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「楽園」に住むということ(2)

「楽園」を生きる場所に選んで成功した人たちの共通点

「南の楽園」石垣島に移住して14年の私が、見たり、聞いたり、感じたりした、ここだけのレアな話を綴っています。

まず、前回の振り返りを。

「楽園」に住んでしまう人は、どういう人か? それは、生きていくのに一番大切な「安心感」を母親からもらいそこねた人。

(1)で、私なりにそう結論づけました。

そして、後半はそこに向かって飛行を続ける予定でした。ですが、そのまえに、どうしてもお話しておきたいことを思い出したので、目的地に着地する前に、ちょっと脱線しますね。

しばし、お付き合いください。


どうしても話しておきたいこと、というのは、二つあります。

◆一つは、「楽園」に失望したとき、どうするか。留まるのか、去るのか。

◆もう一つは、「楽園」を生きる場所に選んで成功した人たちの共通点。

大切なお話も含まれていますから、どうか最後までお付き合いください。

まず、「楽園」に失望したとき、どうするか。留まるか、去るか。ということからお話します。

石垣島は移動の激しい島です。日本最南端、八重山諸島の玄関口にあたり、自然や文化の魅力的な島だから、訪れる人が後を絶ちません。また、失望して去っていく人も後を絶ちません。

去る人、残る人。どちらの選択も、私は正解だと思います。当事者が自分の感覚で判断したことですから、間違いありません。

リピーターになって何回も島に戻ってくる人を、「八重山病」に罹った、とコチラでは言います。どういうことかというと、これまで緊張を強いられて生きてきた人は、島に来ると神経系が緩むんですよね。神経系が緩むとどうなるか、というと、この上ない安らぎが訪れて、時間がゆっくり流れていくような感じになります。

「島時間」というやつですね。

体験した人はよく解ると思いますが、この緊張から弛緩への振れ幅が、生まれて初めての心地よーい感覚をもたらして、リラックスと幸福感をもたらしてくれます。だから、島へ何度でも来たくなるし、来たら帰りたくなくなるんです。

身体がゆるんで、呼吸が深くなる。そして、過去の後悔や未来への不安から解き放たれて、いま、ここ、にいる自分だけになります。これが「八重山病」の正体です。一種の瞑想状態ですよね。

私も初めて八重山に来たとき、身体がゆるんで、全身から、ひとりでに喜びがあふれてきたんです。

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初めて旅行に来てから16年、その後、何回もリピートして、移住してからは14年になりますが、実際に住み始めてみると、やはり住んでみないと分からないこともあって、百年の恋もいっぺんに冷めるような失望する出来事もありました。

これは移住者の間でよく聞く話ですが、旅行者のときはウエルカムだったけど、住み始めてみると、島の人はいがいと冷たい、っていうのがソレです。

もともと移民を受け入れてきた島で、石垣島のことを「合衆国」とか「リトル東京」なんて言う人もいます。「リトル東京」というのは、私はどうかと思いますけど。つねに、よそ者が来ていた、ということです。多くは、台湾、宮古島、沖縄本島などです。現在、本土からの移住者は石垣市の人口の5分の1にあたる1万人いると言われています。(中には住民登録されていない人もおられます)

「リトル東京」と言われるのは、ぜんぜん解らないわけではありません。

この島は、47都道府県からの移住者が住民登録しています。北海道の人と都会の人が多いです。ヨーロッパ系の方も少しおられます。これに台湾、宮古島、沖縄本島、地元の八重山の方たちと、それぞれ違った文化とルーツを背景にもつ多様な人たちが暮らしています。遠い国の血を感じさせるエキゾチックな顔立ちの人を見ると、ここは人種の往来のさかんな海洋国家なのだなあと思います。だから、本土の田舎とは様子がずいぶん違っています。

文化人も来ていて、亡くなったヨーガン・レール、田崎真也、林田健司も住んでました。国の機関もあって、環境庁とか、国立天文台、独立行政法人熱帯島おこし研究所、海洋水産研究所もあります。

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16年前に初めて旅行に来たとき、ちょっと驚いたのは、予想に反して、ふつうに街だったということ。そして、大きな島だった、ということでした。私のはじめの想像では、サンゴ礁に囲まれた、自転車で一周できるくらいの、信号機もない小さな島でした。

初めて石垣空港に降り立った日のことは、よく覚えています。春のお彼岸の日に京都から来たんです。

「石垣島は気温27度、天候はれ」機内で最終のアナウンスが流れたあと、さあ、いよいよ飛行機は広いサトウキビ畑の中にある小さな空港を目指して降りていくのかな、とワクワクしながら窓から地上を見下ろしましたが、サトウキビ畑はどこにも見えません。眼下にだんだん街が近づいてきて、さらに滑走路が見えてきて着地したときは、あれっと思いました。旧空港は街中にあったのです。

旅に偶然の余白を残しておきたい私は、前情報をほとんど入れずに飛んできたんです。

来てみたら大きな島で、観光の島でした。一泊10万円の高級リゾートから、バックパッカーが泊まる一泊千円のゲストハウスまであり、ホテルは現在も増え続けています。

生活物資はじゅうぶん揃っているし、飲食店やライブハウス、歓楽街は深夜まで賑わっているし、タクシーは24時間走っているし、不自由は感じません。

市街地を離れて郊外に出ると満天の星が見えるし、7つの離島へ渡るとどこも清浄な空気にみちていて、海から吹く風がゴーゴーと音をたてて流れ、ビーチにゴロンと身を横たえていると、地球にグラウンディングしているような安心感を感じたり自然との一体感を感じられて、もう気分はサイコーです。

私はすっかり魅せられてしまったんです。

島の人は、沖縄本島に行くことを「沖縄にが行く」と言います。「えっ?ここは沖縄じゃないの?」と聞くと、「ここは八重山だ」と言います。八重山と沖縄本島は、行政区間は同じ沖縄県でも文化、歴史、心情はずいぶんちがうみたいです。

「ここは日本語の通じる外国よ」と本土の友だちに説明することもあります。地理的にも、那覇より台湾が近く、九州よりフィリピンが近いことから、文化圏は東南アジアといったところかもしれません。

本土の人の勤勉さや真面目さ、あるいは合理性は、ここでは通じませんし、時にはあからさまに煙たがられることもあります。生き方がぜんぜん違うのですね。

まるで異国のような石垣島でさまざまな人に出会った私は、日本人は真面目すぎだし、わたしがこれまで信じてきた価値観も窮屈だから、もっと開放してあげたほうが楽になると思いました。そして、それと同時に、これまでの私を作ってきた拠って立つベースの大切さも、あらためて強く認識しました。

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ところが、住み始めてみると、大変なところもありまして。

とくに、本土のからの移住者に対して偏見が強くあるように思います。自然や田舎暮らしに憧れて移住してくる人の気持ちは、島の人には理解されません。

「都会から移住してくる人の気持ちが分からない」と彼らは言います。

反対に、島の人の気持ちは本土のほうに向いているようです。島の人は東京を「中央」と呼びます。対して、島は「僻地」ということでしょうが、島の人の東京への憧れは、本土の地方の人が東京に憧れる以上のものがあるんじゃないかと思います。

私が「京都から来ました」と言うと驚いて、「あんな上等な所から、こんな何にもない所に来て、アタマは大丈夫か?」と呆れられました。「生まれた時から人工物に囲まれた生活をしていると、天然の自然を見ると感動するの」と言っても、島の人は、信じられない、という反応をします。

それから、移住者への詮索が始まって、ありもしない名誉を毀損するような、アホらしい噂が流れます。「あの人はきっと悪いことをして居られなくなって、逃げてきたんだよ」。噂は人口5万人の狭い島社会だから、すぐ拡散されて、翌日には海を隔てた離島にまで伝わっている、なんてことがあります。

オソロシイ。私だけじゃなくて、移住者はこんな被害にみんな遭っています。島の人同士でも、こういうことは頻繁に起こります。田舎の悪いところです。

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島の人は、移住者のことを「流れてきた人」と言いますが、この島はもともと首里の政治犯を島流しにした流刑地だったという歴史に紐付けられているのかもしれない、と思いました。

歴史といえば、平家の落武者の赤山王が八重山に流れ着いた話をはじめて知りました。その子孫の赤山家が今も竹富島に続いています。近年では、オウムの信者がビーチで集会を開いたり、潜伏中のオウムの逃走犯が繁華街で捕まったことがありました。

流刑者、落人、逃走犯。島外から来る人は、どこかそんなイメージをもたれているのかもしれません。こんな南海の果ての果てまで来るには、きっとそれなりの事情があるんだろう、怪しいやつ、という目で見られているんでしょうか。

これは実際あった話ですけど、私は八重山警察の人に職務質問されたことがあります。「君は八重山に何をしに来たんだ?西表島でケシの栽培をしているという情報があるが、何か知らないか?」

知らんがな(怒!)(笑!)

はんぶん笑って、はんぶん怒りました。

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悲しいことに、島の人とは解り合えません。

自然を愛でる、とか田舎暮らしが良いもの、という価値観は島の人にはない、ということを住んでから知りました。

ただし、転勤族である、ダイビングしに来た、八重山古典民謡を習いに来た、などの行動面が目的で来ていると分かり易すいです。

しかし、自然が好き、田舎暮らしがしたい、癒やされたい、など精神的な豊かさを求めて来ていると、島の人には理解しにくいみたい。むしろ、誤解されやすいです。

旅人でいたときは親切にしてくれたのに、住み始めると始めると…。正直、失望したし、傷つきました。そして、島の人に理解されることは諦めたんです。

強い人は何を言われても気にしないし、跳ね返してしまえるんでしょうけど、私みたいに繊細で優しいタイプの人は、他人の怒りや不安などのネガティブな感情を吸収してしまいやすいので、気をつけなければいけません。

他人の感情まで引きうける必要はないのです。はっきりと境界線を引いて、他人の感情と自分を切り分けてしまい、しっかり自分を守りましょう。そして、島の人に理解されることは、諦めましょう。自分をいちばん大切にして、他人に期待するのは辞めましょう。

失望して去ってしまう人は、それでいいのだと思います。人や環境をモノともしないほど強い人は、それほど多くありませんから。

私は、これを機会に、自分と徹底的に向き合いました。自分は何者か、何を大切にしているのか、何を求めているのか、よくよく考えてみました。

そうしたら、実りがあったわけです。私のこれまでの人生が一つに繋がって、意味あるモノとして見えてきたのでした。  

その話は次回にしますね。

さて、いよいよ今回の本題に移ります。この話は、ぜひ聞いてください。

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二つ目の、「わたしが見た、『楽園』を生きる場所に選んで成功した人の共通点」についてお話しします。

石垣島には、島で生活しながら創作活動をしている本土出身の写真家さん、もの作りの作家さんなど、いらっしゃいます。写真集を出して活躍している写真家さん4〜5人、また、石垣在住40年で日本伝統工芸展で最高賞を受賞された染織作家のかたなどいらっしゃいます。スゴイですね。

ただ、ここで言いたいのは、社会的成功だけが成功と言っているわけではありませんので。

話をもとに戻しますね。彼らは豊かな島の自然をインスピレーションとしながら、そのエッセンスを汲み上げるようにして創作して、仕事がうまく回っています。

その彼らには、ある一つの共通点があります。

それは、島で制作した作品を、つまり自分の商品を買ってくれるお客さんは、本土の人だということです。自分がイイネと思うものにイイネしてくれる価値観を同じくしている本土の人とだけ一緒に仕事をしているわけです。

ほかにも本土出身の方で、ダイバーとか、ネイチャーツアーガイドなどのアウトドア系の方たちも沢山おられますが、彼らもやはり本土からの旅行者を相手にしたビジネスをしています。

成功者は、自分と価値観を同じくしている人だけを相手にしているわけです。島の人じゃない。

彼らを見ていて思うことは、成功している人はメンタルが強い人だということ。

どういうことかと言うと、自分が幸せになるのに他人を必要としていない、ということだと思います。自分が何を好きか分かっていて、その好きなことをコツコツとやってきている、そして、そこには他人は存在しません。評価は気にしてないけど、評価はオマケとしてついてくる。

そういう人は、「私はこうしていたいの」というスタンスが周りから分かり易くて、そういう人は、かえって周りから愛されたり、協力を得やすいのだと思います。

また、彼らは島の人を褒めたたえることも忘れません。低姿勢でいることも受け入れられやすい条件でしょうか。

ただ石垣島に住んでいたいの、という人は、怪しまれます。島の人から理解されることはないのです。

結局、何か言いたいのかというと、島の人に、幸せにしてほしいって求めたら、それは違うよ、っていうお話しでした。

ただ自然だけは変わらぬ愛を注いでくれます。私たちが気がついていても、気がついていなくても。

成功している人は、他人に何も求めていません。自然や宇宙とパイプが繋がっているから、とても安らかでいられて、他人に愛を求める必要がないのでしょう。自分が好きなことを淡々とやっていけるのです。

最後はスピリチュアルな話になってしまいましたが、私の言いたいこと、うまく伝わりましたでしょうか?

じゃあ、おとうふメンタルな人はどうするの、っていうことは、このあとの回に続きます。


さて、次回は最終目的地に向かって飛行します。

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