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試されたオレ

 人生というのは、本当に自分が思い描いてる通りにいかない。いつも想定外のことが起こる。一つ前の僕のnoteに、僕は人生を前向きに楽しめる人はカッコいいしそんな人になっていきたいと書いた。だが、そんな僕を試すかのように、想定外の試練が起こった。それでは、本題に入っていきたい。

 術後11日目、90度まで曲げるリハビリが始まったのだが、まず曲がらない。膝の皿や膝周りの筋肉、太ももが固まっているせいで曲がらず、そこをほぐすのに激痛が生じる。それぐらい衝撃の痛みだった。この日からリハビリが凄く大変になった。

 この日は午前中がリハビリで部屋に帰った後、事件が起きる。毎日、検温があるのだが、いつも通り体温を図ると、38度越えの高熱があった。普段の時期なら大変なことでもないのだが、この時期の高熱はコロナの可能性があるかもしれないということになって、すぐCT検査を受けることになり、そしてこの日から僕は隔離生活が始まった。まさに想定外の事が起こった。ナースステーションは騒ぎになってしまった。

 隔離生活は一人部屋で、部屋からは一歩も出れず、リハビリにも行けず、トイレは移動式の簡易トイレに尿瓶という想定外の生活が始まった。ウ○コは簡易トイレにして看護師さんに処理してもらうのだが、それが恥ずかしくて嫌過ぎてずっと我慢していたが生理現象には逆えず、人間の心を捨て、動物の気持ちになりウ○コをした。簡易トイレすらも、僕は楽しんだ。

 術後12日目、朝、熱は下がっていて、CT検査で肺炎にもなっていなかったが可能性が0ではないので隔離はされたままだった。術後13日目、病院の偉い人がPCR検査を受けれるようにしてくれた。術後14日目、PCR検査を受けた。とは言っても、検査はインフルエンザと一緒で鼻に入れるやつだけですぐ終わる。僕は病院の中でちょっとした有名人になってしまった。

 そして、15日目のお昼前、陰性の結果報告を受けた。その時点で、隔離生活は終わった。孤独で、精神的にきつい隔離生活だった。でも、これも自分が成長する為に何か意味があることだと思って、前向きになれた。隔離生活中にお世話してくれた看護師さんには感謝の気持ちでいっぱいだ。僕を試すかのような5日間だった。

 この日からリハビリが再開した。術後2週間が経っていたので、自分の体重の3分の1の荷重をかけての松葉杖歩行ができるようになった。曲げる角度も125度までになった。筋トレも増えた。痛みも増えた。ただ、膝が曲がる喜びがある。ストレッチ、リハビリの先生のマッサージ、筋トレ、術後3週間目まではこれの繰り返しだ。

 術後3週間目から体重の3分の2の荷重をかけての松葉杖歩行になる。そして、車椅子生活はここで終了だ。曲げる角度も135度までになり、痛みも少し減る。ただ、筋力が全然戻らない。筋トレはしていてもなかなか戻らず、美脚のままだ。退院まで後1週間だったが凄く長く感じた。

 そして、待ちに待った退院日。振り返ってみれば、色々な事があったし、大変なことが沢山あったし、上手くいかないことも多かったが、良い経験が出来たと思う。同じ怪我をした人が多く、日々自分の経過報告しあったり、風呂が争奪戦で負けたら入れなかったり、毎朝パンで普段食べない僕にとってはこれが辛かったり、不安で弱っているときに、恩師から急にLINEが来て自分をまた奮い立たせてくれたり、他にも思い出が沢山ある。

 家族、先生方、看護師さん、チームメイト、友達、他にも色々な方に支えられて、助けられて無事退院することが出来た。改めて、色々な人の支えがあって生きていることを実感した。

 退院はしたが、完治までは後、約7ヶ月かかるし、制限も多く、再断裂の恐れもあるから、神経質にもなるが前向きに楽しんでいきたい。

 たった4週間ですら、自分の思っているようにいかない。これからの長い人生、上手くいかない事、想定外の事など沢山あるが辛くても、大変でも、前向きに捉え楽しもうと思えるオレがいた。


 

 

 

 

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