見出し画像

前提を崩すために明確にすべき2つの物事

 これまでやってきたことの前提を崩すことは、変わりゆく時代を生きるのにとても役立つ。従来と比べて、前提を崩すことそのものに対する抵抗感が少なくなっているからだ。昨今、「今まであったもの」は壊されるために存在しているかのようである。当たり前はもう古く、その上に私達が立っているのだとしても、それは本当にその上に立っていて良いものなのかは、誰にも自信がない。だからそれは、撤去されたとしても特別なことではない。

 とはいえ、そのような立脚点が壊されるためには2つの物事が決まっていなければならない。そうでないのに、ただ野放図に前提が崩されるのであれば、私達は単なる自殺をすることになる。あるいはそれは自暴自棄でしかない。
 この2つの物事とは、「壊し方」と「壊した後」である。誰でも、既にあるものを壊すことを思いつくのは簡単である。そして、壊すべきものが悪いものだとされているる時、そうしたほうが良いということもなんとなく感じられる。
 しかし、そのどちらかについて、あるいは両方の、具体的な部分までに思いを巡らせることを私達は得意としていない。何故なら人間は忘れる生き物だからだ。局面に立ち向かい、適応したあとはそれを忘却する。そしてまた次の局面へと立ち向かう。そういう生き物だからだ。
 そのため、すでに前提となっていることに対して、私達は驚くほど無頓着である。今、突如として真空状態になったら対応できる人は限られるだろう。災害にしても同じだ。仕事がなくなるということであっても、大切な人が亡くなってしまっても。
 そういうことを常日頃から考えて生きることは、生きることそのものを邪魔する。だから考えていない。しかし、まさにそういった前提を崩そうという時、それがどのようなことであっても、きちんとその方法とそうした後ついて、落ち着いて思いを巡らせなければいけない。
 そうして明瞭な状態でもって、その前提は崩されなければならない。できるだけ、想像と異ならないように、私達の立脚点は、確実に、なくなるならばそうであるべきである。

 そうでなければ、生きることに役立つはずの前提は、崩された途端に私達の生に牙を剥く。

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?