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ステラの事件簿⑤《電子証明書、偽りと成る・伍》

 大型のタワーマシンが排気の音をうならせている。部屋の中では他に、似たような形の機械がいくつも、整然と並べられた机の上に鎮座している。それらの机は、日本の学校でよく使われるような馴染みのあるものだ。そのことがかえって、この、「企業のサーバールームのような部屋」を、より異質な空間に見せていた。

 欧林功学園は市では著名な私立学校で、その独特の教育システムや進学率の高さなどから、地域の親たちに人気の学園だった。そんな学園で勤務する1人の女教師、宝城愛未は、学園の部活棟1階の、とある部室に顔を出していた――
「あ、あのう……宝城愛未です。連絡した件で来ました……」
 返事はない。耳を澄ますと、奥の方に扉があり、何やらカチャカチャとタイピングをする音が聞こえてくる。尋ね人はそこにいるのだろう。他の職員たちとの会議が長引き、愛未は予定の時間よりも遅れて、ここに顔を出していた。高価そうな機械たちに触れて落としたり倒したりしてしまわないよう、慎重に机の間をぬって歩く。
 彼女は今、その短い教師生活の中で最大の危機を迎えていた。このまま何もせずに立ち止まっていては、彼女は教師どころか人間としても破滅してしまう、それほどまでの危機。だがその原因は未だにつかめず、現在進行系で状況は悪くなっていた。幸い、愛未のもとには1人の協力者――大林星(ステラ)という、この学園に通う男の子だ――がおり、彼は彼で、他の場所で調査をしている。
 愛未は、自身に送りつけられた、自分自身が学園にて犯罪行為を行っている映像について、このIT部の部長に話を聞くためにやってきていた。

 IT部は、学園の中で最も大きな部活の1つである。広い部室を持ち、毎年の予算は潤沢、人数も多く、その名を知らない学園の人間はいない。何故ならIT部は、学園のネットワーク関連やシステム、セキュリティなどの多くについて、その導入や管理、保守などに深く関わっているからだ。
「……IT企業のOBがいるからって聞かされてたけど、本当にすごいのね……」
 たかだか中高生の部活にしては、ここの設備はあまりにも整いすぎていた。まるでこの場所にあるコンピュータすべてが、学園を動かすために使われているかのように、愛未は錯覚した。整然と並べられた機械の乱立の中を進む。単なる部活ではないということは知っていたが、それにしても、他の部活の比ではない。学園が、これほどまでにIT部を優遇するには、やはり様々な外とのつながりが関係しているのだろうと思われた。
「今はそれより……自分のこと、ちゃんとあの映像のこと、聞かないと」
「ええ、いつまで経っても来ないので、今日は来ないかと思いましたよ」
「……!?」
 愛未が驚いて振り向くと、先程彼女が入ってきた入り口から長身の男性が顔を覗かせていた。愛未は自分の心臓を落ち着かせようとしつつ、かろうじて口を開く。
「し、島原……太東(たいとう)くん?」
「はい宝城先生。事前のご連絡ありがとうございました。僕はスケジュールに余裕がないもので……とはいえ、既に20分ほど無駄にしていますが」
 言っている内容とは裏腹に、島原は時間の遅れについては特に気にしていないようだった。彼は愛未を手招きすると、1度一緒に廊下まで出て、別の入り口の前に立つ。扉の横の壁に島原が手をかざすと、カチャリ、と鍵の開く音が廊下に響く。そういえば、もう部活はとっくに始まっている時間だというのに、この部室棟の廊下はいやに静かだった。島原に手招きされ、愛未は開いた扉から部屋に入った。
「こ、こっちから入るんだ……」
「はい、セキュリティ上、あちらの部屋からは簡単には入れないようになっているので」
 先ほどの部屋の隣りにある部屋は、どうやら島原しか使っていないようだった。慣れた様子で茶器を取り出した島原は、既に沸かしてあったお湯を注ぐ。
「お飲みになりますよね?」
「あ、ありがとう……」
 愛未はすすめられるままゲーミングチェアに腰掛けた。職員室の椅子よりも随分座り心地が良い。見回せば、部屋には様々な機器や配線、スイッチや計器などが並び、以前、ニュース番組で見たゲーマーの部屋のようだと愛未は感心していた。ふんわりと緑茶の良い匂いが漂ってくると、ここがまるで、そういうコンセプトのカフェのように思えてくる。
「どうぞ」
「いただきます……」
 愛未は湯呑を傾けた。匂い通り、とても美味しい。彼女はお茶の味のなどはわからないものの、これは恐らく高価な茶葉だろうと思った。違ったら恥ずかしいので、島原に聞くことはなかったが。
「……はっ! じゃなくて、聞きたいこと! こんなのんびりしている場合じゃないよ!」
 愛未は湯呑から顔を上げた。島原を見る。彼は自分のデスクに戻り、2つ並べたモニターの隙間から、愛未へ視線を向けていた。
「もちろんです。では宝城先生、話をしましょう。事前にいただいた連絡では……ディープフェイクについて技術的に質問がある、とのことでしたが」
 島原はモニターに照らされた青白い顔を愛未へ向け、その口元をわずかながら上げた。
「ええそうね、わざわざ時間を作ってもらってありがとう。じゃあ具体的な話なんだけどーー」
「いえ、その件については調べがついていますので大丈夫です。お気の毒でしたね」
「え……?」
 きょとんとする愛未に対して、島原はなんとも表情の見えない顔で、モニターを反転させた。そこに映っていたものに、愛未の目がみるみる大きく見開かれていく。
「な……そ、それって……!」
「何を驚いているんですか? 話し合いの前に下調べはしておくものでしょう。時間は有限なのですから」
 そう言う島原は、パソコンを操作する。映っていたものが動き出す。それは動画だった。そしてその中身は、愛未がこれまで、嫌というほど見てきた頭痛のタネ、彼女の人生を左右する恐ろしい映像だった。
「驚きましたよ、宝城先生。男子の体操着を盗んだのはあなただったとはーー」
「ち!違うの、これは……!」
 映像の中の宝城愛未は黙々と、体操着を大きなスポーツバッグへ詰め込んでいる。ひと月前、この学園で起こった窃盗事件であり、未だ犯人はつかまっていない。
 彼女のもとにだけ送られてきたはずの、犯罪行為の映像。それが島原の手元にあった。彼は見透かしたような視線を愛美に送りながら、淹れたてのお茶をひと口、ゆっくりと含み入れた。

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