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サンライズ・シティの悲恋

 「属性」とは、最も恋愛とは関係のない要素である。それは、外側から物事を判断するために必要なものに過ぎない。恋愛に関しては、部外者があれこれと指示したり、律したり、興味を持ったりするために、属性が割り当てられる。だが恋愛は当事者同士の問題だ。
 だからそこで完結すべき恋愛という事象にとって、性別や信条や国籍や、その他諸々の属性とやらは、まったく必要のないものであるはずなのだ。

 ボクがその綺麗な子を見かけたのは、よく晴れた日に散歩に出かけ、いつものビロードウェイを下っていく途中でのことだった。その日、ボクは友達と一緒に、友達のおばあちゃんの家へ向かう途中だった。毎週末、おばあちゃんが近所の人たちを集めてホームパーティーを開くので、そのおこぼれを、友達はもらいに行く。おばあちゃんの家の扉を開けると、ある日はリンゴ、ある日はチェリー、ある日はオレンジなど、庭先で取れた果物がジャムになった匂いと、焼き立てのパイの香りがするのだと友達は言っていた。ボクはいつもホームパーティーについて行くのだけれど、今まで一度も、その美味しいらしいパイにありつけたことはない。
 そんな話より、あの子のことだ。綺麗な、花のようなドレスを着た女の子。すました顔で、外の景色を眺めている。この、サンライズ・シティの少し時代錯誤な街並みのなにがそんなに面白いのか分からないけれど、裏寂れたショー・パブや、コインパーキングにとめてある中古車にいたずらする子供達、鼻歌交じりに芝刈り機で庭を整えるお父さんなど、そういう古めかしい記念品のような数々を、もしかしたら、彼女は愛しているのかもしれなかった。
 ある日、ボクと友達がいつものように彼女の家の前を通り過ぎたとき、その家から1人の女の子がフリスビーを持って駆け出してくるところだった。大きな犬の吠え声がして、ボクの友達は驚いて転んだ。女の子が駆け寄るより前に、その犬――後に、ボクの友達は女の子から、セントバーナードという種類だと教えてもらっていた――が友達にまとわりつき、男の子はますます恐くなって、今にも泣きだしそうになってしまった。女の子の両親が出てきてなんとか場を収めるまで、ボクの友達は犬のよだれと庭の泥と草まみれになってしまったのだった。
「ごめんね、このコ、あなたを助けようとしたのよ。嘘じゃないわ」
 ボクの友達がシャワーと着替えを借りて(女の子のお古だったけれど)、一緒にお昼を食べることになったとき、女の子はずっと、犬のことを話していた。ボクの友達はテーブルの下で寝そべる犬の気配に怯えを隠せない様子だったけれど、それでも、男の子だからという理由で逃げはしなかった。そのことを、女の子のお母さんはすごく褒めたのだった。おばあちゃんのところへ行く予定はキャンセルになった。夕方まで、ボクの友達は女の子と色々なお喋りをし、それは、女の子のお母さんに言わせれば、これまで誰も同い年の子供が家に上がったことがないかららしい。同年代の子達は皆あのセントバーナードに腰が引けて、中々一緒に遊ぶ機会も、じっくり話すこともなかったのだと言う。

「――待ってゾフ! お手だよ、お手、食べちゃダメ!」
「聞かないわよ。このコ、チョコシリアルは1番のお気に入りだもの」
 夜になっていた。ボクの友達の両親までここに来て、今日は友達はこの家に泊まることになったようだった。茶色い箱を持った友達が、セントバーナードに押しつぶされそうになっている。それを女の子が笑いながら、一生懸命引きはがそうとしていた。室内では、泥まみれにも、草まみれになる心配もないから安全だ。既に友達の手や顔はよだれまみれだから、そこは考えないものとして。
 ともあれ、そんな2人の様子はさておいて、ボクとしては2階にいるはずのもう1人の女の子のことが気になっていた。彼女は今、独りで何をしているのだろう。お昼のテーブルにもついていなかった。もしかしたら病気がちで、部屋から出てこれないのかもしれない。ボクは心配になって天井ばかりを見つめていた。
「そうだ、ゾフの他に紹介したいコがいるの。今夜寝るときに見せてあげるわね」
「えっ、いいよ別に」
「良くないわ。ゾフと仲良くなれたんだもの、そのコとも上手くやれるわ」
「そういう心配をしてるんじゃなくて――」
 2人の会話に、ボクの心は躍った。きっと彼女だ! 窓辺でいつも景色を眺めている、青い目のコだ。ボクは友達にいつも振り回されてばかりだったけれど、このときばかりは感謝した。彼がきっかけであの綺麗なコと知り合いになれるかもしれないのだ。ボクはこの嬉しさを友達に伝えたくて仕方がなくなったけれど、彼は両親たちに呼ばれて、今日2回目のシャワーを浴びさせられることになった。
「あなたすごいのね。今日2回目よ?」
「当然だよ。夜はシャワーを浴びて寝ないと気持ち悪いんだ」
 ボクは笑いをこらえるのに必死だった。面白い。普段なら1日1回のシャワ―だって嫌がるのに。ママに無理やり脱がされて、お湯をためたバスタブに放り込まれて大泣きすることすらあるのに。今日はやたら格好つけてる、と思った。そんなことを友達に言ったら、きっと怒って、何週間も口をきいてくれなくなるかもだけれど。

 夜、とうとう女の子が、ボクの友達に2階のあのコを案内してくれる時間になった。友達の両親は帰宅した。男の子は初めてのお泊りで緊張しているようだったけれど、なんとかいつも通りを装っているようだった。女の子と一緒に階段を上がり、廊下を月辺りまで歩く。窓から差し込む月明かりが、舞台のライトのように、最奥の部屋の扉を照らしていた。ボクは固唾を飲んで、その扉が開くのを見守っていた。
 女の子はもったいぶったように後ろ手で取っ手をつかむと、にんまりと、ボクの友達に笑いかけた。友達が急かしても、女の子は扉を開けなかった。月明かりが雲に隠され、辺りが暗闇色で一色になった瞬間、女の子は素早く扉を開けて、部屋の明かりをつけた。
「うわ! なんだよ!」
 友達の抗議の声。ボクはといえば、白いライトの明かりに目をくらまされることもなく、待ちに待ったその部屋の様子をつぶさに観察していた。
 ファンシーな机やベッドは綺麗に整えられ、よく見れば、その部屋には犬用の寝床や毛だらけのクッションがあって、今、扉の横で笑っている女の子の部屋なのだということがわかった。大きな洋服だんすが窓辺に置いてある。その窓の縁にちょこんと座るようにして、夜を見つめる少女の姿があった。
 あのコだ。ボクは今にも部屋の中に飛び込んでいきそうな気持ちで、少女の小さな背中を見つめた。
「なに、脅かしたいだけ?」
 友達がふてくされたように女の子を睨んだ。女の子は、首を振って、やりすぎたことを謝る。
「……紹介って、あのコのこと?」
「そう。まだ誰にも言ってないのよ。私だけの秘密の友達」
 女の子は窓際の少女の肩に手をかけた。とうとう近くで顔が見られるのだ。いつも、下から窓越しにしか知ることのなかった彼女を。
「じゃーん! このコ、シャーリーって言うのよ。シャーリー、挨拶して」
「それが、友達……?」
「ええそうよ。すっごく可愛いでしょ!」
 友達はしばし、そのシャーリーを食い入るように見ていた。ボクも同じだった。

 ボクの友達が紹介されたのは、1体の人形だった。可愛らしいドレスを着た青い目の人形が、ボク達を無機質に見返している。
 友達はその「シャーリー」に、ぶっきらぼうに挨拶をした。もちろん、シャーリーは返事などしない。ボクはその事実を呆然としながら、受け入れるしかなかった。ボクが恋した少女は、窓辺に置かれた人形だったのだ。人工の金髪がきらびやかに光を反射する。血の通わない手足が、主人である女の子のなすがままに力なくぶら下がっている。
 ボクは彼女を人間の女の子だと勘違いしていたのだ。よく見れば気づくことだったかもしれない。けれど、好きなコができたのなんて初めてだったから、わかりようがない。
「じゃあ、こっちもちゃんと紹介しないとな」
 うなだれるボクを、男の子が両手で持ち上げた。人形の女の子と目が合わされる。けれどそれは、意思疎通なき出会いだった。この恋ははじめから、実らない運命だったのだ。

「……俺がいつも連れて歩いてる兵隊人形だよ。名前は、ジョーってんだ」
「うん、よろしくね、ジョー!」
 女の子の声と一緒に、少女の人形がお辞儀をした。それは、彼女自身の意志ではないことは、よくわかっていた。

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