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コンサートでシュタイナー学校の授業を思う〜立つか座るか 楽譜を見るか見ないか
オーロラ・オーケストラ
昨日は、ロンドン、ロイヤルフェスティバルホールでコンサートでした。
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このコンサートのチケットをとったのは、最初、チャイコフスキーのバイオリン・コンチェルトをパトリシア・コパチンスカヤが弾く予定だったから。
あと、ショスタコヴィッチを楽譜なしで、というのも、見たかった理由のひとつ。
パトリシアは今回はキャンセル。代わりに、ウクライナのバイオリニストがソロイスト。残念だけど、8月のプロムスでパトリシアを見れるから良しとしよう。
チャイコフスキーのときには、椅子あり、楽譜ありの演奏。
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ショスタコビッチは、椅子なし、楽譜なし。
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今週、ペッカ・クージストのコンサートに行った時も、前半、モーツアルトは椅子ありで、後半のハイドンのときは椅子なしでした。
そのとき、音の違いに驚いたんです。
音の広がり方。自由さ。一体感。
しかも今回は楽譜からも解放されてる。
指揮者はいるけれど、音楽が全身全霊に染み渡っていて、オーケストラ全体を耳だけではなく全身で感じて演奏してるのが伝わってくる。
すごい・・・。
人間のパフォーマンスはちょっとしたことで変わる
ちょっとしたことで、人間はパフォーマンスが変わる。
スピーチするにしたって、メモを手にもちながらのスピーチと、自由に話すスピーチでは全く違うのは明らか。
姿勢の違い、ポジションの違いだって、大きな差を生み出す。
以前、シュタイナー学校の授業を見たときのことを思い出す。
まっすぐ高く高くそびえ立つ針葉樹の詩を、子どもたちは朗誦していた。だけど、どうも、その上へ上へ伸びていく力が感じられない。子どもたちから出てこない。
先生は、ふと思いついて、子どもたちを机の上に立たせた。
子どもたちの朗誦は全くかわって、まっすぐ背筋を伸ばし、力がみなぎり、声に張りが出て、発声のテンポも生き生きとした。
こういうちょっとした変化、工夫は、人間に大きな差を生み出す。
「まっすぐ立ちなさい」「声を大きく」・・・そんな声かけとは全く違う変化をもたらす。「やらされてる」感覚もなく、自分の内側から変化が起こる。
人間の能力を引き出すって、こういうことだ。
オーケストラの中に入り込む体験
このコンサートで感動したこと。最後のアンコールで、マイクを持って話し出した指揮者ニック。
「僕は、こうやって指揮をできること、とんでもない特権だと思っているんだ。オーケストラの中にいるということ、オーケストラと一体になるということがどれだけ幸せなことか。」
「この幸せを、ここにいるみんなにも体験してもらうよ」
と言う。オーケストラが、ステージを降りて観客席にいく。チェロやコントラバスも。ホールの客席中にオーケストラが散らばる。チェロは空席に座って。
観客に向けて指揮を始めるニック。ホール全体が、オーケストラになる。私たち観客がその中にいる。音につつみこまれる。
感動的でした。
滅多にできない体験を、どうもありがとう。
ちょっとしたことで、体験は変わる。
型にハマらず、新しいことを試してくれた、若い指揮者に学ぶことは多い。
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