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アラサー拗らせ人生とこれからの話 │カズ丸

みなさんはじめまして。現在不動産の会社に勤めるアラサー社会人のカズ丸です。

日々生活をしていく中で、薄々気づいてはいましたが自分の発信力の弱さを改めて感じるようになってきました。
大学生のころからやっていたSNSもFacebookは放置し週1回少し見ると誰かの結婚報告、instagramはアップするようなキラキラ写真もなく美女を見る専用、twitterは表なのか裏なのかよくわからないアカウントを細々と更新していました。
とはいえSNSを見ていると様々な面でうらやましく思えることもあり、もっと自己表現や発信をしていけば自分も人としてレベルが上がるだろうと思い、twitterやnoteに注力しようと考え、まずは行動しようと思っています。

一発目のnoteという事で、私がどういう事を経験して何を考えているのかを自己紹介として、知ってもらえると幸いです。前提として文章力や語彙力は激弱ですのでご了承ください。

生まれ~幼少期

私は、現在30過ぎで東京在住の独身です。
出身は愛知県の豊川市。有名なものとしては豊川稲荷くらいでしょうか。
愛知出身というと名古屋?と9割方聞かれるのですが、静岡に近く、家の周りにはサルや鹿などが当たり前のように出てくる田舎です。
両親は父親が教員、母親が教員ではないですが学校の事務員、祖父や祖母も教員や教育委員会、姉と義兄も教員と、教育系一家でした。
教育一家といっても厳しすぎることもなく、比較的自由でやりたいことはやらせてくれ、悪いことをしたら怒られ、ごく一般的な教育を受けて育てられました。
小学校までは外で遊ぶのも家でゲームするのも大好きで、特に体を動かすのは大の得意で、運動神経だけは誰にも負けませんでした。
なので将来の夢はプロ野球選手。特に少年野球に入っていたわけではないですが、、、
ただどこかのタイミングでもう一つ「大工さん」、と書いた記憶があります。私の実家はド田舎なので庭でピッチングができる以上の庭のある家で、父親がガーデニングが好きだったこともあり畑をBBQ場にしたりと一緒になって行っていたり、地域特有なのかわかりませんが「餅投げ」という家を建てる時の行事があったりと、自然と今の職業に結び付いていったのかもしれません。

中学・高校

中学からはひたすら部活に励んでいました。運動神経は相変わらずよかったのでそれなりに活躍はできましたし、キャプテンも任されていました。
正直このころが一番モテたんじゃないかというほど学校の中では有名人な気分でした。
受験勉強もほどほどにし、家から自転車で通える公立高校に進学しました。
高校進学後も野球の部活漬けでした。といっても最終的にレギュラーでもなかったし、チームとしても県大会初戦敗退でした。今思えばあの時もっとやれたな、とか自分に甘かったなとかは思うところはあります。やれるときにやれることを全力で行わないと後になって悔しくなりますね。
部活引退後は受験勉強、田舎から抜け出したくて東京の大学を目指し、第一志望の大学に合格できました。
この時の志望学科は建築学科、やはり小さい頃に染みついていた気持ちが影響していると感じました。
高校時代の恋愛事情は1年のクラスで一緒になった子がずっと好きで、ただ向こうには彼氏がいたり、でしたが、高校3年の卒業間際になってその子が念願の初彼女になってくれたのです。付き合ったのとほぼ同時に遠距離恋愛開始でもありました。

大学生活

大学は念願の東京進出。
高校まで頑張ってきていた部活は入らず、バイトと建築の課題に真面目に取り組むどこにでもいる学生になりました。
前評判通り課題の量がやたら多く、というより建築が好きなのでとりあえず出せばいい、というわけにもいかず、個々がこだわりを出そうとすると終わるに終われない、というものでした。
ただ製図室という24時間使える部屋で図面を書いたり模型を作ったり、気づいたらスマブラ大会が始まったり研究室でタコパして寝泊まりしたりと、あのころのエネルギーはすさまじかったです。
真面目に取り組むと他の大学の建築学生が集まるインカレサークル的なものにも参加するようになり、伊豆大島に泊まり込みでセルフリノベーションしたりなんかもしたりと、それなりには充実していました。
このころには遠距離だった彼女ともお別れし、拗らせ男子・セカンド童貞の道へまっしぐらとなりました。

就職とその後

その後大学院まで進学し就職するのですが、就活は結構舐めていました。
理系の専門職だしとりあえずやってきたこと言えばまあまあなところはいけるかなーくらいで考えてましたが、そんなに甘くはないですね。
結局、ディスプレイ業(店舗や施設の内装をメインで行う職種)の当時で言うと一部上場企業には入ることができました。
ディスプレイ業界では忙しいで有名な企業でしたがいろんなことがすべて一人で経験できる、という点では評価が高い企業でした。
忙しさのレベルで言うと時間外労働は100時間越え、SCの店舗をやると夜間現場に行ったりと生活リズムが狂うし、もちろん土日出勤も多い。
今思えば新卒で入っておいて、ハードさには耐性がしっかりついたのでありがたく思っています。なんだかんだ面白かったですし。
たださすがにずっと続けていくのは体にもよくないし上の方々を見てもこうなりたいと思えない、という理由で転職をし1社挟んで3社目で現職の不動産の企業に至っています。
この間に「一級建築士」や「認定ファシリティマネージャー」、「宅地建物取引士」という資格を取得することができましたが、資格や仕事内容などの話は今後別のnoteで書いていきたいと思います。

さて、仕事の話以外だと、相変わらず拗らせ男子・セカンド童貞は継続期間が長くなってました。そこで巷ではやりだしていたマッチングアプリに手を出しはじめ、「彼女ほしい」と「遊びたい」がぐるぐると頭の中を行ったり来たりしながら、女性との接触を深めて行く期間が数年前から現在に至るまで長く続いているのです。
真面目に女性と出会おうとしてもいい人止まり、そこで気づいたのは女性経験が圧倒的に少なかったなと、これまで真面目に過ごしてきましたが、20後半になって取り戻そうと自分なりでできることには手を出し、経験人数も年連に追いつきそうなくらいまでになりました。
引き続き遊びたい半面、30にもなってこのままでいいのかなという気持ちもありました。

次のステージへの一歩

周りの友人は結婚し子供ができ、独立したり稼いだりしている、一方で私は人生のステージにおいては足踏み状態。
なにもかもそれなりにはいいのだが中途半端、そんな状況は自分でもなんとか改善していきたいなと感じています。
彼女を作って結婚するのか、会社でトントン昇進するのか、副業や独立をするのか、やれそうなことはやります。このnoteはその一歩目として。

つらつらと書かせて頂きましたが3000字近くなると自分でも長いなと思います。
今後も平凡な人間ならではの仕事の話や男女の話、役立つかわからないですが有益そうな話は発信していきたいと思いますので、同じ境遇の方やそうでない方もぜひお付き合いいただけると幸いです。
どうぞ宜しくお願い致します。

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