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集中欲求とは?食事よりも命にとって必要なもの

ちょっと昔の話になる。

人はご飯が充分足りていても、
病気などのトラブルがなくても
死んでしまうことがあると
整体師の寺門琢己さんの本で
読んだことがある。
「からだのきもち」という本だった。

その本によると、
人は他者の注目を集めないと
生きていけないようにできていて、 
これは食べ物よりも重要だという。

この注目を集めたい欲求を、
野口整体のことばで
「集中欲求」といって、
赤ちゃんがオギャーと叫ぶ行為、
「我、ここにあり」という
存在アピールが元になっているんだという。


で、他者の注目を集められないとき
カラダはどうするか、というと
難病になったり、
大怪我したり、
雑踏の中で転んだり、
財布を落としたりする。
たとえ恥ずかしいこと、
様にならないことでも
注目されるためなら何でもするという。
集めたのは同情であっても、
無いよりはあったほうがいいから。

例えば、寂しくなって
自殺未遂する。
周りを騒がせて注目を浴びると、
集中欲求が満たされて
カラダ的には健やかな感じになる。

どこかの外国の村で、病人がでると
村中の人が病気の人をかついで
ワッショイワッショイ、
川にザブンと投げ込むと
病気が治っている
なんていう話もあった。

「だから、
寂しくて死んだりする前に
何かで取り上げてあげたり、
学校では評価されない部分を評価する
機関があって
表彰してあげるといいですね」
と寺門さん。


そういえば沖縄県では、
数え年九十七歳になると
街をオープンカーに乗ってパレードして
みんなにお祝いしてもらう
カジマヤー(風車祭)という行事がある。

私の住んでいる八重山では、
カジマヤーは新聞やテレビに取材され、
市長も駆けつけ、
島をあげてお祝いしてくれる。
注目された人は
またもう一つ寿命が伸びるんだろうね。


どうも
集中欲求が満たされないと、
かなり辛いことになるらしい。

集中欲求は、 
命に関わることみたいだ。


この本が出たのは二十年も前のことだけど、
なぜ、今ごろ
その話を思い出したのかというと、
ネグレクトされることは、
要するに無視されることは、
子どもにとって
DVよりも辛い
という話を聞いたからである。

心理占星術家の新里ひろきさんの
ポッドキャストを聴いていたとき、
「子どもは、
自分の行動し表現したことを
周囲の人に受け入れてもらって
はじめて自分の存在を確認します。
ネグレクトされると過酷です。
子どもは
ネグレクトされるより、
親から注目されるために、
悪いことをして叩かれるほうを選びます」
と話していたのを聴いた。


たしかに、
親という鏡に映った自分の姿を
とらえられないと、
自分が居なったような、
透明になって存在しなくなったような
気がして、
自己重要感に関わってくる。


赤ちゃんの時、 
欲求が満たされないと、
怒り、絶望し、
のぞみが叶うと信じられなくなって、
諦めるようになり、
その後の人生への態度にかかわってくる。


ネグレクトは、
DVよりも深刻。
知ってました?


私も寂しいのか。

集中欲求を満たそうと
今日もnoteを書く。


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