見出し画像

情報を、手軽に手に入れることと与えることと

 手軽に手に入る情報は価値が薄いのではなく、手軽に手に入れられた情報は価値が薄いのだ。重要なのは、その情報の「手軽さ」がどこにあるかである。

 情報がほしい人々がその手軽さに魅了されるのは当然で、手軽であればあるほどより多くの情報が手に入るからである。そして情報の多さは、質に繋がる。比較検討することで真偽の判断や、より深い考察ができるようになる。
 すなわち、情報が手軽に手に入れられることは価値あることである。しかし、その情報が手軽に提供されてしまうことは、価値の低下に繋がる恐れがある。

 伝達だけが手軽ならば問題ない。それは結局、受け取ることの手軽さであり、情報の多さになっていくからだ。でも、そこではなく、問題は情報の出処にある手軽さである。
 それは、例えば手軽に情報を構築することだ。この場合、情報を受け取る「良い手軽さ」とは異なるものとなる。素材としての情報を簡単に、単純に、工夫なく持ってきて、それを考えなしに拡散する行為。そういった手軽さは、良くない手軽さである。
 つまり、この手軽さというのは情報の受け手にとってのものであり、与え手においては、手軽さに傾いていくことが良いこととは言えない、ということである。
 それが、手軽さの意味の違いだ。
 手軽さは求めて良い時と悪い時がある。手軽に手に入る情報とは、受け手にメリットをもたらし、与え手にデメリットをもたらしうる。

 今、誰でも情報の与え手になれる時代において、私達は自らが、その時にどちらに立っているかをわきまえ、手軽さとの距離を考えねばならない。

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?