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なぜ「命」を大切にしなければいけないのか?

最近、「なぜ命を大切にしなければいけないのか分からない」という子供が増えている、と知り合いの寺の和尚が言っていました。

「とんでもない話だ、学校がきちんと教育しないからだ!嘆かわしい」
と言うトーンで。

私はその時正直言って
「なんて素直な子供なんだろう」と感心しました。

それは、一つに大人の自己都合的な矛盾があります。

例えば、
「殺生はいけない事だが、他人が殺した牛の肉ならば食べてもOK!」とか、「アルコールで手を消毒する時の細菌の大量虐殺は見て見ぬふり」など。

このように挙げればきりが無い程、人間は他の生物をむやみに殺し続けながら生きています。明らかに「生きるために仕方ない」、というレベルを超えて。


そこで大人は、こう教えます。
「人間は生きるために他の生命を奪っているのだから、食べる前に感謝しましょう」
(アルコールで細菌を虐殺する時にはお祈りはいらないのか?という疑問は置いて置きます)

これって冷静にみると、極めて自己中心的な考えです。
「死なしてしまってごめんなさい。そしてありがとう」と心の中で呟きさえすれば、その罪が簡単に消えてしまう訳ですから

家畜として飼われ、殺された牛からすればそんなお祈りなど糞ほどの価値もないでしょう。
「ふざけんな!精一杯努力してからモノを言え!」という声が聞こえて来そうです。

命を大切にするとは本来、「殺さない」という現実的な行為です。自分への正当化と慰めではない筈です。

しかし、問題の本質はそこではないと考えます。


何もその子は、小動物に対するいたわりや優しさが無いわけではないでしょうし、「他人の痛みが分からない」という訳でもないと思います。

出来れば生物を殺したくない。でも殺さなければ社会生活が成立しない。それが現実であるのに「命を大切にしないといけない」とは、どこからやってくる理想論なのか?
と腹で感じている訳です。

なので、そこに俗人の説法もご都合主義的な道徳観も入る隙はありません。

では、問題の本質とは何なのか?

それは「命」とは何なのか誰も説明できないという事実です。

「命」そのものが何であるか誰も説明できないのに「命」を大切にしようというロジックが分からない、という事に繋がります。


本当に「命」を大切にしようと思うならば、あらゆる偏見を捨て、真剣に命とは何であるかを探求する必要が生じてきます。

かけがえのないもの、尊いもの、という結論ありきの教育は本質から遠ざかるだけです。

そういう事を言う人に限って、血の滴る様なビーフステーキを美味そうにむさぼって、蚊取り線香を焚いて快適に暮らしています。つまり何の説得力もありません。

という訳で、事前準備が整いました。
次回からは生命とは何なのか?という考察を書き綴りたいと思います~






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