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人は判断恐怖症。それは生存戦略という言い訳。

 決めることが得意な人は少なくても、延ばすことが得意な人はたくさんいる。誰しもが思っているのは、決めることにはより多くのエネルギーを使い、決定を遅らせるのはそうではないということである。なので、できるだけエネルギーを使わないように決定を遅らせることは、人にとって正義になっている。誰しも、エネルギーを使いすぎると死んでしまうから。できるだけエネルギーを使いたくないのは、生き物としての正直な気持ちだ。

 いわば判断恐怖症なのだ。

 何かを決定づけるということは、それをもう動かしてはいけないと思ってしまうことで、そう思う多くの人は、なかなか判断を下せなくなってしまう。それを繰り返し繰り返しすることで、できるだけ「やわらかいまま」で物事を保存しておくことが癖になる。
 そうして、判断すべき物事は腫れ物になり、ますます期限が延びることになってしまう。それをしているうちはエネルギーを使わないから「偉い」「生き延びられる」「かしこい」。当然、それをやめようなんて心からは思えない。
 これは判断恐怖症でもあり、人としての生存戦力という言い訳でもある。だからそう簡単にはやめられない。やめるなんてありえない。

 私たちは今日も、「かしこく」判断を遅らせる。もちろん後悔もするけれど、少なくともエネルギーを消費せずに済んだのだから生存戦略なのだ。決めることは得意ではない。でもわざわざリスクを背負って何かを決めるのは、生き残るには向いてないのだと、心の底では思っている。

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