2020年6月6日土曜日の名古屋駅前を歩いてみて、新型コロナにおける感染予防対策の意味を考えてみた。~アフターコロナを想像する~
緊急事態宣言が解除されてから、初めてプライベートで繁華街へと足を運んでみた。
この「コロナ禍」で、いままで営まれてきたものの多くがストップされ、クラッシュさせられ、抑えつけられ、「一体この先どうなるんだろう?」と漠然とした不安を抱えていたころに、「30年後の2050年までには、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会になる」んだと、内閣府のウェブサイトで公表されて、私は衝撃を受けた。
今はまだ、人は身体、脳、空間、時間をかなり制約されているが、緊急事態宣言が解除されて、名古屋駅前はコロナ禍以前と比べてどんな状態なのか、興味津々で歩いてみた。
名古屋駅前名物、ナナちゃん人形。
いつもなら、何かのキャンペーンなどにちなんで、きれいに着飾っているのだが。。。
御覧の通り、あまりにも「どシンプル」な衣装で、おまけに土曜日の10時台というのに、人影が少なすぎる。
「新しい生活様式」をしっかり守っている人が多いということなのだろうか?
大名古屋ビルヂング前
まだまだ車は少ない。
JR名古屋駅桜通口と、高島屋
名古屋駅の正面玄関と言える桜通口。タクシーの姿は見えるが、これも明らかにまだまだ少ない。
交差点を行き交う人も、土曜日11時ごろとは思えないくらい少ない。
すれ違う人たちを見た限り、7割ほどの方はマスクをしていたが、今日はムシムシしていたせいか、3割ほどの人はマスクをしていなかった。
忠実にマスクをして「管理に従う」のか
「暑いからマスクはしない」と
人としての自由意志を尊重して生きていくべきか。
名古屋駅前随一の待ち合わせスポット、高島屋の「金の時計」下
ご覧の通り、まだまだ人は少ない。
マスクをしている人の割合も7:3で、している人のほうが多い感じか。
名古屋の大通りの1つ、桜通を名古屋駅から撮影。
車が少ない
本当に少ない
新型コロナにより、本当に世の中が止まっている。
我々の思考・行動は制限されているのだが、なんとなく慣れてきているのだろうか。だんだんと違和感も薄れてきているのだろうか。そしてこれが当然となってしまうのだろうか。
いや、
違和感だらけ
矛盾だらけ
だと、私の心の声が叫んでいる。
いま私にできること
この心の中の声を、人に伝えていくこと
人間としていきいきと生きていくために