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自分を過小評価するのは、もうやめた #磨け感情解像度

Why do nice people choose wrong people to date?
(なぜ良い人ほど、ふさわしくない相手を選んでデートするの?)

We accept love we think we deserve.
(それは自分に見合うと思うからじゃないかな。)

Can we make them know that they deserve more?
(本人に自分の価値を教えることはできる?)

We can try.
(そうだね、できると思うよ。)

これは、映画『The Perks of Being a Wallflower(ウォールフラワー)』に出てくる、主人公チャーリーと彼の恩師であるアンダーソン先生のやりとりだ。

チャーリーが好意を持つ女の子にはデート相手がいるが、チャーリーはその人が彼女にふさわしいと思えない。そんな時、信頼できる数少ない人物のアンダーソン先生に問いかけるというシーン。

私は、”We accept love we think we deserve.” の一言にハッとさせられた。これは私のことだと思ったからだ。

「うまくいかない」ことは薄々わかっているのに、それでも一緒にいたいと感じてしまう、あの気持ちは一体何なんだろう。

なぜ、自分の価値を下げるような恋愛...その名も『過小評価型恋愛』をしてしまうのだろう?

過小評価型恋愛

まず、このタイプの恋愛は「(他者)承認依存」と「失う恐怖」の2つの要素で構成されていると思う。

承認依存
これは、他人からの承認無くしては自分の価値を見い出せないことを指す。

私の場合、自分の外見にコンプレックスを抱いていた時期に出会った人から「綺麗」「可愛い」「セクシー」といった甘い言葉を言ってもらえると、それだけで心が満たされた。もっとその言葉を聞きたくて、ズルズルと付き合うこともあった。

その時は自分を客観的に見れなかったので、その関係を美化していたが、今ならわかる。私がその人たちを心から好きだったのではなく、自己肯定感を高めてくれる人だったから一緒にいただけだと。

つまり、自分に自信がないから他人に依存しようとする。でも、その人がいなくなると、自己肯定感も自尊心も失ってしまう。なぜなら、そもそも自分を愛せていないから。

失う恐怖
そして、自分を愛せないと、自分に自信を持つことができない。だから、「こんな私を好きになってくれる人は、もう他にはいない」と思い込んでしまう。

私自身、何度も自分にそう言い聞かせたことがある。

だって、誰にも出会えなかったら独身のままになるし、独身でいることは不幸を意味するから。

1人になることを考えたら、今の人と一緒にいた方がましだ。彼は少なからず私を好きでいてくれるし、多少の不満は我慢したら良い、と。

だから、付き合っている相手が例えモラハラ男だろうと一緒にいた。

感情を言語化して気づいたこと

私はこれまで仕事中心の人生を歩んでいたので、過去の恋愛パターンを振り返ることもなく、承認欲求を満たすための恋愛ばかりしてきた気がする。

でも新型コロナウイルスが発生して経済がストップした時、久しぶりに「立ち止まって考える時間」が生まれた。なので、外出自粛期間中はこの時間を活用して、とことん自分と向き合うことにした。

自己肯定感、自尊心、自己愛にまつわる本や講演動画、友人とのディスカッションを通して、自分との対話を深めていった。

そして、少しずつ自分の感情や思考をnoteにアウトプットしていった。

すると、少しづつ心が軽くなっていくのを感じた。

自己嫌悪の根源が明確になり、他人の目ばかり気にして、何かにすがっていないと心を保てなかった自分を認めてあげられるようになっていた。

自分の感情を細かく言語化することで、今まで目を背けていた部分もひっくるめて、ありのままの自分を受け入れられるようになっていた。

自分を過小評価したり、過去を振り返って自己嫌悪に陥るのは、もうやめよう。

その代わり、「自分にとっての幸せ」を貪欲に追求していこう。


Special thanks to @illy / 入谷 聡 さん。

今回 #磨け感情解像度という、素晴らしい企画に参加させていただいた。これまで自分の感情を曖昧に表現しがちだった私にとって、感情を一つ一つ分解していくのは難しいことだったけど、「自分との対話」という豊かな時間が生まれた気がする。

素敵な機会を与えていただき、ありがとうございました。

Photo by Thor Alvis 


応援いただき有難うございます!いただいたサポートは、自分のスキをさらに磨くための研磨金(?)として使わせていただきます (^^)