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本を作ったこと

昨年の、ちょうどこのくらいの時期に、『さよならの衛星』という紙の本を作ってみた。

私がいままでに書いたお話たちをつめこんで、私が書き手としても読み手としても信頼している友達ふたりに解説をもらって、もし本を出すならこの人の絵をつかいたい、と常々思っていた人に絵をもらって、あとは書き下ろしをひとつ。

そうしてできあがったものが、おもしろかったかおもしろくなかったかは、私が言うことでもないとして、私としては、作っていておもしろかったし、満足しているので、よかったと思う。

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もともと、ちょっとしたお礼とか、自分自身の再確認とか、内向きな動機が主なもので、たくさんの人に読んでもらいたい、と思って作りだしたものではないから、数もそんなに刷らなかったのだけれど、おかげさまでのこりは一冊となった。

もしその一冊、ほしいという人がいたら、こちらで売っているのでよければどうぞ。

絵と解説はいただいたものだから、それ以外のところで、私のお気に入りは本のタイトルで、これはもともと、このなかにおさめたお話のひとつのタイトルを考えていたときに思い浮かんだものだ。

いいな、と思って、ちょっとばかりよすぎたから、ひとつのお話のタイトルにするのがもったいなく思えて、pixivにあげるときの詰め合わせのタイトルにした上で、いつか本を出すならこれにしよう、ともひそかに思っていた。解説でもふたりともにふれてもらって、満足感がたかい。

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「さよなら」というのは、とても身近な言葉で、何気なく日常にひそんでいるように見えて、でもふと思い返してみると、あんまり使う機会のないものだ。

友達との別れ際には「じゃあね」とか「またね」とか「バイバイ」とか言うし、仕事やバイトの仲間や先輩には「お疲れさまでした」とか「失礼します」とか言う。なにかこう、その地位というか、言葉としての普遍性のわりに、誰も積極的に口にしない。

いちばんその言葉にふれていたのは小学生のころだったと思う。

一年生とか二年生のころ。みんなで声をそろえて、さようならと言った。

先生、さようなら。みなさん、さようなら。

それは終わりとおわかれをことさらに意識させて、すこしだけ息がつまった。だからその響きには、幼さを思い返すときの甘苦いするどさみたいなものがある。

幼さが遠ざかっていって、「さよなら」もそれにつれて遠ざかっていって、終わりやおわかれが曖昧になっていった。

大人になることのひとつは、いろいろなものが曖昧になることで、それをよしとできることにある。さよならという言葉によってきっちりと線の引かれていたところが、その線がかすれて、ぼんやりとしていって、最後には見えなくなる。

時間もそうだし、人と人もそうだ。

この人とはもう会うことはないかもしれないな。そう思っても、私たちは「さよなら」とは言わない。さよならには、いつだって、幼いころにみんなで毎日声をそろえていたそこにだって、覚悟めいた重さがあった。私たちはその重さに敏感だから、線を引きたくないから、曖昧にしたいから、だんだんとそれを口にしなくなっていく。

それでもあえて、さよならを口にするとき、そうして線を引くとき、私たちは孤独のなかにいる。

こちらとあちらに線が引かれて、こちらがわには誰もいない。私しかいない。

さよならには相手が必要で、ひとりきりではできないもので、だからこそ、孤独になるために、私たちはひとつ呼吸をととのえて、足元を見つめてから、さよなら、と言う。

そこにもしかしたら、普段は見ることのできない、ひとりになったからこそ見える、衛星が浮かんでいるかもしれない。ひとつかもしれないし、ふたつ、みっつとあるかもしれない。

それはひとりきりになった私を見つめるもので、ひとりきりになった私が見つめるものでもある。

よりそってくれはしない。よく晴れた夜の月の白々しさみたいに、まわりの星々のあかりを淘汰して、むしろひとりであることを、まざまざとつきつけてくるもの。

知らぬ間に、自然と、幼さとともに気づけば周りから消えていって、あるいはもう忘れてしまったかもしれない「さよなら」の言葉に照らされて、はじめて見えるもの。

そんなものがすこしでも書けていて、感じてもらえていたらうれしいな、と思う。

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