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(20) 受けとめ方

カウンセリング・ルームのカーテンを開けるとそこに私は座っている。どんな顔をしてクライアントをお迎えするか、これがまた大変難しいのだ。過ぎた表情はクライアントに負担になるからと思い、出来るだけ自然で普通にするようにしている。

ある日、セラピーが始まって半年が過ぎるかという頃、そのクライントの青年は笑顔で迎えた私に向かって、
「先生は僕をやっぱり馬鹿にしている」
「えぇ?何でそう思う?」
「僕の顔見て笑った!!」
「君にとっては相手の人が笑顔をしたというのは、君を馬鹿にしたということなんだね」

実は私の想像をはるかに超えてしまう反応をされることがよくある。
「さあ、今日の話ここらでまとめてみよう」
と、先程より少し声を大きくして手をポンと叩いて・・・これがあるクライアントに苦しみを与えてしまうことになる。
「先生、急に声が大きくなって、きっと私をこれから責めるに違いない!と思う。やめてください」
「職場のAさん、あの人は相当の悪ですよ。僕のことを馬鹿にした目で見て、微妙に僕を外すんですよ。これでは神経がズタズタになります」

こんな訴えの後、出来るだけ時間をかけて丁寧に事を運ぶことに決めている。”理屈”でクライアントが”受けとめ方”を極端にして歪めている、と説明するのは意味がない。そんなことでは前に進めない。目の前にいる人の笑顔が自分を馬鹿にしている、と思ってしまう生きていることの辛さが、やり切れなさが、セラピストに理解して貰えるか?が、クライアントにとって重大事項なのである。

私たちは誰でも例外なく、自分の主観でしかものを捉えられないのだ。こういう存在でしかない自分だと、心から認められるのか?この残念ながらそんな存在である、と認められたとしたら、大きく前進して行くことが出来ると思うのだ。何故なら、その時その時の”自分の思い”を絶対視することなく、その時々に主観で「大丈夫か?」と疑ってみる、という習慣が身に着くからである。この”疑ってみる”という構えがすごく大切なのである。そもそも”自分の思い”を絶対視してしまうことが、考えてもみたら無謀なことなのだ。狭い自分の視点からでしかないし、歪んだレンズで見ている私だし、”受けとめ方”に難があるし・・・、ここはひとつ、冷静に検証してからでも遅くないか、と思えたとしたら、これは有効かつ人生の上の最大級の発見になると思う。

先日、不合格通知を貰ったという青年とプライベートな時間を喫茶店で過ごした。彼は私とのカウンセリングを卒業して五年になるが、時々その後の報告をコーヒーを飲みながらしてくれる。一般的に、「不合格」というものは通知しないのが普通らしいが、丁寧な文章でその企業から届いたらしい。不合格であることはわかったから、私はその通知の中身を読まなかった。丁寧な文章であったとしても、不合格なんだからその文章を褒める訳にもいかなかったからだ。

その青年は笑いながら、
「先生、僕変わったでしょう?カウンセリング受けてる頃、”不合格通知なんか見たら、もう自分が生きる価値が無い”なんて言ってましたよね。今回、全然思わないし、残念だけど縁が無かったかなって思いました」
「うわぁ、確かに・・・。そうだな・・・これが成長するってことでさ、”幸”か”不幸”の分かれ目はこんなところにざらにあるんだね」
と、彼に返した。カウンセリングを受けていた頃は笑ったことなど無かった彼だったが、笑みを浮かべながら、
「しばらくは今の会社でお世話になります。またチャンスがあれば挑戦しますよ」
と、元気な様子で帰って行った。この仕事をして来て良かったな、と思う瞬間である。本当に数少ない瞬間であり、貴重である。

受けとめ方とは、物・事に出くわし、自身がそれをどう受けるのか・・・という”思考する”ことを指す。この瞬間がその後全てを決定してしまうのであるから敵わないのだ。この”思考する”ということが何の影響も受けず、条件もなく思考するのではないから困るのである。

誤差 その①:
物・事を見るレンズの歪み(「(11)マイナス思考」で書いた”中核信念”と呼ばれるレンズの歪み)

誤差 その②:
自身の潜在的にある思い込み・不安

誤差 その③:
考え方(今までの自分の歴史すべてを投入しての考え方であり、個人差が激しいものである)

物を見、事に接した時の一瞬に、この”思考”が誤差①~③を加え生まれる。まるで自動的にセットされてでもいるかのように一瞬のことである。それもあってか、これは「自動思考」と呼ばれている。狭い視野で、自分勝手に偏った価値観で見ているに過ぎない私たちは、この「自動思考」の後、感情が生まれるまでの間に、一時停止という具合に立ち止まってみたらどうか、と提案したい。”感情”を充てる前に、

「まぁ、私の癖はネガティブに考えることだし、狭い視野しかないし、ひがんで物を見るし・・・。だから色んな考え方の物差しをあてて冷静かつポジティブに考えるとするか」を差し挟んでみて欲しい。環境や出来事などが私たちのあり方を決定するだろう、という運命論的に考えてしまうのは、今すぐ止めるべきである。私たちが生きて行く上で、その人生に大きく影響を与えてしまうものは、人・物・事・事件を私たちが”どう受けとめるか”ということに尽きると思うのである。


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