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声が届きませんように

夕暮れどきが苦手だった。

友人とわかれなければならない。「またあした」とおぼつかない約束をして、したしい人とはなれなければならない。丘のうえに立つ無機質なサイレンからさみしげな音楽がながれてきて、名づけることのむずかしいおかしな色の空いっぱいにひろがっていく。私の足をせかす。

よく遊びにいった友人の家があった。そこからの帰りみち、おおきな庭のある家の、その庭先に犬がいた。庭に見おとりしないおおきなからだの、茶色い犬だった。オスかメスかはしらなかった。だから、彼というべきか彼女というべきかわからないけれど、そのほえる声はひくくてふとかったから、私はずっと彼だと思っていた。

彼は鎖につながれてふだんはふせっていて、その家の前を人がとおるとのそりとおきだして二、三度ほえた。なにかをねだるでも威嚇するでもない様子で、ただほえることが仕事だというみたいに無表情だった。

私は彼が鎖からはなたれているところを見たことがなかった。散歩をしているところも見たことがなかった。いつでも彼はそこにいた。いつから彼がそこにいたのかわからないくらいのあいだ、彼はずっとそのようにしてあった。

サイレンから夕暮れの音楽がながれてきたとき、ちょうどその家の前を通りがかったことがあった。落ちていく日の名残をおしむみたいに、『新世界より』の第二楽章はゆっくりとあたりに満ちていて、山肌にはねかえったものや、もっと遠くのサイレンからうっすら聞こえてくるものとかさなりあって、あいまいな輪郭をしていた。

いつも私のほうを見てからおきあがるのに、彼は私のほうを見ていなくて、しかしいつもみたいにのそりとおきあがると、その音楽に自らの声を重ねるようにして、ほそくながく鳴いた。

息のつづくかぎり、ときおりその声がふるえたりかすれたりして、そのたびに息つぎをしながら、彼は音楽が鳴りやむまで、ずっとそうしていた。私のことなどまったくの些事だというふうに、そのあいだはいちども私のほうを見なかった。

私は足をとめて、そんな彼を見ていた。その声の真に迫った感じは、もっとほかに、私なんかではなくて、その声を本当に届けたいだれかがいるのだと思った。それがだれなのか、私にはわからなかった。

音楽がなりやんで、山向の暗くしずみだした藍色にゆるやかな尾をひきながらとけていくと、彼ははじめて私を見た。彼は私にむかって、一度だけ、ひくくてふとい声でほえたから、なんだかとがめられた気持ちになって、私はかけだしていた。

家につくまでのあいだ、今日という日の終わりに際して、「またね」とだけいってわかれた友人のことを思った。本当に、また、があるのか、やけに不安になった。

それから、夕暮れどきが苦手になった。

あるいは私は、彼とおなじようにして、彼とおなじような緊切さでもって、今日の終わりを迎えなければならなかったのではないか?

今日わかれて、もしかしたらもう、会うことのない人がいるかもしれない。ふりしぼっても、もう届くことのない私の声を、それでも届けたいと願うおろかさと、切実さでもって、朱色と藍色のあいだの、名づけられない色をした、薄くまばゆい空をながめることがある。

先日、何年かぶりに、ちょうどサイレンから『新世界より』の第二楽章がながれだしたとき、あの家の前をとおった。

彼の声は聞こえなかった。

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