空想短編小説:真夜中の温泉6

横に並んでお湯に浸かろうとした自分の顔を見て、男は驚いたように目を見開いた。
「お前……よく見ると嵐の相葉雅紀にそっくりだな」
そして男は口元を緩めてぼくの頭を指差した。
「坊主だったから気がつかなかったよ、相当モテるだろ?」
「そんなことはないですけど、あなたも阿部寛さんに似てますよね」
男は緩めた口元をさらに緩めると、小さくガッツポーズをした。
「ふっふっふ、よくいわれるよ」

露天風呂の中央上には、小型のテレビがついている。音は聞こえないけど、民放のチャンネルがつけっぱなしになっていて、ちょうどニュースが流れていた。
ぼくは、なんとはなしにテレビ画面を見て、思わず目を疑った。
〈植木川賞作家 貝原軒さん失踪から3日
未だに行方分からず ◯×知事選挙出馬表明直前に何が〉

大きなテロップとともに、そこに映しだされていたのは、隣に座っている阿部寛似の男の満面の笑みだったのだ。
ぼくが隣を見やると、男は険しい表情でやはりテレビに視線を向けながら、黙って小刻みに頷いてみせた。
「……」
しばしの沈黙が何秒か続いた。

「お前、もっと本を読まないとダメだな」
男がボソッとつぶやいた。
植木川賞作家だったのか……あれで。ぼくは自分の無教養を恥じた。しかも地方の知事選に出馬しようとするくらいの大物だったなんて。日頃テレビも新聞も見ないので全く知らなかった。
「あなたは、何故こんなところでサウナなんかに入ろうとしに来てるんですか。◯×県といったら、東と西くらい反対方面じゃないですか」
ぼくが男に問うと、男は「おう」といきなり大きなかけ声をあげると、くるっと向きを変えて真正面からぼくの目を見つめた。
そして、信じられないようなセリフをぼくに向かって投げかけたのだ。

「お前、人を本気で好きになったことないだろ?」
「なんですって?」
男は、気持ちが悪いくらい真剣なまなざしをしてぼくを凝視しながら、もう一度いった。
「君は、人を本気で愛したことがない人間です」
ぼくが、男の顔に殺意さえも感じて後ずさりしようとしたとき、男はぼくの両肩に手をおいてがしっと掴みながらいった。
「よし、ここがサウナだと想像しながら、ゆっくり語り合おう。露天風呂のドアが開くまで」

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