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#2 Hourglass

When you reach for the stars
Don't forget who you are
And please don't turn around and grow up way too fast
See the sand in my grasp
From the first to the last
Every grain becomes a memory of the past
Oh, life's an hourglass
Life's an hourglass

君が星に向かって手を伸ばすとき
自分が誰なのかを忘れないで
そっぽを向いてあまりに早く大人にならないで
私の手の中の砂を見て
最初の粒から最後の粒まで
一粒一粒が過去の想い出になるのよ
ああ、人生は砂時計
人生は砂時計

―― Mindy Gledhill "Hourglass"より抜粋
  (和訳は私のものです)

息子が数日前からうつ伏せができるようになった。
少し目を離すだけでもすぐうつ伏せになってしまうし、眠っているときも時々ひっくり返ってしまうので一日中気が抜けない。現在4か月だが、日に日に息子の成長を感じている。

彼はよく笑い、よく叫び、よく泣く。大抵、抱っこをしてしばらくゆらゆらしていると眠る。今日、泣いている息子を抱きながら、重たくなったな、と思った。と同時に、彼はきっとあっという間に大きくなってしまうんだな、と思ったらとても寂しい気持ちになって、Mindy Gledhillの"Hourglass"という曲を思い出した。

私とMindy Gledhillの出逢いは、数年前の代官山の蔦屋書店だった。CDをジャケ買いなんてしたことは今までなかったが、真っ赤な傘をさし、ピンクのドレスを着た彼女のジャケットに引き込まれて、気づいたらお会計に並んでいた。その日は雨だった。雨の日に、赤い傘をさした見知らぬ女性のCDを買った。不思議な出逢いだった。家に帰り、CDを流しながら歌詞カードを吟味した。曲はどれも子供時代に大切にしまい込んでいた懐かしい宝物のようなものばかりで、彼女の声は蜂蜜のように甘ったるかった。そこでこの曲に差し掛かった時、私は彼女に感じた運命を本物であると確信したのを覚えている。歌詞にNeverland(ネバーランド)とPeter Pan(ピーター・パン)という言葉が出てきたから。

というのも、私は大学時代、J.M.バリの『ピーター・パン』について研究していた(そう言うと笑われることが多いが、私のゼミは19世紀ごろの英文学を研究し、専攻内でもかなりスパルタで知られる大真面目なゼミだった。この話はまた別の記事でする)。ゼミでの2年間、私は作者のバリ、そしてピーターに恋しているのではないかというくらい研究に没頭していたので、ピーター・パン関連のグッズや作品には目がなかったのだ。

たまたまジャケットに惹かれて購入したアルバムの中に、愛するピーター・パンの名前が出てきた。さらに、彼女のほとんどの曲が共感できるものばかりだったこともあって、私はたちまちMindy Gledhillの大ファンになった。"Hourglass"という曲は、当時は私の愛するピーター・パンが登場する曲程度にしか思っていなかったが、自分自身が小さな男の子の母親になった今、改めてこの曲の一句一句が痛いほど分かるようになった。

この曲は、彼女が愛する息子に「あまり早く大きくならないでほしい。なぜなら時間はHourglass(砂時計)の砂のように手からどんどん零れ落ちていくから」と語りかけているものだ。子供との時間をなるべく長く過ごしたいという気持ちは親でなくても分かるが、自分が親になるとその言葉の重みが本当によく分かる。私自身、息子が生まれてからこんなにも目まぐるしく大きくなるものだと想像もしなかった。生後間もないころ、初めてこの腕に彼を抱いたときは、私が少し力を入れただけでも壊れてしまうのではないかというくらい軽く儚い存在に感じられたのに、今となっては少し抱いているだけでも腕がもげるのではないかと思うくらいずっしりと重たい。

息子は生まれてから1か月ほどあまりなかなかミルクを飲んでくれず、私は毎日授乳の時間が恐怖でしかなく、一日中泣いており、半分ノイローゼのような状態だった。そのため、小さな彼と本気で向き合い、愛することができていなかったように思う。だからこそ、今日彼を腕に抱いたとき、「あの頃の彼をもう一度抱きたい」と思って涙が出そうになった。もうあの頃の彼は戻ってこない。と同時に、今の息子も明日にはもっと大きくなって、数か月後には「あの頃の彼」になるだろう。

息子は日に日に大きくなり、日に日に愛しさが増す。彼の重みは、私の愛情の重み、幸せの重み、そして決して失いたくないという恐怖の重みと比例する。ピーター・パンのように永遠の少年でいてくれたらどれだけ幸せだろうか、と考えもしたが、私が書いた卒論では、生きている限り、人は成長を止めてはいけないのだという結論に行きついたのを思い出す。作者のJ. M.バリもそれを知っていたからこそ、永遠の(哀れな)少年ピーターと相反するように、ヒロインのウェンディはネバーランドにはとどまらず、大人になることを選んだのだ。

息子はいずれ、大人になる。時間は確実に過ぎていき、砂時計の砂は確実に零れ落ちている。となれば、「今、この瞬間」の彼と正面から向き合い、全力で愛することが、今私にできる唯一で最高の選択なのだろう。

そんなことを思った午後だった。

◆本日引用した曲
Mindy Gledhill  "Hourglass" (アルバム"Anchor"より)

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