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『世界は緑に沈むのか』緑化対策局、ナッシュの記録

  ただ無機質な機械と人工物と、高い建物とよどんだ雲が視界を埋める景色より、ただみずみずしい空気と自然と、高い山々と澄んだ空が見えるほうがよほど嬉しい。自然こそが私達の還る場所だ。作り出したものではなく、もうずっと昔からそこにあるものの一部に私達はなるべきなのである。

 緊急警報が鳴った。
 ナッシュははっと目を覚まし、椅子を蹴倒して立ち上がった。机においていた書類の束が雪崩を起こす。ナッシュは舌打ちをした。
「クレドのやつ、だから片付けろって言ったんだ……!」
 悪態は、いまだ鳴り続ける警報にかき消される。ナッシュは事件現場へ急ごうと車庫へ走り、まずはその途中にある部屋に滑り込んだ。自分のロッカーを勢いよく開けると、扉の裏の写真が目に入った。金の髪に端正な顔立ち、弾けるような笑顔、そしてなによりグラマラスな体型……水着グラビア。今日も行ってくるよ。ナッシュは心の中で呟いた。彼女はアイドルだ。少なくともナッシュにとっての。
 彼が急ぎ防護服を着込んでいると、低いうめき声が聞こえてきた。どうやら既にいたらしいムールのものだ。
 彼は、白い髪を短髪に切りそろえ、いつも睨んでいるような切れ長の瞳、角張った顔、世の中の何もかもが面白くないというように引き結ばれた口が、とにかく第一印象の悪い、大柄の男だった。
「危ねえ。大人しく着替えろ」
「緊急警報だぞ! またネイチャー教のやつらだろ、早くしないと現場一帯草の海になっちまう!」
「落ち着け、リーダーが先行してる。俺らにできるのは後処理くらいだ」
「何があるかわからないだろ!」
 ナッシュは、のらりくらりのムールのやり方は間違っていると思っていた。確かにリーダーは信頼できる。この街の緑化対策局の長としてずっと活躍してきたレジェンドだ。でも万が一のこともある。爺ちゃんがよく言っていた。
 昔、まだこの世界にビルが立ち並び、真空道路を車がビュンビュン走り、第23世代電波が行き交い、そこかしこの街がコンクリートアマゾンなんて言われていた時代。人間は「緑化」と戦っていた。爺ちゃんの友達も、家族も、何人も死んだ。人間は自然を支配したと思っていたのに。緑をコントロールできると自負していたのに。だから油断するな、「当たり前は突然終わる。そして緑がやってくる」……死んだ爺ちゃんの口癖だった。
 ナッシュはその言葉を、爺ちゃんの遺影とともに、自分のベッドの枕元に置いている。

「ムール、今日はお前が運転だっただろ!」
「そうだったか?」
「ほら鍵、マニュアル車なんだから間違えんなよ」
「面倒くせえ……」
 ムールは唇をとがらせながら、それでも、慣れた手つきで車を発信させた。砂利道が大きく車体を揺らし、整備されていない道路がハンドルを右へ左へと切らせる。緑化の程度が激しいこの街では、最早、マニュアル車の免許は必須だ。ナッシュ達を乗せた車は蔦や苔に蝕まれた廃墟の横を通り過ぎる。ちょうどあそこだ。ムールが旧型車用の免許をとった教習所。先週、ネイチャー教の襲撃にあって閉鎖してしまったそこは、この辺りにある最後の旧型教習所だった。おかげで世界には、マニュアル車の練習をできる施設は公的にはなくなってしまったに等しい。
「あー、気持ちわりい……」
 ムールが毒づく。ハンドルを両手で握り、猫背だ。背の高いムールに、この旧型車は狭すぎた。座席を目一杯後ろに下げているが、腕も足も窮屈そうに運転席に収まっている。
「『子供化』薬は? 運転用に使うって言ってたろ」
「ありゃダメだ。偽薬。赤ん坊にまで戻りやがる」
「試したのか?」
「いや、クレドに飲ませた。ただ、メイとデートの日だったらしくて後で泣きながら怒ってやがった」
「そりゃ笑えるな」
 クレドは、大男のムールとは対象的に、チビでメガネの、なんで体力仕事の緑化対策局に来たのかわからないくらい気弱なやつだった。一丁前にメイという美人の彼女がいて、メイの家族にもものすごく気に入られているようだった。実際、頭はいいし判断力も悪くない。それに電子工作が得意だった。この時代に、その能力は貴重だ。ただし、とにかく片付けができないのが欠点だが。

 2人を乗せたマニュアル車は街はずれの教会にまでやってきて、そのやかましいエンジン音をストップさせた。見たところ、応援要請を受けた他の局の車がいくつか停めてある。当然、どれも無人だった。
「……静かすぎないか?」
 ナッシュは後部座席から装備を担ぎ出しながら、ムールに言った。ムールは長身を活かして辺りを見回していたが、手がかりはなかったのか、確かに、と頷く。そのまま、胸を何度か叩いて無線機の反応を確かめた。
「リーダーからの連絡もないな」
「……というかこの辺り、電波塔残ってんのか?」
「昨日の見回りでは大丈夫だったらしい」
「ホントかよ……」
 緑化の進んだ今の世界では、電波は相当貴重だ。実際、緑化が最初に始まったときに問題になったのは、それそのものではなく、緑化によって蝕まれる各施設や、エネルギー、技術が限られていき、奪い合いになる懸念だった。特に電波は、情報通信という観点で人間の生活になくてはならないものになっていたから、案の定、奪い合いが加速したのである。
「この間、ビリビリ団とかいうふざけたガキの集団、ぶっつぶしたよな?」
 ナッシュはため息交じりに言う。彼も自身の無線を確かめるが、ノイズ音ばかりで反応がない。
「ああ、電波塔をジャックするなんて言って、リーダー以外感電死したやつらか」
「そのリーダーも、電波を虫か何かだと思って、家から持ってきた瓶に捕まえようとしてたくらいだからな」
 既に、電波というものが大幅に制限されて、百年以上が経っている。かつて湯水のように使えたそれは、一部の限られた時間、限られた場所でしか使えなくなっている。その時間や場所も、どんどん少なくなっているのだ。電波というものがなんなのか、詳しくは知らない世代が出てきてもまったくおかしくはない。
「そういう俺らも、仕組みなんかわかっちゃいないがな」
 ムールは無線機のチューニングを諦めた。ナッシュも同様だ。こういうときにクレドがいると、いつも背負っている無駄に重たい工具カバンに手を突っ込み、どこから拾ってきたかわからないパーツを取り出して、ちゃちゃっと直すのに。
「あいつは今日、仲直りデートだそうだ」
「ったく。休むんなら机片付けてからにしろってんだ」
 2人は愚痴をこぼしながら、一通りの装備を持って教会の扉の両側に立ち……同時に、勢いよく蹴破った。そこは広い空間だった。明かりはなく、窓からの光も布か何かで遮られている。ただひたすらに高い天井がすっぽりと包み込むのは、信者の座るいくつもの長椅子。扉から入り込む唯一の外の光が、ナッシュ達を導くように、教会の奥に鎮座する彫像を白く染める。
 緊急警報によると、この建物内で、緑化を自然の摂理と信奉する「ネイチャー教」と緑化対策局の人員の大規模衝突があったらしい。
 らしいと言うのは、人員による応援要請が本部に届いたのを最後に、現地入りした誰からも連絡が途絶えているからだった。ネイチャー教は、緑化が世界を覆い始めてから発足した宗教団体で、しばしば、テロ行為や犯罪行動を通じて、その思想を世に知らしめてきた。
 そんなネイチャー教が大規模集会を開くというので、各局から人員が集められたのだ。しかし音信不通。状況を探るために、本部は追加の調査人員を派遣することを決定し、ナッシュ達の局からはリーダーが派遣されたのだが……
「中にもいないみたいだな……どうするムール、お前の予想はハズレみたいだぜ」
「……待て、奥の像、傾いてないか?」
「んだよ、それがどうだって――」
 衝突があったのだから、当然、室内は荒れている。彫像もその類と思ったナッシュだったが、明らかに、それは異なっていた。全体が傾いているというよりも、その彫像は置いてある位置がズレており、その両腕も、肘から不自然に後ろへと折れ曲がっていた。
「ああいう形の像って線は?」
「さあな。だったとしたら趣味悪いが」
 2人は慎重に近づいていく。広い空間に、不気味なほどの静寂。それだけで、神経がすり減っていく気がした。なにせリーダーも音信不通なのだ。加えてこの教会には血の跡がまったくない。
 教会の最奥にたどり着き、2人はライトを彫像に向けた。よく見るとその折れ曲がった肘には蝶番がついており――
「地下への階段か」
 ムールが呻くように言った。彫像が本来あったであろう床に、長椅子2つ分くらいの穴が空き、暗闇へと階段が続いていた。どうやらなんらかの仕掛けによって、地下への入り口が現れたのだろう。その場所を観察していたナッシュは、ふと、何かがライトの光を反射したのに気づいた。
「おい、これ……!」
 拾い上げてムールに見せる。それは、金属製の小さな工具だった。
「ん、なんだ……?」
「クレドのだよ、この間ロッカーの扉が閉まらなくなって、直してもらったんだ。そんときに使ってた」
「だが、あいつは非番じゃ……」
「だからおかしいんだろ。こんなちっさい工具、使えるのあいつくらいなのに」
「ここに来てるのか、あいつ」
 ムールの言葉に、ナッシュは頷いた。リーダーばかりでなく、クレドも音信不通ということになる。落ち着かない空気が場を支配し始めていた。
「……行くしかないか」
「待て、応援要請してからだ」
 ナッシュの言葉に、クレドが待ったをかける。
「そうだったな。何が起こるかわからねえ」
 頷くクレドは、一度車に戻って、緊急連絡をしてくると言った。ナッシュはそれを待つことにした。目の前には黒い口をポッカリと開けた地下階段がある。全く光の届かないそこで、一体何があるのだろうと、ナッシュはまとまらない考えを必死にまとめあげようとしていた。

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