見出し画像

非・世界への誘い:調世者、黒滝四鳴

 無駄だとわかっているならなくせばいい。不快ならやめさせればいい。気に食わないなら殴ればいい。この世界は単純だった。それほどに。けれどいつしかそうではなくなった。単純では困ると考えた者が勝手にルールを課した。なぜか、誰もがそれに従わねばならなくなった。従わない者は異端とされた。それはあたかも、作られた世界だ。誰かによって与えられた偽りだ。

 「灯り以外」が光の恩恵を受けない暗闇の中で、黒滝四鳴(しなり)は待っていた。周囲は一見何もない真っ黒な空間で、まるで身動きすらとれないようタールで塗りこめられたような圧迫感があった。四鳴はそこで立ったまま、彼だけに見えるランタンの灯りを見つめていた。
「……まだ、消えねえか」
 それは風前の灯火だった。矮小で、幽霊のように頼りなく揺らいでいる。この真っ黒な空間の中で、その火勢は確かに何の意味もないほどに小さかったが、それにしても、第3者から見ればそのランタンには全く灯がともっていないように見えているだろう。
「おいサビ、”世界律”はどうなってんだよ」
 四鳴は空間の上の方を見上げて言った。しばし、無音。彼はますます眉間にしわを寄せ、殺意の塊のような視線をランタンに向けている。”世界律”とは、有世界にいる物質が必ず従わなければならない全ての法則のことである。サビは四鳴の秘書のようなもので、この世界律を観測し、データをまとめ上げ、時には予測もするアナリストの役割を担っていた。
「……そろそろ俺には見えなくなるんだから、てめーで監視しとけよ」
 悪態。四鳴は調世局の中でも誰よりも気が短く、思いやりがなく、粗暴で、愛想が悪いと評判だった。長身で細面だが肉食獣のような表情をいつもしており、いつも全身黒づくめなこともあり、同僚たちからは陰ながら「黒四(くろよん)」と呼ばれている。1匹狼といえばかっこいい響きだが、調世者として3年が経った今も、まだ1人として”消失者”を目覚めまで導けていないことは、彼自信としても納得のいっていない出来事だった。
「ちっ……今までのは赤歴の野郎とか、紺ババアにかすめ取られちまうしよ……」
 調世者として出世コースに乗っている同僚や、自分をこの世界へ引き入れた上司の名を忌々しげに口にする。そのような態度を含めて、彼が出会った消失者達を委縮させ、思うように導けない要因があるのだが、とにかく自分のやり方を貫くことしかできない四鳴は気づかない。今回の消失者候補も、彼が最初に見つけ監視を続け、ようやく非世界へ来るところだ。今回こそ成功させなければならない。そうでなければ彼は示せない。今も非世界の頂点でふんぞり返っているあいつに……。
「不器用なんですよねえ……」
「あ? おいサビ、てめえ盗み聞きか!?」
 天井(あるのかもわからないが)に向かって四鳴が吠える。サビが低く唸るようにして笑った。
「そんなことしなくとも、四鳴のことはわかってますよ。それより……世界律、調べてきましたけど、もういいんですか?」
「ちっ……よこせ」
 四鳴はサビからデータを受け取る。調世者とそのサポーターの間には特別なパスが繋がっており、特別な端末なしに、様々な情報を瞬時にやりとりすることができた。現在の世界律をまとめたデータを受け取った四鳴の視界に、ランタンの灯りが蘇ってくる。あのランタンは、彼が目を付けた消失者候補の状態を映し出す道具だった。
 有世界と非世界は接点を持つと対消滅すると言われているが、消失者が非世界に渡る際のみ、それぞれの世界の接触を避けた道が繋がるとされる。このランタンはその道を疑似的に再現し、有世界の情報をランタンの灯りの”揺らぎ”として表すことにより、このように非世界からでもその状態を把握することができる代物だ。
 四鳴はもちろんのこと、サビも、また、非世界のほとんどの者がこのランタンの仕組みについて詳しくないが、消失者、それから調世者という存在ができたころより、このアーティファクト(遺物)は調世者達に重宝されてきた。
「よし……もうすぐってとこだな。サビ、準備しとけ」
「あいあい、一張羅着ます? 黒いのと黒いの、それから黒いのありますけど」
「言われなくてもそれくらい用意してる」
「そうですかー、じゃ、”石回廊”起動しときますね。念のため2番で」
「……? 使えねえのは0番だけだろ、1番はどうした」
「あれ、聞いてません? 昨日の起動テストの際に、世界律が揺れたんです。デグジストが石回廊の起動に反応している節があります」
「まさか、また――」
「ええ、0番が壊されたときのようになるかもしれません。ですから、古い型の1番はやめておきましょう。2番ならそもそも動力形態も違いますし、なにより、処理が早い」
「ちっ、2番はなんか、慣れねえのによ……」
「ご愁傷様です。四鳴さんのためでもありますので、あしからず」
 その言葉を最後に、ふつっと、サビと四鳴のパスが切れた。もう間もなく、消失者は、その生きた世界での存在を失い、この非世界へと渡ってくる。普通の存在は、世界から消失することは絶対にない。死やその他の事情により生命活動を停止したとしても、記憶や、栄養素として世界の構成要素として残り続ける。
 しかし、消失者は違う。それは生まれたときから、いずれ世界と縁切れる存在だ。それらは”死”や、一般的な”破壊”、”消滅”、”抹消”などの手順を踏むことなく、世界律ごと、その存在が”消失”する。いわば、死などの概念は、世界との繋がりを持つための手続きである。有世界の存在は、死や崩壊や消滅などを経験することにより、むしろ、世界に残り続けることができるのだ。だが消失者として生まれた存在は、その経験を経ることなく文字通りなくなってしまう。代わりに世界に何を残すでもなく、全ての記憶と経歴と因果と物質と、何もかもをなかったことにして消える。
「……そして生まれ変わるようにして、この非世界に迷い込む……か」
 四鳴はランタンのコックを左に回し、その炎を青色に替えた。そして濃黒の空間から出、自然と浅くなっていた呼吸を思い出し、深くため息をつく。廊下は、まるで中世の西洋に建てられた優雅な屋敷のような仕立てであり、暖かみのある木の床、白塗りの壁、ランプの光る天井など、ここが非世界であることを忘れそうになる。調世者のほとんどが有世界出身ともなればそれは至極当然のように思われた。なぜ、有世界の存在がここに渡ってしまうのかはわかっていない。しかし、四鳴たちはここに根付き、生活し、まさに第2の人生とでも言うべき日々を過ごしている。そのことは、彼らの中途半端な”存在”そのものよりもなお、強固に、確かにそこに存在している事実だった。
 四鳴は、サビに用意させている石回廊の場所まで歩き出した。ランタンの揺らぎからするに、あまり時間は残されていない。消失者の調子によっては、もうすぐにでもこちらに来てしまってもおかしくない。右も左もわからない消失者を、この右も左もない非世界に独りにしては危険だ。渡って来た直後の消失者はまだ非世界に馴染んでおらず、いわば”存在感”がある状態なのだ。そしてそれは、非世界の一部の存在たちにとって、喉から手が出るほど欲しいものとなる。
「デグジストが嗅ぎつけるなんてこと、今までなかったはずだがな……」
 サビの言っていたことを思い出す。”石回廊”は、非世界に入る前の消失者を、その入り口まで導く通路のようなもので、”0番”は最初の消失者たちが非世界に来たときからある、ランタンと同じアーティファクトだった。少し前に、この0番石回廊が、”デグジスト”という存在によって襲われ、機能しなくなった。ちょうど回廊には1人のベテランの調世者と、消失者がいた。異変に気付き現場へ向かった頃には、調世者が無残な姿で発見され、消失者は影も形もなくなっていた。
 デグジストは、非世界に渡るのに失敗した消失者と言われる。存在自体が不安定であり、ただただ本能のまま、存在感を喰らう化け物だった。少しでも存在感を取り込み、自身の存在を安定させようとする、飢餓状態の猛獣だ。基本的に意思疎通は困難であり、自然災害にも似た存在。それがデグジストであり、これまで調世局は、この存在を完全に把握し、討伐し、非世界は安定へと整える。そのために、非世界での力の使い方を体系化し、技術を進歩させ続けてきたのだ。
「2番石回廊……ここか」
 四鳴は扉を開け、空間へ入った。サビは既に、起動のほとんどを終えているようだった。優秀なサポーターである。奥の暗闇へと続く回廊の壁面には、ぽつぽつと松明が灯りをともし、消失者を今か今かと待っていた。四鳴は先ほどの漆黒の空間からそのまま抜け出してきたかのような黒ずくめで、回廊の奥、両扉が開くのをじっと待つ。
 今度こそは成功させる。消失者を導き、目覚めさせるのだ。そのことに意気込む四鳴の耳に、扉がゆっくりと開く音が届く。いよいよだ。2番石回廊は処理が早い。扉はみるみる開いていき、暖かな風が四鳴の頬をなでる。「……」
 彼は扉の向こうを睨み据えた。なぜか、全身が総毛だつのを感じ、よく目を凝らす。扉が完全に開くと、そこには1人の女性が立っており――
「……!!」
 そのさらに奥、歪んだ空間を手繰り寄せるようにして、茶褐色の何かが近づいてくるのが見えた。
「四鳴さん、デグジスト……!」
「見えてる……!」
 四鳴は構え、調世者としての力を、解放した。

※つづく

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?