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評価の客観性(教育方法学)から本当の意味のチーム学校について考える

 教師の力量というものは、若い教師が低くくて、年数を重ねれば高いというと、そう一概にはいえない。授業に向かう真摯な姿や、単元計画、評価計画の重要性を、常に意識して取り組んでいることが重要である。教師の力量の中でも評価は、長い鍛錬が必要と言われている。

 授業や学習活動の目的・目標をもとに評価基準(ルーブリック)を設定し、子どもの学習成果物を評価を行う教師と、フィーリングで何となく評価している教師とでは、評価の質は全く違う。
 字が綺麗とか、書かれている文量が多いとか、自分の意見があるor無いなどの表面的なもので評価することはあってはならない。特定の子どもに対して、評価が甘かったり、厳しかったりすることは言語道断である。

 評価は、一般的に教師一人で行うか、事前に学年で打ち合わせ、このような基準で評価しようと決めて行うことが一般的である。
 
 どうような形であれ、評価は教師という人がやる以上、主観が入り込むのは否めない。しかし、客観性をできるかぎり高めていくことは、教育の平等性を保証するために極めて重要なことである。では、どうやって評価の客観性を高めることができるのであろうか。

 その答えに、「ルーブリック開発のためのグループ・モデレーションの方法に関する研究」の教師同士の評価の違いの特性に迫るディスカッションがある。

 そのディスカッションとは、同じ学習成果物を多数の教師が評価するというもので、それぞれの教師が導いた評価結果を持ち寄り議論する。議論を通して、各教師の評価レベルを同じレベルまで高めるというものである。
 この議論の目的は、評価の客観性を生み出すことにある。
 それぞれの教師がどのように評価を下したのか理由を交えて議論する中で、共通点や相違点を確認しつつ、それぞれの評価の優劣を付け、あるべき評価の姿を明らかにしていく。
 時には、評価結果にはなかった新しい視点を組み入れ、評価を強化する。言葉で言うのは簡単だが、この議論は、はじめに基準を定めることなく、それぞれの教師に委ねて評価された結果をもとに検討し、評価の客観性を高めていることから、大変困難を強いられることだろう。

 どのように評価した=教師の力量となることから、教師は本気で評価し、結果を出さなければ状況に置かれる。「後で他の先生から、あんなテキトーな評価をしていると思われないか」という心配すら出てくる。教師人生をかけた議論になることは間違いない。

 小学校では、未だ学級担任制が一般的であり、クラスが担任の力量に委ねられている。学級王国という言葉があるように、担任の好きなように学級運営できる反面、井戸の中の蛙になりやすい傾向にある。
 大事なのは、この特性を理解して学級運営をするのと、知らないまま学級運営するとでは、まったく違うということである。

 学級の枠を越え、学年、学校、学校外の教師とタッグを組み、お互いに連携して取り組むことが大切である。その連携も「支え合おう」ではなく、「質の高い教育を目指そう」という意識が大切である。
 つまり、教育方針や学級運営、学習評価など、一人一人の先生の個性が生きつつ、指導全体を通して客観性のある取り組みができるか、これこそ本当の意味の「チーム学校」のあるべき姿と考えている。

 若い先生も経験年数がある教師も同じ土台にのって、「子どもの成長のために、よりよい教育を目指していく」、このような共通理解が第一歩だと強く感じるのである。

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