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(67) 人生のレシピ

近頃、書店が少なくなった。本が売れないからだと言う。
時代の流れか、本で育った団塊の世代にとっては寂しい気がする。まぁ、そうは言いながらもスマホを検索したら、本どころか様々な情報が一瞬にして手に入る。本屋へ行かなくても事は足りるのだから、便利になり合理的でもある。

意地を張り、パソコンを持たず、スマホに頼らないぞ、と、アナログ生活を通して来た。去年の三月から、そんな私もnoteに書き始め、その恩恵で新たな世界の仲間に入れて貰った。とは言え、応援者の力を借りてであり、大きな顔は出来ないのだが・・・。

そんな時代であるから、情報は一瞬で手に入り、誰もが知らなかった情報が共有出来るようになった。信じない方が良い情報も多くあるから、気をつける必要はある。

昔はよくあったのだが、「おばあちゃんからぬか漬けの作り方を教わろう」と言うのは、今はあまり見かけない。色々と生活の知恵を教えてくれる“おばあちゃん”はもう要らないのだ。スマホで容易にぬか漬けのレシピは手に入るのだ。誰でもぬか漬けの達人になれる。“意地”を捨てるなら、本当に便利な時代だ。こんな時代だが、「人生のレシピ」は検索しても出てこない。ぬか漬けのレシピより、私たちが本当に欲しいのは、「人生のレシピ」なのだ。こんなに難しい時代、「どう生きればいいのか」その方法、「人生のレシピ」を知りたいと、誰もが思っている。それを知りたくて、私は心理学を学んだ。答えは・・・ユング博士曰く
「私たちがこの世に生を享けている唯一の目的は、人生という暗闇に自分で灯をつけること」
と、教わった。つまり、人生にレシピは無い、ということだ。

ユング博士は続けて曰く
「人生は地下の迷宮のようなもので、もともと灯はついていないのだ」
言い換えるなら
「人生は真っ暗で、迷い道が何本も何本もある。自分で灯をともし、どの道を行くのか考えて決めて行くものだ」
と、いうことになる。さて困った。こんな時代だから、「人生のレシピ」を教わりたいと思ったのだが、教わるものがない。

先程の話へ戻ろう。ぬか漬けなど料理のレシピであるが、検索して出したレシピその通りに作ったとしよう。何が出来るか。一般的・平均的・真ん中レベルの出来上がりとなる。

ここで考えて欲しい。私の舌に平均的な味が合うとは限らないのだ。薄味好みの人、濃い味好みの人はそのレシピに合わないのだ。考えてみれば、提示されたレシピに舌が合う人は、平均値の基の人たちだけで、全員がそうであるわけではないのだ。好みは様々であるのだから、レシピの仕上がりは平均値ということで、不味くも美味くもない味、と、いうことになる。つまり、「失敗ではない」に過ぎないのだ。好みがそれぞれだから、そういう結果になる。レシピとは、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
“好み”がある。これが最重要事項だ。知りたいはずの「人生のレシピ」があったとしても、決して“解答”を貰ったことにならないのは、そういうことである。調味料を足したり引いたりしながら、自分の舌に合う味を作る・・・これが“私のレシピ”である。

光のない地下が人生なのなら、まずは灯を見つける、その上迷路となっている何本かの道・・・どう選ぶかが人生を自分なりに生きるということになる。

『(65)自己肯定感-サバイバーに学ぶ』に書いた、施設を卒園し医師となった青年を思い出して欲しい。彼は親に育てられることなく十八歳まで施設で育った。彼の境遇は決して“幸せ”なものではなかったはずだ。寂しくて辛くて、時に我が身に絶望したに違いない。まさに地下の迷路に居た。母が精神病で彼を養育出来なかったハンディを灯に変えた。並の意志ではなかっただろうと思う。数ある迷路の中から、彼は道を選択した。暗がりで選んだ道だったはずだ。見事である。

“灯”とは“信念”であり、“意志”“動機”だと考えて欲しい。それさえあれば、地下の迷路の暗闇は照らされることだろう。「何本もある迷路」に、深刻になることはないのだ。これだと思う道を選んだらいい。途中、「何か変だ」と思うなら引き返し、次の道を選び直したらいいのだ。決してこれを失敗などと思わなくていい。失敗などではない。十や十五の思い違いの中に、「これで良し」はひとつくらいのものが人生の相場だからだ。誰しも、そんな経験の中で、今ある道に立っているに過ぎない。

二歳になった孫のチビ坊が、何か自分でやろうと思う時、不安なのだろう、手を繋ぎに来て大人を付き合わせる。
「僕、これから〇〇をやろうとしているけど、不安だから一緒に付き合って」と、いうメッセージである。
チビ坊のことだから、付き合わない訳にはいかない。これが何とも良いのだ。これが私たち人間の本来なのだ。大人になると恥ずかしいのか、助けを求めることをしなくなる。「人生のレシピ」はあくまで平均値であるが、先輩の偉人達のレシピを参考にして、自分なりのアレンジを加えたらいいのだ。料理のレシピも、「人生のレシピ」もやり直しが何度でも効くのだ。いつでも、助けを求めたらいい。それが人生というものだ。


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