見出し画像

よの28 研修中

あるコーヒー専門店に入った。
チェーン店だが、豆と焙煎にこだわり、注文後に一杯ずつドリップしてくれる。種類も豊富だ。

コーヒーだけでなく、器やテーブル、音楽にもこだわりを感じる。サイドメニューでもケーキとピザ、特にチーズの種類と素材にこだわっているようだ。

メニューを開くと、聞いたことのない銘柄がたくさん書かれている。なじみのない専門用語で解説されているので、違いがよくわからない。いかにも専門店ですという感じだ。

「ご注文お決まりでしょうか」

若い女性店員に声を掛けられた。

正直選べないので、一番上のおすすめブレンドコーヒーとチーズケーキを注文した。チーズケーキのチーズはおすすめプレーンを頼んだ。
よくわからないときは、取りあえず無難なものを頼むのが鉄則だ。

「おすすめブレンドコーヒー、おすすめプレーンチーズケーキ、かしこまりました。他にご注文はよろしかったでしょうか?」

私は、せっかく専門店に来たのだから、軽い気持ちでその専門用語で書かれたメニューのひとつを質問してみた。

「あの、これは、どういうものなんでしょうか?」

すると若い女性店員は、突然はっとした顔になり、
3秒間の硬直のあと、
「少々お待ちください」
と小走りで厨房へ入っていってしまった。

厨房へ入ったきりなかなか戻ってこない。

よけいなこと聞いちゃったかな。
ただの好奇心が、大げさにしてしまった。

5分後若い女性店員は戻ってきた。

メニューを片手に、たどたどしい専門用語で説明してくれた。
だが、その説明はほぼメニューに書いてあることで、その意味を聞きたかったのだが、それ以上の追求はいかにも難しそうだったので、私は「わかりました」とだけ答えた。

ふと若い女性店員の胸元をみると、「研修中」と書かれたバッチをつけている。

合点がいった。

「研修中」イコール「新人」ということだ。
「研修中」イコール「わからない」ということだ。
「研修中」イコール「大目にみて」ということなのだ。

誰もが初めは新人だ。
そして、これから一人前になっていく大事な時期なのだ。
暖かく見守ってあげなければいけない。

私は注文したおすすめブレンドコーヒーを飲んだ。
美味しい。さすがは専門店。
プレーンチーズケーキもなかなか。
さすがはこだわりの一品。

しかしながら。

これだけ美味しいと人情的にどうしても他のメニューが気になる。

私は意を決して、ちょうど通りかかった店員をさりげなく呼びとめ(今度は若い男性)、メニューを指さしながら、もう一度さきほどと同じ質問を投げかけてみた。

「あの、これは、どういうものなんでしょうか?」

と言いながら、ふと、その若い男性店員の胸元に目をやる。
なんと「研修中」のバッチをつけていた。

男性店員は目を泳がせはじめた。
そして3秒間の硬直のあと、
「しょ、少々お待ちください」と厨房へ向かった。

3分後に彼は戻ってきて、メニュー片手にたどたどしい専門用語で説明してくれたが、やはりほぼメニューの説明文を繰り返すだけだった。

「わかりました」

おそらく教えられた以上のことは、わかっていないのだろう。

この間も電化製品を買いにいったらたまたま研修中の店員で、教えられたことをただ棒読みで話すその消極的(弱腰)な説明を聞きながら一抹の不安を感じた。その説明はもしかして間違っているかもしれないし、たとえ間違っていてもちょっと責任は持てません、なぜなら研修中なのだからと。それってもしかして結局無駄な時間で結局自分で調べて自己判断するしかないんじゃないだろうか。

ただ。

ただ誰もが初めは新人なのだ。
これから育っていく大事な時期。
傷つけてはいけないのだ。
もしかして将来すごい店員になっているかもしれないのだ。

私はメニューのことは諦め、チーズケーキを食べながら、しばし自分の時間を楽しんだ後会計に向かった。

「ご来店ありがとうございました。お会計は1200円になります」

財布から千円札を2枚取り出す。

「ありがとうございます。2千円お預かりします」

ふと、なにげなく会計の男性の胸元に目をやると、
「店長」のバッチがついている。

「800円のお返しになります」

せっかくだから、
私は会計に立てかけてあったメニューを指さしながら、今一度さっきの質問を投げかけてみた。

「あの、これは、どういうものなんでしょうか?」

すると店長は一瞬私の目をじっと見た。
そしてメニューを食い入るように見ること10秒。
そしてふたたび私の目をじっと見た。

そして。

「しょ、少々お待ちください」と厨房へ向かった。

3分後に彼は戻ってきて、メニュー片手に丁寧に説明をしてくれるが、結局は同じ説明だった。

私は、いやその説明の意味が分からないから聞いているんだと、言いかけたその時、

店長はポケットの中からつけ忘れた感を出しながら、「研修中」のバッチを胸元につけて、私の目をじっと見た。




*******************

お読み頂きありがとうございます。

もしかして「クスッと」いたしましたら
「スキ」を押して頂けますと幸いでございます。
kawawano

小さな喜びの積み重ねが大きな喜びを創っていくと信じています。ほんの小さな「クスッ」がどなたかの喜びのほんの一粒になったら、とても嬉しいなぁと思いながら創っています。