【愛着障害・うつ・AC】病を生きる「母はなぜ、あのようであったのか?」
生きているととても理不尽なことが起きることがあります。
そんなとき人がとる反応として、「なぜ、あのようなことが私の身の上に起きたのでしょうか?」と問い続けずにはいられなくなる事があります。
たとえば親からの虐待で、からだやこころに瀕死の傷を負うことがあります。
そんなとき、「母は、なぜ私を○○しようとしたのでしょうか? それを知りたいのです」と問う人がいます。
この、なぜ?と問うている人は、合理的な説明を求めているのではありません。
お母さまは、○○性障害という精神疾患がお有りになって、あなたを傷つけたのです、そんなことを聞きたいのではありません。
その人は「ものがたり」を必要としているのです。
母と私は、どのような因果で、どのような巡り合わせで、いま此処でこうして出会って、こういう関係でいるのかを知りたい、と言っているのです。
そんな、こころの「ものがたり」を探しているのです。
私と母との複雑にからみ合った関係にもそれは当てはまりました。私も、母との関係をなぜ?と問い続けずにはいられませんでした。
マイストーリーを語り尽くすうちに、ストーリーはどんどん書きかえられていきました。ニ十年間、ずっとその繰り返しをしてきました。
そうすると、私の人生を構成している要素は同じだけど、まったく違った枠組みで人生を捉えなおし、まったく新しい意味づけを人生に与えられるようになりました。
そんなふうに人は、自分の「ものがたり」を見つけるまで、なぜ、このような事が私の身の上に起こったんでしょう? と問い続けるのでしょう。
「ものがたり」をこころの底まで落とし込むことができると、そこでやっと自分の足で立ち上がることができるし、やがて新しい人生に旅立っていけるのでしょう。
それならば、病を生きることは、人生のイニシエーションと言えば言えるのかもしれないと、どこかで聞いたかもしれない誰かのセリフを思い出しているのです。
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