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空想短編小説:真夜中の温泉

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人生に疲れたぼくは、生暖かい空気の漂うひなびた温泉宿でおかしな中年男と出会う。男は、大草原にアルマジロがたむろする光景を想像してほしいとぼくに頼むのだった……政界入りの噂から身を…
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空想短編小説:真夜中の温泉17

ぼくと男は、地上絵の上に横並びで立った。
そういえば、今何時だろう。そう思って後ろを見ると、テレビの画面はすでに真っ黒になっていた。
「俺は今まで、いろんな人の顔色に左右されて、自分を持っていなかったからいけなかったんだ」
男は、生垣を見つめながら、ひとりごとをいうようにしてつぶやいた。
「でも、ようやく分かった。はい、いいえ、好き、嫌と、自分の気持ちをはっきりいっても良い。いやいわなくちゃいけな

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空想短編小説:真夜中の温泉16

ぼくから視線をずらすと、男は今までで1番大きく目を見開いた。
「おい……なんで象がいるんだ……」
「象?」
ぼくには見えない。ただ生垣の周りの木の葉や雑草が、なんとも不自然に揺れ動くのが見えるだけだ。
「子供の象だな。まさしく子象(小僧)だ」
男は手で口元を抑えると、自分で自分がいったダジャレに笑ってみせた。
「どう、どうどう、ふ、ふふふふふ……」
顔から吹き出る汗をタオルで拭きながら、男は後ずさ

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空想短編小説:真夜中の温泉15

あっけらかんとした男の変わりように、ぼくは口をあんぐりと開けたまま固まった。
「おい、安心してくれ。君と君の家族の個人情報はバラさないようにする。あくまでも参考にするだけだから」
男はそういって大粒の涙をタオルで拭うと、「素晴らしい……」と何度もつぶやいては体を小刻みに震わせるのだった。

「おいおい、そういや、さっきの話をもう一度詳しく聞かせてくれよ」
男は思い出したようにポンと右手で左手を打つ

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空想短編小説:真夜中の温泉14

「なるほど……」
男は寝転びながら、ことの経緯をじっくりと聞き終わると、眉間にしわを寄せながら何度も頷いてみせた。
「君のお姉さんは、そもそも悪気はなかったのか……」
寝転び湯の上で、正座して話をしていたぼくは、足を伸ばして寝そべると、寝転び湯の波にあたりながら目を閉じた。
「ええ、まあそうです」
「だがまあ、最初に逆立ちして屋台に頭から突っ込んでいくまではまだ良いとしても、マイクを奪い取ってから

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空想短編小説:真夜中の温泉13

「でも、それだけで終わりじゃなかったんです」
ぼくの言葉に、男はまたしてもかっと目を見開くと、あごを軽く突き出してぼくに促した。
「なら、とっとと話を続けてくれ」
「はい」

「お前は何か勘違いをしているようだね」
母は、にこりともせずにカバンを開くと、タブレットを取り出して写真をぼくに見せた。
それを見て、ぼくは息が止まる思いがした。
「姉さん……これは一体、いつの? どこで?」
そこには、顔や

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空想短編小説:真夜中の温泉12

黙ってぼくの話を聞いていた男は、突然「うっ」と唸ると湯舟から立ち上がった。
「分からん……気が狂いそうだ」
「ぼくもですよ。全く同感です。本当におかしくなりそうですよ」
男はげっそりした顔でぼくの顔を見た。
「違う、そうじゃない」
そしてしゃがみこむと、ピンと張りつめた右手をぼくのほうに伸ばしていった。
「君の話は回りくどすぎる」
ぼくは頭に血が昇って立ち上がった。
「どこがです」
「いいか、俺は

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空想短編小説:真夜中の温泉11

「すまん、もう横槍を入れないから、君の話を聞かせてくれ」
男は両手を合わせて謝る仕草をしてから、ぐっと目を見開いてぼくの顔を見つめた。
ぼくは気を取り直し、ゆっくりと深呼吸した。
「事の発端は、ぼくが就職してからのことでした……」
ぼくは透き通ったお湯を見つめたまま、一言一言を噛み締めるように話を続けた。

それは高校を卒業後、ぼくが念願の寺カフェに入社して、僧侶の格好をしながら接客をはじめて半年

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空想短編小説:真夜中の温泉10

「そんな……。もとはあんたでしょ、アルマジロの話をいきなりぶっ込んできたのは」
ぼくは男の身勝手さに呆れ返った。
そして、なおも大草原のアルマジロをめぐるハートウォーミングな物語を語り続けたい衝動に駆られていた。

「アルマジロの話は終わって、とっくに今は次の話題へと移っているんだ。アルマジロは、君ひとりでやっていてくれたまえ!」
男は、まるで泣き笑いみたいな顔をしながら、よろよろと湯船から出口に

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空想短編小説:真夜中の温泉9

「おい……お前、よく見ると、菅田将暉にも瓜二つだな。髪型もう少し変えたほうがいいぞ」
横に並んだ男は、さっきとは打って変わり、死んで生き返ったように顔を蒸気させながら、ぼくの頭をちょいと指差した。
「うん、トム・クルーズにも若干似ている」
「適当なお世辞はやめてください」
ぼくは、この植木川賞作家は、なぜ県知事選挙に持ち上げられ、さらにこの男がこの場所に今なぜいるのか、全くもって意味が分からなくて

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空想短編小説:真夜中の温泉8

「君、知ってるかい? ペンギンは骨格の構造上、つねに立ちながら空気椅子をしている状態なんだよ」
ぶるぶると震えながらも、男は落ち着き払ったような低い声でそうつぶやくと、にやりと笑った。
だが目は全く笑っていなかった。
「ふふふ……おかしいだろ。まさに今の俺は崖の上に佇むペンギン。ペンギン・ヒューマンだ。ふふふふふ……」
ぼくは男の肩を思いきり叩いた。
「そんなことだれも聞いていません。それより、あ

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空想短編小説:真夜中の温泉7

いつの間にか、外ではかすかに霧雨が降っていた。

男とぼくは、黙って寝転び湯に移動する。
「さあ、想像してみてくれ。ここがサウナだと」
男は絶え間なく流れ続ける浅いお湯の中で寝転びながら、ぼくの横顔を見た。
「そんなの無理ですよ。だんだんと外も冷えてきましたし」
「そんなことはない。ここはサウナだ」
男はすっと起き上がると、タオルを巻いたまま、腰を宙に浮かせた。
「どうだ、エア・サウナだ。ざまあみ

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空想短編小説:真夜中の温泉6

横に並んでお湯に浸かろうとした自分の顔を見て、男は驚いたように目を見開いた。
「お前……よく見ると嵐の相葉雅紀にそっくりだな」
そして男は口元を緩めてぼくの頭を指差した。
「坊主だったから気がつかなかったよ、相当モテるだろ?」
「そんなことはないですけど、あなたも阿部寛さんに似てますよね」
男は緩めた口元をさらに緩めると、小さくガッツポーズをした。
「ふっふっふ、よくいわれるよ」

露天風呂の中央

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空想短編小説:真夜中の温泉5

「あれ……お、おい、君。ちょっと……」
タオルを腰に巻いたまま、男は何度も開閉式のドアを開こうとしてバタバタともがいた。
「おい、なんだこれ、開かないぞ」
「開かない?」
ぼくは、風呂からあがると、男のいる露天風呂の出入り口に向かった。
「なんだ、なんだ……やっとサウナに行こうというときに」
男は眉間にしわを寄せ、まるで青汁を何杯も飲んだみたいな苦い表情をしてうめいた。
「旅館の人が来てくれるまで

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空想短編小説:真夜中の温泉4

「君……」
男はすぐに歌うのをやめて、少しの間黙ったのち、ふいに口を開いた。
「さっき、大草原にアルマジロは不釣り合いだといったね」
ぼくは、目を開けて男を見ながら軽く頷いた。
「ええ」
「ところがどっこいだよ」
男は、まるでミステリーで犯人のトリックを暴く探偵か刑事のような不敵な笑みを浮かべて、ぼくの顔を見やった。
「アルマジロは、熱帯雨林だけではなく、乾燥地帯にも生息している。中南米の草原にも

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