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【私自身の八重山】離島の年寄りが元気なわけ

沖縄の離島に住んでいると、本土とははっきり異文化だと感じることが多々あります。とくに感じるのは、年寄りをご隠居さん扱いしない、ということです。

ですから、年寄りは元気だし、しょぼくれた顔をしていません。フツウに仕事をしているし、恋しているし、まだまだ若い年寄りが目を引きます。

そのへんを私なりに考察してみました。


移住したころ、島の79歳のオバアと二人暮らしをしたことがあります。オバアの家の欄間には、市長から贈られた長寿を祝う表彰状が飾られてありました。

島にいると、おべんちゃらでも社交辞令でもなく、年寄りが注目され、大事にされていると感じます。そういう文化なんでしょうね。

この人はウミンチュウのオバアで、野菜をつくり、車を運転してアサリを採りに行って鮮魚店に卸すなんかして自給自足していましたし、精神的にも自立していました。

オバアは一人暮らしでしたが血縁を大切にしていて、子供、孫、曾孫を率いる大家族の長老として頼りにされていました。友だち、ご近所など交友も広く、ついでに私のことも「うちの三番目の娘」と言って可愛がってくれました。

このオバアは、石垣島でいちばんはじめに出会った年寄りです。オバアは懐が深く、エネルギーに満ちていました。


オジイも元気です。

私の知人は80歳なのに、若い男とひとりの女を張り合っていました。「僕は現役だからな」と、見栄や虚勢でもなく、本気でそう思っているみたいです。

年寄りの色恋沙汰を見ても、「いい年して恥ずかしいからやめて」と親をけん制する子供もいません。

島の年寄りたちは後ろに引っ込んでないです。年寄りは引っ込んでろ、という文化じゃないです。

そら、年寄りが元気になるでしょうね。

そこでふと思い出したのは、むかし読んだ、タイトルは忘れてしまいましたが、ボーボワールの本のなかにあったコトバです。

「老人が大切にされている社会は、子供が大切にされている社会だ」

ボーボワールは20世紀フランスの女性解放思想家です。「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」というフレーズで有名な「第二の性」は、むかしの女子学生は読んだものです。サガンの「悲しみよこんにちは」も。

老人が大切にされている社会は、子供が大切にされている社会。

ということは、自分が年をとったとき大切にされたければ、子供を大切にすればいい、ということですよね。

子供を大切にする文化は、沖縄の離島にはあるんでしょうか? 本土とのちがいは? 

一つ言えることがあります。

沖縄とこの離島には儒教文化が入ってきていません。それは本土の社会とは決定的にちがうところです。

年配の人でも、「ジュキョウ? なんですか?」という反応をされます。沖縄の人は儒教を知らないんですね。

沖縄の女性が強いのは、そのへんと大いに関係があるでしょう。沖縄では「女性は神様」と言われているぐらいです。

儒教文化が無いということは、女性と子供への締め付けは無い、ということ…。なるほど、です。

女性と子供は元気になるでしょうね。

人のこころを縛るものは幾つもあるでしょうが、儒教の影響は大きいでしょうね。

いろいろ考えさせられますね。

まとめ。

年寄りだってエネルギーはあるんだし、エネルギーの発散場所をゲートボールだけに制限されない離島の年寄りは、幸せなんじゃないでしょうか♡

島の年寄りは、生きることに肯定的、だと感じます♡



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