「すべては無」理論のその先
※今回、ライトに書きます。
「これが好き!」ってことでも
遊びだったらいわゆる無駄。
「こうした方が良い」ってことは
あくまで手段。実質は無い。
ゆえに、すべては無。
そしてこの理論の行き着く先は、
すべては無で意味の無い世界なのだから
贅沢・快楽は多い方が良いと言う
自己中心の世界。
…余計、皆が苦しくなって
世界中、生きづらくなってしまうだけなのにね。
でもそこで皆が一人一人、自分なりに適切に考えて
それぞれがそれぞれに動いて行ったら、
皆がそれぞれに輝ける世界になるかもね。
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