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こんな思いをするくらいなら…。

学生時代の、失恋の痛みを鮮明に覚えている。
絶望と失意のドン底に叩きのめされたような感覚。どれだけジタバタしても、その沼から抜け出せない辛さ。
それでも明日はやって来る苦しさ。

世の中は変わらず今日も回り続けているが、僕が見ている世界は昨日とは確実に変わってしまった。

セブンイレブンで買ったおでんをJRの車内のテーブルが付いてる二名掛けの席で、一緒に割り箸で突っつきながら食べて「これが幸せってやつか」と思ったことも、
スーパーに一緒に買い物へ行った帰り道、手を繋いで歩いているとき、街灯に照らされた道路に映った2人の影を見て「良いな」と思ったことも、

終わったら全部、もう過去のことなのだ。

一緒に過ごした時間が、濃くて、長くて、幸せなものであるほど、最後には辛くなるなら、もう恋愛なんてうんざりだ。

だけど、好きな人と一緒に過ごしているときは、どんな場所で、どんな平凡な作業をしているときでも、ひとりでいるときの何十倍何百倍何千倍も「幸せだ」ってことを僕に教えてくれたのも恋愛だ。

どうか、次の人が最後の人(結婚する人)でありますように。この先「別れ」を経験せずに、幸せになれますように。

失敗せずに、幸せになれますように。

何度もそう強く願っていた筈なのに、次の人も、その次の人も、その先もずっと上手くいかずに、気が付けば何年も独りで過ごしている。

「お前、顔は良いし身長あるけど、性格悪いし喋ったら終わりだもんな。だから彼女できないんじゃね?」と言う言葉を、これまで何人の人にぶつけられて来たかもう忘れてしまった。

長いこと独りで過ごしていると「勿体無い!若いんだから、もっと遊びなよ~」と、色んな大人から言われた。

僕はこの「遊びで恋愛する」と言う感覚が、どうしても納得できなかったし、理解できなかった。

むかし、登録制のバイト先で意気投合したタメ(当時大学1年生)の女の子とデートしたことがある。
会ったときは連絡先を聞かなかったことを後悔していたら、向こうから(どうやらバイト先の上司から僕の連絡先を聞いたらしく)Eメールが来たのだ。彼女の方から「会いましょ!今日とかでも全然オッケーです」と言って貰い、僕は猛烈に喜び、連絡が来た当日、会う約束をした。

暫く繁華街をデートしていたら、彼女の方から「めっちゃ言い辛いことがあるんだけど…」と話しを切り出された。
聞いてみると、彼女には既に彼氏がいて、その彼氏と上手くいっていなくて、ただ気晴らしに僕と過ごしたかったらしい。僕はただ「遊ばれた」だけだった。
このときもまた、彼女からEメールが来たときの喜びが、僕を絶望と失意のドン底に叩きのめすものに変わった。

馬鹿馬鹿しい。今度こそ、恋愛なんて懲り懲りだ。

これが、僕の十代最後の恋愛の思い出になった。

僕は、失恋がもたらす痛みや辛さを嫌と言うほど思い知った。自分がされたら辛いことは、絶対相手にもしちゃいけない。そう思ってきたので、これまでも何人かデートしたりして「良い感じになりかけた人」や「この人は僕のことを気に入ってくれてるんだな」というシチュエーションは何度かあったけど、自分が心の底から「好きだ」と思えない限りは、告白したり中途半端なことはして来なかった。

「取り敢えず付き合ってみたら?何事も経験っしょ」と言われたりもするけど、なんかそれも気が進まない。

そんな調子で生きているので、人より恋愛経験は少ない方だ。

なので、いざ好きな人を前にすると「自分がリードしなきゃ」と言う気持ちが先行して結局言葉が詰まって会話が盛り上がらなくて、そんなんだから2回目以降のデートには繋がらなかったり、まあ色々やらかしている。

難しいね、恋愛って。
難しいね、両想いになるのって。

今日は、録画した数年前の好きだったドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』を観ていた。有村架純さん演じる杉原音と高良健吾さん演じる曽田練、それぞれ田舎から東京へ出てきた男女が、閉鎖的な世の中を必死に生きるなかで恋に落ちるラブストーリー。

音ちゃんと練みたいな恋愛に憧れるな。きっと大変だろうけど。

「この人と出会うためにこれまでの苦労があったんだな」と思えるくらい、素敵な人ってどこにいるんだろ?

https://fod.fujitv.co.jp/title/4740


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