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あ、海外移住だ

と、急に思いついたのは、夜中の0時過ぎ。時間帯的にも危険なのはわかっていました。が、そのまま思考が止まらず、朝の5時。1歳児の寝息を横に感じながら、海外移住というアイデアはどこまでも自分らしく、どこまでも可能性に満ちているように感じたのです。


自己紹介

はじめまして、Kayと申します。2023年9月現在、日本在住、もうすぐウィーンへ移住する予定の女性です。夫と子ども二人(1歳と5歳)アリ。これから書き続けたい記録は、自分のため(頭の整理的な、ね)が第一なのですが、もしかしたら同じような境遇にある人の何かしらヒントになるかもしれないと思い、シェアすることにしました。

主に以下のような情報をシェアしていきたいと思っています。

  • 海外でのキャリア形成・転職活動のドキドキ

  • 在留資格取得までのドタバタ

  • ウィーンでの子育て・家族での新生活のワクワク

  • 現地の職場や学校、私生活でのルンルン、シクシク

  • その他諸々、私の興味分野に関してペチャクチャ…

さて、ワタクシども、まだ日本におります。無事に移住できるのか見守っていただければ幸いです。

それでははじまりはじまり。

すべての始まりは育休明け

第2子が1歳になり、勤続7年目の職場に復帰したのが4月。復帰後の最初の1週間を無事に終えたとき、なにかが変わってたことに気が付いたんです。

私の価値観と、職場の文化が交わらなくなっている。

この気づきはとても悲しいものでした。深く傷つきました。だって、私はこの職場がずっと大好きで、一番のファンで、これからもずっと貢献していきたいと思っていたから。

いわゆる広報的な役割を担っていた私にとって、この気づきは致命的だったとも言えます。嘘も偽りもなく、世間に自信をもって紹介できていたのに、それができなくなる。

もちろん、仕事として淡々とこなすことはできたかもしれません。でも私には無理でした。

そしてもう一つ大きかった要因。

もう、ここで私の成長は見込めなさそうだ。

この7年、自分でプロジェクトを立ち上げて、満足したクオリティの仕事ができ、周りにも評価され、日々成長を感じる充実した毎日を送っていたのですが、それが急に途絶えました。

今の仕事をそのまま機械的に続けることはできます。ただ、キャリアアップがここでは見込めないことが、現在の体制から容易に察することもできましたし、自身もそれを希望していないことに気が付きました。

実は、私は転職族で、30歳で就いたこの職がすでに5か所目。本当に好きだったんです、だって7年もいたんだもの。そして、人生で初めて終身雇用のレールに乗ったのもここ。終身雇用という安定を得たのに、この決断。

もちろん、迷いもありました。深く、深く、自身を考察しました。信頼するメンターのサポートもあり(これは別途記事を書きたいと思います)、私が求める道はどこにあるのか、というのを考え抜きました。

そしてたどり着いたのが

人生短い。

いっちばんワクワクすることをしたい。

自分の目がキラキラ輝けるところにいたい。

夫への相談

土曜の朝。緊張しました。いまだに覚えています、朝ごはんはベーグルでした。食べ終わるころに切り出しました。

私「ねえ、これからもここに住み続ける?」

夫「うーん、まあ特に動く理由もなければ、すぐに移動する予定はないよね。」

この話を続ける前に、お伝えすることがあります。私たちは結婚して12年。私と夫の共通点は、一言でいうと「遊牧民」。独身時代も、結婚してからも移動が続く生活をしていました。

夫も日本人ですが、知り合ったのも海外。

新婚生活も、私の仕事についてきてもらって海外。

私の海外での仕事のあと、やっと落ち着いたのが、もともと縁もゆかりもなかった、とある日本の南国の島。

ここに来て早8年、こんな長期間、同じ土地に住むのはむしろ異例のことだったのです。

私「また海外で仕事したいって言ったらどう思う?」

夫「え、もう?(復帰したばっかりで)早くない?」

私の今、考えている次のステップを伝え、行動を起こし始めていいか、夫の承諾を取りたかったので、言葉を丁寧に選びながら、震えそうな声を抑えながら熱意を伝えました。

夫「うん、まあいいんじゃない」

後日、夫に聞いたところ、この時点で「あぁ、もうこれは止まらないな。どういう手段であれ、海外に近々引越すんだろうな」と、半ば諦めと、全面的な受け入れと、まあそれも楽しいかもな、なんていう期待との感情が入り混じっていたそうです。

ゴーサインをもらった私は、これから通る道のりの険しさを完全に甘く見ていたのでした。

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