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クリエイティブ・ペアレントへのインタビュー第5回:作曲家の渡辺裕紀子さん

現代音楽作曲家の渡辺裕紀子さんは、ドイツのケルンに6歳になる娘さんと韓国人作曲家のご主人と3人で暮らしています。多文化と多様な音に囲まれた環境の中で、作曲という同じ仕事する夫婦が、子育ても柔軟に協力しながら対等に行なっています。

渡辺さんは、芥川作曲賞やオーストリア若手作曲賞など世界の名だたる作曲賞を受賞されています。また、オンラインで音楽を学ぶ『さっきょく塾』や若手作曲家をサポートするプロジェクト、さらに中堅女性作曲家サミットの企画運営をするなど、音楽の新しいプラットフォームをつくる活動を積極的に行なっています。

日本では、桐朋学園大学で学びながら、同時に若手のための現代音楽の場を生み出す活動を積極的に行なっていました。その後オーストリアのグラーツ音楽大学修士課程を首席で卒業され、さらにドイツ、ケルン音楽大学のコンツェルトエグザーメン課程を修了し、このケルンに引っ越し出産されました。

インタビューはドイツで世界トップの音楽家たちと学び、仕事する多忙な日々の中での子育て環境について話していただくことから始まりました。

「子どもが生まれた時、ケルンはちょうど多くの難民の方々を受け入れる時期でした。そのためもあって、外国人であるわたしたちにとっては、0歳から預かってくれる施設を探すのがとても難しく、保育園に入園できるまで主人と二人で子どもをみていました。私が大学へ行くときやコンサートへ行く時は、夫が子どもの世話をし、またその逆に夫が外で活動する時は、私が子どもの世話をしていました。フリーランスの作曲家として一緒の価値観を持っているので、柔軟に協力することができます。

—ドイツで子育てすることで、よかったことはなんでしょうか?

環境として何よりも大きかったことは、多文化であったことです。グラーツの大学は、学生の半分ほどが中国や韓国からのアジアの学生で、イスラム系の学生は少なかったのですが、ケルンでは難民が受け入れられ、様々な文化の人たちが暮らしています。そのため当たり前だと思っていることが、当たり前でないのです。例えば日本のグミのようなお菓子、ハリボーというドイツ菓子があるのですが、娘のイスラム教徒の友だちは、食べることができません。なぜなら豚のゼラチンが使われているからです。娘はそのことを自然に受け入れています。

日本だと幼稚園の先生に対してある共通したイメージを持っていると思うのですが、ここでは幼稚園の先生の手に大きくタトゥーがあったりして、日本にあるいわゆるひとつのイメージとは異なります。小さい時からそれを自然に受け取っているのが、良いと思っています。

また日本の音楽大学では、経済的に豊かな家庭の学生が多いのですが、それとも異なり、娘が難民の子どもたちともともに育っていることは、とても良いことだと思っています。」

幼いうちから知らず知らずのうちに先入観やイメージを与えてしまいがちな日本の社会のなかでは、子どもの選択肢は小さい時からせばめられがちです。ひとつのレールに乗ることが「順調な」成長と思われ、子どもがそれから外れて、独自な道を進むことが難しくなっています。小さい時から社会で決まったイメージを持つのではなく、多様な文化と生き方の在り様を自然に受け取れる中で育つことは、グローバル化する世界の中でとても大きな体験であると思います。

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「娘は私がとても多忙な時に生まれて育っています。フランクフルトがベースのアンサンブル・モデルン・アカデミーの奨学生に選ばれた時期でもあります。ケルンとフランクフルトで半々で生活していました。カナダのアーティスト・イン・レジデンスにも招かれましたが、その時もいつも一緒にいました。私のコンサートやリハーサルなどにも連れて行きました。だから娘はとても小さい頃から私と一緒に様々な音楽体験を得ています。アンサンブル・モデルンは、世界最高峰の現代音楽のアンサンブルですが、メンバーはとてもフランクで娘を連れて行っても、可愛がってくれました。だから娘を連れていることがストレスに感じることは、ありませんでした。娘にとってはモデルンやその周りに集まる世界トップの音楽家の素晴らしい音を、自然に聞く機会となりました。親子で一緒に大変恵まれた機会となったのです。」


—コロナ禍ではどのように娘さんと過ごしていましたか?

「ドイツもコロナ禍では突然ステイホームとなりました。金曜日に幼稚園に行ったら来週の月曜からは自宅待機が始まると言い渡され、突然ステイホーム期間が始まり、娘は友だちと遊べなくなりました。

その間は、絵本を作ったりしました。娘は絵を描くことが大好きなのですが、絵を描きながらこの場面には、こういう曲が良いと口ずさみます。それを音符にするとこういう風になるのだよ、と私が楽譜にします。娘が口ずさむものを夫も音符で描いてあげたりします。またピアノでこういうメロディを弾きたいと表現する時も、それはこうやって描くのだよと音符を五線紙に描いて見せています。家の中では、おもちゃと楽器の区別がありません。音がなるものは、私と夫にとってもどんなものでも音楽を構成する楽器となり得ます。だから娘も、おもちゃと楽器は区別なく使って遊んでいます。

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私は松本で育ったので、松本で開かれていた桐朋学園大学の“子どものための音楽教室”の二期生として通っていました。また姉がピアノ教室に通っていたので、一緒に連れて行かれて自然にピアノを聞き、その後ピアノを習うようになることも自然の流れでした。耳で聞いて覚えること、耳で聞く音の種類が多いことはとても大切です。エレクトーン、ピアノ、バイオリン・・・等、色々な周波を聞くことが、音の世界を豊かにします。その中には、様々な言語を聞くことも含まれます。言語によって音が異なりますが、娘は日本語・韓国語・ドイツ語と三ヶ国語を生活の中で使い多くの音を聞いています。娘の名前も日韓、そして欧米でも発音できるものを意図的に選びました。韓国語と日本語の両方で発音できるコンビネーションで決めました。韓国語の音は、日本語のアイウエオ表では表現しきれない音が多いのですが、共通する少ない音から選び、ドイツ語でも読みやすいものにしました。

アンサンブル・モデルンのリハーサルなどで世界トップの音も聞いています。ケルンフィルハーモニーの無料のランチコンサートや子どものためのプログラムにも連れて行ってます。ドイツにはトップレベルのプロの音を聞く機会がたくさんあります。また、家の横が森なのでそこで遊ぶことが多いのですが、森の自然の音も聞いています。石を拾って色を塗ったりして遊ぶ中で、自然に聞いています。」

渡辺さんが育った長野県松本市は日本ではめずらしい、世界トップレベルの演奏やさまざまな音楽に触れることのできる街です。指揮者の小澤征爾さん主催のセイジ・オザワ 松本フェスティバル(旧称サイトウ・キネン・フェスティバル松本)やスズキ・メソードや、渡辺さんが通われていた桐朋の音楽教室など、街にはさまざまな音とそれを紡ぐ人と触れ合う機会があったでしょう。娘さんには、多文化が共存するドイツで、より豊かで自然な音環境で暮らせる様にこころがけているようです。

定められた楽器からの音だけを音楽として受け入れるのではないという現代作曲家の渡辺さん夫婦のヴィジョンが、娘さんが音とふれあい遊ぶ豊かな日々に反映されています。そこには多様な生き方、感じ方、価値観があるということがベースとなっていて、音楽も生き方も同じように、多様であることで豊かになっていくということを家族の日々の暮らしの中で実感・実現されています。

(次週、インタビュー後半につづく・・・)


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[アンサンブルモデルンアカデミー時代に、ジョン・ゾーン作曲のコブラという作品を演奏した時のもの。娘さんがリハーサル見学に来た時の写真。]


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"連載『クリエイティブ・ペアレントへのインタビュー』シリーズ"

子どもがクリエイティブに生きるには、

クリエイティブな生き様に触れることが一番です。

しかし、これは子育てだけでなく、

わたしたち、親やすべての世代のひとに言えることです。

クリエイティブな生き様にふれることで、

こんな道、こんな生き方があるんだ

と励まされたり、確信をつよめてさらに自分の道を歩いていけます。

このnoteでは週末を中心に、いろいろなクリエイティブ・ペアレントの方のインタビューを連載しています。


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