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価値

これまでの人生振り返ってみて忘れられないシーンって、誰でも幾つかありますよね。 今日はその中でも特に最近頻繁に、私の脳裏をよぎる場面のお話を。

今から約20何年前です。 私は、画廊、というほどには敷居の高くない感じの、でも一応、「画廊」と名のついたお店でアルバイトをしてました。
その店は、80歳くらいのお爺さん店主が目利きして仕入れてきた絵画や置物、風変わりな壁掛けの時計なんかを売っていて、高額なものからお手軽なもの(とはいえ最低でもン万円はしてましたが)まで結構幅広く、名の知れた作家さんのものもあれば、そうでないものも、みんなごっちゃに置いてありました。

かなり癖の強めな店主のお眼鏡に叶ったモノたちは、やはりちょっと癖のある品が多かったし、そのレイアウトの仕方もなかなか印象的でしたので、最初のうちはそれらを眺めてるだけでも面白く、楽しい職場だなぁと思ってましたが、いかんせんお客さんの数が少なく(まぁ画廊とは大抵そういうものかもしれませんが)掃除などのお決まりな仕事を覚えてしまってからは正直、暇、でした。
内心、誰が買うんだろう…。と思ってしまう奇妙なモノたちやたくさんの絵画に囲まれて、ただひたすら突っ立ってる。 勤務時間の大半はそうやって過ぎていきました。

けれど、忘れたころにひょっこり来るんです。 お客さん。
それはいかにもマダムなご婦人から、リュックサックを背負ったモサっとしたおじさん、精悍な顔つきの青年、どこかの重役さんのような初老男性、かと思えばキャピっとした女子…。 老若男女問わず、いろんな人がたまに入ってきて店内を黙ってジロジロ見て、買ったり買わなかったり。 …って、ほぼ買わないんですが、これまたひょっこりと「え?それ?買う?」っていうのが売れたり。
追っかけて、買った理由を詳しく聞きたくなったことが何回あったかしら。
生粋の庶民、純度100%の田舎者の私からしたら、そんな価値があるとはとても思えないようなものに、何万円、何十万円も出して嬉しそうに持って帰っていくんだもん。 そりゃ、目が白黒なりますよ。

私の仕事は店番。 とはいえ、今だって人様に披露できるような美術の知識があるわけでないけれど、当時の私には今よりももっと何もなく、ただわけもなく子供の頃から絵が好きでその世界に興味がある程度ですから、たまに訪れたお客さんから何か質問されたって満足にお答えすることはできません。 なので、来客時はそれとなく、店の2階に店主を呼びに行くんです。
階段の壁は真っ赤で、これまたなんともいえない不思議な作品が色々と飾られており、そこで何をしているのかわからないけれども、店主はその異様な空気漂う階段を上がったすぐの狭いスペースにいるのが常でした。
ある日、2階に上がると、微かなシンナー臭が私の鼻をつきました。
店主はデスクライトだけ点けた薄暗い中、拡大鏡をかけて作業机に向かい黙々と何か作業をしているようでした。
店主は私に気づいていたと思います。 私の方も、声をかけるのを躊躇ってしまうような雰囲気に気圧されて、なんとなくぼうっと、しばらく様子を見ていました。

店主は、ペンキで真っ赤に塗られた蒲鉾板くらいの大きさの板を机に置き、その傍の小さな容器の中から、ガラスの「おはじき」やら、カラフルな小石(天然石のかけらのような)を小さく震える指で摘んでは、ねっちょりとした黄色のボンドをつけ、その透き通った黄色の細い糸が引いているのをそのまま、いくつもいくつも、真っ赤な板に貼り付けました。
それからボンドを油性ペンに持ち替え、色々貼っつけた板に何か書き、ふー…、ふー…、と息を吹きかけます。
その震える手の動きや立派な鷲鼻の影、老いて曲がり始めた背中の曲線に、目が釘付けになってしまっていた私の方に振り向いた店主とようやく目が合った時、
「あ、何か、作られてるんですか」と、2階に上がってきた用とは関係のない質問が勝手に私の口をついて出ました。
「お客さんか?」店主は私の質問には答えませんでした。
でも、階段を降りる時、店主が、「『あきまつり』にするかな」と呟いたのを聞きました。

次に出勤した日、私は階段の赤い壁にあの赤い蒲鉾板が飾られているのを見つけました。
赤い小さな画面の中には、ボンドの黄色が透けたガラスのおはじきや半透明の小さな天然石、細く伸びたボンドの糸までも一緒にキラキラ輝き、中央には毛糸のような?モジャっとした何らかの繊維のかたまりが貼られ、その横には油性ペンで書いた歪んだ丸に、チョンチョンっと目鼻のような点々。 この世の生き物ではない何かが炎を囲んで踊っている?ように見えるような?見えんような?、不思議な世界。

制作の様子を垣間見ていた私はすぐにあの蒲鉾板だ!と気づき、まだちょっとシンナー臭そうなその板の端に付けられていた小さな札をめくり、驚きました。

「秋祭り/¥30,000」

さっさっさ。。。さんまん? この蒲鉾板が?
この店の爺様が、雑に色々ぺぺぺっと普通のボンドで貼っつけただけの、ものの何分かで作ったこの板っ切れが、さんまん?・・・で、売ってんの?ここで?

・・・やっぱりこういう感想を持ってしまう時点で、我ながら御里が知れるというか、アート的センスというか知性というかの、なんとも乏しい人間なんだなぁと、今となっては痛感するのですが、当時の私の頭の中はひたすらハテナマークの大乱舞。
しかしそこにビックリマークまで加わって、目が白黒するどころでなくなったのはその日の夕方でした。
売れたんです。 すぐ。 その蒲鉾板が。

買われたのは、とても地味でおとなしい印象の、40歳前後くらいの、眼鏡をかけた女性でした。
赤い壁の階段は店の入り口横についていて、下の方に飾ったものだけは1階からも見えるので、それが「売り物だ」とわかる感じにはなってましたが、そこに目を留めるお客さんはそれまでいませんでした。 少なくとも、私が知る限りは。
それがその人は、初めてヒュっと入ってきて、まるで知ってたかのように階段の壁を見て、そしてその日そこにかけられたばかりの蒲鉾板と対話でもするように黙ってじぃっと見つめ、さんまん、払って、持って帰っていったのでした。 赤い蒲鉾板、いや、「秋祭り」を。

こんなこと書いてて、正直すごく恥ずかしいのです。 あの時からうんと年取りましたし。 なんだかかんだ経験も、ちぃとは積んできましたから、羞恥心もちぃとは身についてしまいました。
でも、やっぱり、よくわかんないのです。 この年になっても。
アートって、そしてものの価値って・・・。

にもかかわらず、あれからイラスト描きやらデザインやらの道に入り早20年。細々フリーランスですが、なんとか続いています。
最近は、1周回って、アナログのものづくりや絵描き活動にも本腰入れて始めてみました。

目下、creemaでの販売を準備中です。


一応、売りものとして描いているわけですが、これまでずっと、クライアント様からのご依頼ありきのお仕事ばかりしてきたので、頼まれたものでなく、ただ自分の思うに任せて描いた作品を眺めていると、時折、あの時の私が追いかけてきます。 「え?それ?買う?」って。 特に、値決めの時に。
今の物価はこうで、景気がどうで、業界の相場感は大体こうだけど、新しいやり方は・・・とかとか、価値をお金に換算するのにその基準になる物差しみたいなものをみんな数々取り入れ考えて、安いやら高いやら言うんだけど、あの時に見たやりとりは、とても直感的でシンプルなものでした。
エネルギーの、とても綺麗な交換の場面だったなぁと、いいものを見せてもらったんだなぁと思います。
だから。
うるへー!!!自分がいーと思うんだからいーじゃんか!!!と、囁いてくる幻影を追払い、心鎮めて・・・内心そんな葛藤を味わいつつ。
迷いが出る度、思い出すんです。
あの赤いペンキとボンドの蒲鉾板が、「秋祭り」として、3万円の価値を持つアート作品になったあのマジカルな瞬間を。
そして、正体はアーティストだった店主の、あの時の自信に満ちた鷲鼻を。


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