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褒美の貰えない主人公を愛そう

主人公は報われないべきだ。

それは、なにも意地悪で言っているのではない。
確かに、主人公は読者の代わりに物語の中に入り込み、その世界を歩き、キャラクターと対話し、 起こる出来事を 一緒に体験してくれる 重要な役割を持つ。
そして、そのようなとても大事な存在である主人公にも、もちろん生い立ちや、感情や、望みはある。

けれども、そんな主人公に対して、一般的に、物語は常に辛辣で。
まるで、それが物語として当たり前とでもいうかのように、主人公には艱難辛苦が降り注ぐ。

それは、歓迎すべきこと……特に、物語にとって良いことだと、そのように思うのだ。

むろん、報われないことに我慢ならないのもよくあるだろう。
聖人君子のような主人公はもちろん。例え性格が良くなくて、言動がひどくて、擁護すべき点に乏しい主人公であっても、それが主人公というだけで、報われないストーリーはとてもストレスがたまる。

……この、ストレスがたまるのが大事なのだ。
私たちは物語を、ある種の現実逃避として消費している。物語に入り込み、その普段はできない経験を味わうことで満足感を得るのである。

そしてこの満足感を得ることは、ご飯を食べるのと同じと言える。
お腹が空けばすくほど、美味しさはひとしおであり、幸せも大きい。

だから、物語において、読み手の移し身である主人公は、最初から報われていてはいけない。
そして、最後まで報われては、ダメなのである。

お昼時。
ご飯を読者の目の前において、できるだけ時間ギリギリまで食べられないようにする。
そして空腹がもっとも強まったときに、美味しいご飯を食べてもらえば、一番幸せだ。
それが、物語としての成功である。

そのために、主人公には空腹状態を続けてもらわなければならない。つまり、報われない状態が続いていてほしい。
そして、その「不幸加減」は、物語のジャンルや読者層にもより、また、作者の腕の見せどころでもある。

別に少しくらい報われてもいい瞬間はあるかもしれない。でも、その代償により再び不孝に陥り、真の幸福には遠く、けれどまた、救いの手が差し伸べられたり……
そういった調整により、読み手を夢中にさせる。

総合して、主人公は最後まで報われない。
その意識を持ち、物語の完結までの幸福度をコントロールすること。

それが物語のためであり、ひいては主人公のためにもなる。
意地悪で言っているのではない。
いつも、最後に笑うのは、愛すべき主人公であるのだから。

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