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【個人日記】1人の時間に慣れてしまった


こんにちは、カズです^ ^

今回は最近すごく思ってることを日記がてら書いていこうと思います。

自粛期間の変化

まず、自粛期間に何がきっかけだったかはもう忘れましたが、
今までにないほど本を読んだり(数えたら100冊を超えていました)、
今までにないほど色んな人(金持ち、ラッパー、社会学者、哲学者等)の人生や生き方に対する考えを聞いたりしてきました。

他にも哲学や、元々好きだったhiphopカルチャーに更にハマったり、
"ヒッピー"や"アメリカンインディアン"など気になる文化を調べたり、
三島由紀夫や岡本太郎の哲学的思想を学び、自分の糧にしようとしたりしました。最近では社会学者の宮台真司さんの物事に対する意見を聞くのがとても刺激的で面白いです。

そんなこんなで、「人生とはこういうものだ、おらはこういうやつだ」という固定概念がもともとなかった僕は、すんなり自粛前の自分と後の自分で、生き方や対人関係に対する態度が変わっていきました。そしてそのこと自体最近気付きました。

正直それが良いのか悪いのか分からないし、自粛期間前に遊んでいた友達と、今遊んでもなぜか以前と同じ気分にはならなくて、すごく複雑な状態です。正直この状態にいい気分は感じはしていないし、自分が変わるなら周りの人も変えるべきなのかとも考えました。

※もし同じ状態になったことがある方がいたらコメントで教えてほしいです。

1人の時間に慣れた

自粛期間前は本当に毎日のように友達と大学で会って遊んだり、部活をしたり、帰りも飲みに行ったり、寝る時間以外いつも隣に誰かいる状態でした。

そして、今思えばそれが普通になっていて、特に1人の時間が欲しいとも思っていませんでした。

その後、自粛期間に入ると、必然的に1人の時間が増え、最初の頃に"1人"に慣れなかった時期が少しあっただけで、そこから1人の時間が好きになりました。

その結果、
自粛前より明らかに色んなことをひたすら考えれるようになったり、習慣化したいことはなんでもできることに気づいたり、「何かやりたい!」と思ったら人の意見が挟まる前に行動に移せたり、少しその勢いで陰謀論やスピリチュアル系に関心を持ってしまった時期もありましたが、
最終的には自分のことをもっと理解して、もっと成長していきたいという状態に着地しました。

人生の捉え方

加えて、人生に対する考えも変わり、ここには岡本太郎さんの考えや、ギリシャ哲学の一部の影響が大きく出てるのですが、
"人生の短さ"を以前より感じるようになりました。

本当に自分が思っている以上に人生は短くて、案外小さなきっかけで大きく変わるということも色々ことをきっかけに知りました。

僕はシンプルに"人類史全体の期間"と"地球が存在している期間"を比べて見たら、誰しも人生の短さに気づき、生き急ぐのではないかと思っています。


とにかく、この期間"1人の時間"があったおかげで、今まで以上に人生や生き方について多くの視点で考えれる状態になったわけです。
そして、そんな明らかな恩恵を受けた"1人の時間"を今までよりも生活の中で重要視してしまうようになり、友好関係の保ち方が難しくなってきました。


孤独との向き合い方

人はもちろん人と共生しないと生きていけません、ですが、1人の時間にも魅力があることを再確認したいところです。

「それでも人は人といなければいけない」という意見も人によってはあると思いますが、それが正しかったとしても、孤独を良くないものと捉えてしまうのは良くないと思います。

「哲学者も画家もどんな天才も孤独じゃなかったら有名になっていなかった」(記憶を頼りにしています)
という言葉を岡本太郎は残していますが、本当にその通りで、
問題は、"うまく孤独の時間を活用するスキル"を若いうちから養うことなのではないかと思うわけです。

なので僕はここから友好関係が崩れていってしまっても悲観的になりすぎず、1人の時間を活用して自分を磨き、新たな友好関係を作っていきたいです。

ギリシャ哲学者のセネカによる「君が友人と会うときは、友人と会いたいから出かけるのではなく、自分と向き合うのが嫌だから出かけるのだろう」という言葉に僕は何か核心をつかれたような気がしまたが、この言葉も幸せに生きていきたいなら、見逃せないものだと思いました。


友達とは

こんなことを書いている時点でもしかしたら健康なマインドではないのかもしれませんが、この自粛期間に入ってからひたすらこのテーマが頭の中に出てきました。

僕は小さい頃から幸せなことに友達には恵まれて、バイト先でもどこでも人には恵まれてきました。なのでなおさら"友達とは何なのか"と考えたことがなかったわけです。

"幸せになるには"的な本でよく、「友好関係の満足度は幸せの量に比例する」みたいなことを聞きますが、それを意識しながら保持する友好関係は本当に幸せにつながるのでしょうか。

昨日の記事と少し被りますが、僕は幸せになれるかどうかの損得勘定で保持している友好関係なら、そんな関係はなくしてしまって、
心から友好関係をもちたくなる人に出会うまで行動した方がいいのではないかと思います。

僕はこれから気が合う人が割合的に多いであろうコミュニティに参加して、新しい出会いを楽しもうと思っているのですが、

みなさんは友人とはどういうものだと認識しているのでしょうか。

僕は「何も考えずに遊べる友達がいればいい」と考える方がいるのは承知していますが、一度考え出すと途中でやめられなくなる気質の自分は心からそう思うことはもうできないと思っています。

良いのか悪いのかわかりませんが、この"すぐ何でも考えてしまう気質"は"友好関係"とは共存させにくいのかもしれません。


自己分析

最後になりますが、
自分がどういう人で、どういう性格が大元で、どういう性格が後から形成されたのかなど、最近よく見てみました。

結論完璧にではないですが、自分の本質が前より分かった気がして、そこに合う生き方(自分に一番マッチする生き方)が分かってきた気がします。

僕も含め友人を見ていてもその性格は、
兄弟構成や家庭環境の影響によって形成されたものだったり、
部活や小中高のクラスという小さな社会の中で形成されたであろうものがほとんどだと思います。

そしてそんな後付けの性格を自分の元からの性格だと思っている人も多いのではないでしょうか。

僕はその、"もし生まれ育った社会が違かったとしても、ここは同じだったかもしれない"という部分を見つけて、自分にフィットした生き方をこの先していこうと思っています。

まとめ

またまとまりのない自分勝手な文になってしまいましたが、こうして書いているとやっぱり自分でも知らなかった自分の意見が出てくるので、
自分とのやりとりをしているつもりで今回はnoteを書かせていただきました。

みなさんも自分のルーツを意識したり、良い友好関係を保つためにあえて自分に意識を向けて見てください。

みなさんの幸せを願っています。


なんか宗教ぽくなっちゃいましたが、僕は無宗教でただの哲学にはまってる大学生なので、ご安心ください。

おわりに


最後まで読んでくださってありがとうございました。

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