風遊(ふゆ)

風遊(ふゆ)

最近の記事

蛹化する風

 亜麻子のお姉さんが死んだ日、私の家では飼っていた犬が死んだ。  亜麻子のお姉さんの名前は優音といい、私の飼っていた犬の名前はハナといった。べつに亜麻子のお姉さんと私の飼っていた犬は仲が良かったわけでも名前が似ていたわけでもなく、生きていたあいだはまったくそれぞれに独立して、関わりなんてすこしのかけらもなかったようなのに、しめしあわせたみたいに、あるいははっきりと偶然なのだろうけれど、おなじ日の、ほとんどおなじ時刻に死んだ。そういった関わりができた。存在はもう、終わってしま

    • 胎児でもわかる小説の書き方

      趣味で小説書きのまねごとをしているから、たまに、小説の書き方を教えて、と言われる。 書店にいけば文章の書き方を技術的に解説してくれている本や、そもそもこの世の中には、手本になるようなすばらしい文字の羅列があふれているのだから、きっとこの問いはそういった技術だとか、方法だとか、ある種表面的なものごとをたずねるものではなくて、もっと本質的なものなんだろうと勝手に思う。 言葉を並べ立てるとき、どこからそれが湧いてくるのか? 私の言葉の根源はどこにあるのか? 私は自分の衝動や情

      • Don't Cry Over Spilt Milk.

        『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk』と、その続編にあたる『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』という、すさまじいノベルゲームがついに日本語化した。翻訳は本当に大変だったろうと思う。心からありがとうと言いたい。 これはレビューではない。 このゲームをプレイする前と後で世界の見方が変わったという人がいるかもしれない。 それは本当か? 変わったことなんてなに

        • 扉のこちら

           扉をあけると、夜のにおいがした。それがどんなにおいかと問われたら、正確にこたえることはむずかしいけれど、夕餉のなごりや、ボディソープや、たかれたアロマや、かすかなアルコールや、そういった夜の営みのなかで生まれるにおいたちに、雨の前兆に似た湿ったにおいと、煙草のにおいとがほんのすこしずつ混じった、胸の底のほうをゆっくりとなでつけられるみたいなにおいだと思った。  またね、と私は言った。また、と彼女は言った。部屋のなかに漂っていた紅茶の香りとやわらかな温度が、夜のにおいと低い温

          だいきらい

           わたし、赤い車が苦手なのよ、と、いつか彼女が言っていたので、真っ赤な軽自動車を買った。それは赤というよりも、ほんのわずかに暗い色をしていて、緋色といったほうがちかくて、きっとこの車でなにかを、誰かを、たとえば彼女を、轢いてしまったとしても、その血がついていることに、だれも気づくことはないだろうと思った。  家から出てきた彼女は私の車を見て、本当に、とてもいやそうな顔をした。私は運転席から、助手席側の窓をあけて、乗りなよ、と彼女に言ったけれど、彼女は首を横になんども振った。

          花壇は昨夜あらされました

           まだ、彼女がおさないといえるくらいのこどもだったころ。公園にならぶちいさな花壇のひとつで、花の死骸はおりかさなって、くうきのぬけたふうせんのようになっていた。むきだしになった根の上を、あみだをぬうみたいに、一匹の蟻がはっていた。  彼女は花にくわしくはなかったので、それがなんという名前の花なのかわからなかった。もとはきっと、あざやかな赤色や黄色をしていた花弁は、土にまみれていたし、それでなくても、もっとにごった色をしていた。  いくつか花壇のあるなかで、その花壇にさいた花だ

          花壇は昨夜あらされました

          ミスユニバース

           ロケットにのることになったの。  買いものにでかけたさきで、めずらしく見かけた新鮮なたまごにふと目をとめて、夕餉のメニューをオムレツにきめたときと、ほとんどおなじ色と温度で、あるいはそのときよりも、ともすれば感情の動きが読めないくらいの、まったくいつもどおりの、はかなさに音をあたえたみたいな声で、彼女は言った。そう言って、私と彼女とのあいだをへだてているテーブルの上におかれた、アイスティーをゆったりとした動作で手にとると、そこにささったストローに口をつけた。  アイスティ

          ミスユニバース

          悪魔

           犬を飼っていたの。あなたはそう言って天井から窓へと視線を向ける。見つめていた天井には小さな黒い羽虫が一匹、真白の中にぽつんと張り付いており、あなたの視線が外れるのを待っていたように、音もなくあなたの目の届かないところへと飛び去っていく。窓の外には低く暗い雲が立ち込めており、いつもなら見えるいくつかの山の峰を覆い隠している。  遠雷が地に敷き詰められた家々の屋根をつたい、アスファルトを這って耳に届く。あなたは目を閉じて耳を澄ます。あとどのくらいでそれが頭上にやってくるかを考え

          本を作ったこと

          昨年の、ちょうどこのくらいの時期に、『さよならの衛星』という紙の本を作ってみた。 私がいままでに書いたお話たちをつめこんで、私が書き手としても読み手としても信頼している友達ふたりに解説をもらって、もし本を出すならこの人の絵をつかいたい、と常々思っていた人に絵をもらって、あとは書き下ろしをひとつ。 そうしてできあがったものが、おもしろかったかおもしろくなかったかは、私が言うことでもないとして、私としては、作っていておもしろかったし、満足しているので、よかったと思う。 もと

          本を作ったこと

          真を写す

          写真を撮るのが好きだ。 とくに、なんてことない、どうでもいい、ふだんは気にもとめない、日常とよばれるものの片隅でじっと息を殺していたり、あるいは目の前にいつだってあるのに、その存在を無視されているものを撮るのが好きだ。 それらはたとえば、標識だったり、電柱だったり、ポストだったり、空だったり、木の枝だったりする。 写真を撮ると、いつだって私はただしくないのだと知る。 いろいろなものを撮るとわかるのだけれど、目で見たままのものを、目で見たままに写真に残せることはまずない

          素肌をさらして

          夏が、なにごともないまま、なにごともないことが、ほかの夏とは違う、とくべつな色になりそうなまま、終わるかもしれない、と思っていた。 地元の夏祭りだとか、すこし遠くでひらかれる花火大会だとか、そういったものがのきなみとりやめになるなかで、古い友人から、ふいに、花火をしよう、とさそわれた。 実家の物置のおくに、何年前に買ったものか、それとももらったのかもしれないけれど、すっかり忘れ去られていた、手持ち花火のセットがあった。それを伝えると、じゃああらためて買わなくてもいいか、と

          素肌をさらして

          線を引く

          人は線を引くいきものだ。 いろいろなものに、いろいろなものとものとのあいだに、線を引きたがる。むすんだり、つなげたり、あるいは切り離したり、分断したりする。 星と星とを線でむすんで、不思議な物語をそこにつむいだかと思えば、なにもない土の上を見えない線で分断して、こちらがわとむこうがわという区別をつける。 あらゆるもののあいだに、むすばれたりつながれたり、切り離されたり分断されたり、目に見えるそれ以上に、たくさんの線が存在して、それらはほとんどが、人の手によって引かれたも

          耳障りな動物

          実家の洋室にアップライトピアノがある。 幼稚園に通いはじめたころ、ピアノを習うようになった。そのときに買ったものではない。私よりさきに姉がピアノを習いだしていて、私はふとしたときに、そのことをうらやましいと言った。 姉がなぜピアノを習いはじめたのかを私はしらない。ピアノがいつから家にあったのかもしらない。はじめにピアノがあって、だから姉が習いはじめたのか、姉が習いはじめたから、ピアノが必要になったのか、私は気にしたことがなかった。 姉といっしょに、土曜日の午後、駅前にあ

          耳障りな動物

          声が届きませんように

          夕暮れどきが苦手だった。 友人とわかれなければならない。「またあした」とおぼつかない約束をして、したしい人とはなれなければならない。丘のうえに立つ無機質なサイレンからさみしげな音楽がながれてきて、名づけることのむずかしいおかしな色の空いっぱいにひろがっていく。私の足をせかす。 よく遊びにいった友人の家があった。そこからの帰りみち、おおきな庭のある家の、その庭先に犬がいた。庭に見おとりしないおおきなからだの、茶色い犬だった。オスかメスかはしらなかった。だから、彼というべきか

          声が届きませんように

          雀と花束

          幼いころ、動物の死骸をよくひろった。 登下校のときであったり、友人の家にむかうときであったり、母と買いものにでかけたときであったり、ひと月に一度はなにかしらの死骸を目にした。 犬であるときもあったし、猫であるときもあったし、たぬきであることもあったし、鳩やカラスのときもあった。私はそういうとき、いつもそれをひろいあげて、家にもちかえっていた。 片側二車線の道路のまんなか、白い破線のセンターラインの、破線の切れたところによこたわっている猫らしきものを、そこまでいってひろっ