を決めました。
この名前にはストーリーがない。
でももっと思い入れを込めたい。
そこで、この葉脈を作った頃のわたし自身について振り返りました。
気付けたことがあります。
今回はその内容をかい摘んで書きます。
細かな内容は改めて綴る予定ですので、この内容を見て気になった方はぜひ引き続き購読よろしくお願いします。(笑)
それとこれはわたしの主観です。
これを体験したそれぞれの考え方があったかもしれませんが、わたしがそれを知ることはありませんでしたので、全てわたしの主観であることをご了承ください。
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わたしが消防士を辞めたきっかけは、結婚でした。
当時付き合っていた彼と婚約し、消防士を辞めました。
彼の働く地域に引っ越し、わたしは広島を離れました。
彼の地元で、両親や親族と近い距離に暮らし始め、いろんなことが歪み始めました。
姑(になる予定だった人)はパニック障害を患っており、義父は長年連れ添い少し鬱気味だったのです。
それに対してどうこう思っていたわけではありません。誰がいつなってしまってもおかしくないって認識していましたから。
でも、そこから受けた仕打ちが凄まじかった。
従来から両親との関係が良好でなかった彼は、わたしと両親の間でひどく悩み、精神的な原因からてんかん様の全身発作で救急搬送され、ICUに入ったのです。(彼の持病にてんかんはありません。)
子離れできていない偏った考え方の義両親
退院後、発作を抑えるために服用していた薬を勝手に断薬させ、そのリバウンドにより2週間もせずに再び大発作で全身痙攣を起こしました。わたしの目の前で。
目の前が真っ暗になった。
白目を剥きみるみる顔が赤黒くなった彼に、何をすれば良いのか分からず、でも呼吸ができてなかったら、、、!
と、衝動的にわたしは彼に心臓マッサージをしながら救急車を呼んでいました。
(全身痙攣の時に心臓マッサージをすることは適していないそうですが、、、)
病院についた先で姑の両親(彼の祖父)は、わたしの胸ぐらを掴む勢いで詰め寄り、
「お前のせいで!!!!!」と激昂。
彼の全身痙攣を目の当たりにして、わたしはPTSD(惨事ストレス)になりました。
夜が怖い。寝室で寝られない。電気が消せない。無音が怖い。
録画した番組を深夜も流し続け、部屋の電気もつけたまま、陽が昇り始めたころにようやく寝落ちできる。
入院中も、今でいうモラハラを受けました。
彼は入院中に失語症になり、わたしには頼りがありませんでした。
逐一連絡をとっていた母にも本当に心配させました。
退院しても、2人きりになるのが怖くて、義父の両親の家で過ごさせてもらいました。
父方の祖父母だけは本当に優しかった。
落ち着いた頃、彼の入院中に義両親に言われたことを伝えると、彼は父に激怒しました。
義父は溺愛する息子にキレられたことにとどめを刺され、親子喧嘩の翌日、失踪しました。
警察に届けを出し、捜索されました。
これも全てわたしのせいだと言われた。
本当に殺されてしまうんじゃないかと怖くなり、そしてこの時初めて母に
「広島に帰ってこい」
と言われました。
それまでも何度か実家に帰っていましたが、この帰省から、わたしは彼と住む場所へ帰ることができなくなりました。
そしてわたしは別れを選んだのです。
消防士を辞めてたった3か月の間の出来事です。
仕事も、婚約者も失いました。
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(これでもかなりかい摘んだんですけどね、、、!)
この頃、同級生は大卒で新卒の年、キラキラする同級生が眩しかった。
そしてこの時期に妹の妊娠が発覚
対照的になってしまった状況。
みんなに祝われる夫婦にとても複雑な感情になり、すごく苦しかった。
なんで真っ直ぐ祝ってあげられないんだろう
後ろめたくて、そんな自分のことが嫌いだった。
それからは、誰にも会いたくない
この経緯を話したくない
引きこもりでした。(笑)
ご飯もろくに食べられず、痩せた。
それでも心配してくれた友達や消防の先輩、同期と会うようになり、少しずつ先のことを考えられるようになりました。
趣味のものづくりで、フリマに出てみた。
先輩に誘われて、バイトをするようになった。
地元のスナックでもバイトをして、お酒をたくさん飲んだ。そして歌った。(笑)
辛かったことも少しずつ癒えてきて、次の就職を考え始めた頃、わたしの自己中心的な性格が前面に主張しだす。
「普通の会社員になりたくない」
わがままwww
お前何様だよ
つづく
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