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「楽園」に住むということ(1)


「楽園」に住みたがる人は、あるいは実際に住んでしまう人はどういう人か、ということが以前から気になっていた。

結論から言えば、生きていくのに一番大切な「安心感」を母親からもらいそこねた人である。

あ、ちょっと飛躍しすぎましたね。途中を抜かしていきなり結論を。すいません、少しずつ考察していきますね。

これは「南の楽園」石垣島に移住した私の、ここだけの打ち明け話。

よろしかったら、お付き合いください。

私は、日本の最南端、八重山諸島の石垣島に14年前から住んでいる。石垣島の人口の5人に1人は本土からの移住者と言われている。人口5万人、そのうちの1万人は移住者。私もその1万人のうちの1人です。

石垣島は那覇からさらに南へフライト1時間。航空券も、那覇ー石垣は飛行距離のわりには高く、いぜん住んでいた京都からだと、バリ島へ行くのと変わらないくらいする。

16年前、リピーターだった私は、本土からこれぐらい遠くへ飛ばないと楽園には行けない、くらいのつもりでお金を貯めては石垣に旅行に来ていた。


一度来たら、帰りたくなくなる島、石垣島。

後ろ髪をひかれる思いで機上から、サンゴ礁に囲まれた美しい石垣島を見たとき、胸が締め付けられるような郷愁を感じ、また来るからね、とつぶやいていた。そして、しばらくすると、また恋しくなって石垣島に会いに来てしまうのだった。

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ご存知の方も多いと思うけど、八重山諸島は亜熱帯の自然豊かな島々で、地理的にも台湾の東、東南アジアの入口にあたる。南十字星が見えるのは日本でここだけだと思う。沖縄本島では見えないんじゃないかな。

マングローブの森、イリオモテヤマネコ、サガリバナ、ヤエヤマヒメホタル。

夜になると、翼を広げると80センチくらいあるオオコウモリが飛んで、ヤモリが「チェチェチェチェ」と鳴く。「ホー、ホー」と鳴くのはリュウキュウコノハズク。離島に行けば、濃密な夜の闇と満天の星。

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14年前、石垣島に住み始めたころ、不思議な人を目撃した。

私には見えないが、その見えない誰かに向かって一生懸命、話しかけている人を路上で見たことがある。その人にはみえているんだけど、私には見えない。こういう異界か霊界とつながっているサイキックの人がけっこういて、そういう人を島では、神高い(かんだかい)人という。

こういう霊媒体質のひとは島の知り合いの中にもふつうにいる。ふだんはまったくそんな素振りを見せないから気がつかないが、ふとしたとき突然、両親と私の関係を言い当てられてはじめて、この人は神高い人だと気づかされる。神高い人は、あの世の先祖が言い残したことをこの世の人に伝えるメッセンジャーでもある。そのメッセージは気づきと癒やしと新しい視点をもたらし、ときには人生の前提や枠組みまで変えてしまうことがあるほどヒーリング効果がある。私の経験から、そう言える。

ほかにも視力がすごく良くて、夜中でもよく見える、と本人がそう言っている動物的に目がいい人。

また、沖縄全体が神の島で、神司(かんつかさ)といわれる女性が島をおさめていること。神事をたいせつにしていて、沖縄の社会は裏では神様ごとを中心にうごいているらしいこと。もちろん、表では県知事や市長は男性で、政治はやってるけど。

それもこれも、神秘的な話で、にわかには信じられないような話かもしれないけど、すべて私が見たり、聞いたりした事である。

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話がそれたから、もとに戻しますね。

私がリピーターになって何度も八重山に戻ってきたのは、自然と島時間で癒やされたかったのもあるけど、思いやり深い島の人との交流が気持ちのいいものだったから、でもある。


炎天下の竹富島の一周道路を、船の最終便に乗り遅れそうになった私は、港に向かってダッシュしていると、どこで見ていたのか知らないが、一台の軽トラックが追いかけてきてピタッと止まり、「乗りな!」と言って港まで運んでくれたことがあった。


黒島の民宿ですごしたときのこと。人口200人、牛2000頭、透明度の高い海いがい、ほんとに何にもない島、黒島。港のレンタサイクル屋で借りた自転車で島内を走れども走れども、牛にしか出会わない。その黒島で、年末年始を島の民宿で過ごした事があった。

民宿は本土からの旅行者で満杯だった。

黒島出身の女のコに誘われて、二人で泊まりにいったのだが、ちょっと驚いたのは、お節もない質素な料理に、南国といえど真冬で結構寒いのに硬くて冷たいせんべい布団にくるまって、正月から何が悲しゅうてこんな所にみんな居るんか、といぶかしんだが、あとで理由が分かった。私たち二人いがいの宿泊客は全員、この民宿のリピーターだった。つまり、民宿のオジイ、オバア、ニイニイに会いに来ている人ばっかりなのだ。

夕食がすむと、ニイニイが三線を弾きはじめる。泡盛を飲みながらニイニイの唄を聴く。よく観察すると、カップルも一組いるが、ほかは一人客だ。どうやら彼らには、オジイ、オバア、ニイニイのふところが安らげる居場所なんだろう。

オジイは一人客には特によく話しかける。神戸から一人で来ている女のコに、親に電話しろ〜、とオジイが優しく何回も言ったら、女のコは電話していた。若い女性が、元旦から一人で離島の民宿にいるのは、なにゆえに?

電話で話している彼女は、ちょっと涙声だった。オジイの面倒見のよさと、女のコのこころの傷が胸にしみた。こんなところで、親に電話しろ、って言われてできるもんじゃない。オジイにこころを許しているから、オジイの言うことを聞いたのだと思う。

すごく治療的。

島には「いちゃりばちょーでー」という言葉がある。沖縄方言で「出会った人はみな兄弟」という意味だ。初対面の人にもわけへだてなく親切にしてくれて、とてもフレンドリーな島の人たち。家族愛に飢えた旅行者はハマって何度でも島に戻ってくる。ごちそうが無くても、快適なベットが無くても。離島の民宿のオジイ、オバアがお父さん、お母さん代わりなのだ。

疑似家族でも、帰る家があるということが、どんなに心づよいことか。

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そのとき私はすでに離婚して独り者になっていて、移住しても誰もとがめる人もいなかったし、自由だった。

住み始めると、どうだったか。

それがね。島の人とは、真に解り合えるのはむずかしい、という印象をもった。どういう事かというと、私にとっては楽園、つまり非日常で、旅するように住んていたい。だけど、島の人にとっては毎日は日常で、生活者だっていうこと。

例えば、島の人にとっては自然はありふれたもので、今さらなんの感動もないし興味もない、という。「自然のどこがいいのか、わからない」。そう言われると確かに、産まれたときからずっと見慣れた自然を、貴重な宝物と認識するには難しいのかもしれない。

それを知ってから、さびしい思いをしている。交わるところがないんだな、とか、大切なコアの部分は共有できないんだな、とか。これからもずっと、わかり合えないんだな、とか。

じっさい、島の自然環境にとりくんでいるのは、本土出身の人が多い。ぎゃくに、島の人は開発推進派が多くて、もっと発展してほしい、と言っている。


話はちょっと飛ぶけど、私が移住する前に住んていた京都で、景観論争があった。1990年ぐらいだった。そのとき、最前線に立ったのは京都人じゃなくて、京都在住の外国人だった、ということと似てる。

つまり、その土地の環境や景観を守ろうとするのは移住者だっていうこと。移住者にとっては譲れない生き方の問題だったりするから、死守しようとするのは当然だ。

しかし、島には「離島苦」っていう言葉がある。私は石垣島の市街地に住んでいるから、徒歩で10分以内の距離に大型スーパーのマックスバリュとかねひで、ファミマ、ミスド、ホームセンター、郵便局がある。けど、市街地をはずれると何もない。リゾートホテルはいっぱいあるが。離島はさらに何もない。船賃は高い。生活するのに充分な物資が揃っていない。島の人は発展を願っている。

だから、移住者が離島にロマンを求めるのと、離島の人のほんとうの気持ちは相いれない。


ふと、「楽園」といえばゴーギャンを思い出して、ググってみた。

そうしたら、映画「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」の予告編が出てきた。

映画は、19世紀フランスを代表する画家ポール・ゴーギャンの知られざる創作の秘密とタヒチでの愛と苦悩を描いた伝記。2017年制作。

ゴーギャンが島でどのように土地の人と交流し、創作したのか、彼が記した紀行エッセイ「ノア・ノア」をもとに制作している。

ストーリーが泣ける。ゴーギャンが「タヒチのイヴ」と呼んだ野性美あふれる少女テフラ。絵のモデルをつとめ、ゴーギャンの霊感の源泉になった彼女だが、やがて「私も白い服を来て協会に行きたい。私を自由にして」と言い出し、ゴーギャンのもとを去って行く。ゴーギャンがあんなに嫌った西洋文明。ゴーギャンとテフラの思いはすれ違っていく。テフラを失ったゴーギャンは…

ゴーギャンの気持ちは痛いほどわかる。



楽園を手にした時から、楽園は楽園でなくなる、というのは本当のようだ。

「楽園に住むということ」は、まだまだ続きます。

続きは後編で。

後編では急転回します!


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休憩してください。


ソーキそば、をどうぞ。


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