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日本懸賞管理法人ドリーム

 自分を肯定することは良いことだ。ある本にそう書かれていた。
 そこには、日本人は自己肯定力が弱いということも説明されていて、そのままでは自分たちは、本来の力を発揮できないばかりか、その自信のなさにより周囲の足まで引っ張ってしまうと、そのようなことが書かれていた。

「はあ……」
 ため息をつくと幸せが逃げる。そんな言葉を聞いたことがあるものの、藤堂二夢は今ばかりは、この巨大な後悔の塊の一部でも、口から吐き出さずにはいられなかった。
 冬だ。それも今日はとびきり寒く、二夢のため息は今にも振り出しそうなどんよりとした空にたちまち溶けていった。たまらずにコンビニで買った手袋をはめた両手を、ガシガシとこすり合わせる。公園のベンチの冷たさは、もはや慣れてしまった。彼は今日、アルバイトをクビになったのだ。今月で2度目だ。そして今年で5度目になる。
「なんで続かないかなあ……」
 二夢は空へと逃げて行った後悔を追いかけるように上を見上げた。そこにはただ、なにも見通させないぶあつい雲があるばかりだった。彼はフリーターで、親元を飛び出してもう数年になる。借りていたアパートは、先月追い出された。今はこの近くのネットカフェで寒さをしのいでいるが、収入のめどが立たなくなってしまった今、その先行きも見えなくなり始めていた。
「……残りの金数えとかなきゃ」
彼はキャリーケースを開けると――実家から持ち出したもので、数年来の相棒だ。二夢はポケットに入れたものをよく失くすのと、盗難防止で、貴重品はこのキャリーケースの中に入れていた――そこから、黒い大きめの財布を取り出す。もうボロボロになったそれは、中学生の頃に親から買ってもらったもので、マジックテープで開け閉めする簡易的なものだ。今やそのマジックテープの力がすっかり弱くなっており、二夢は買い替え時を認識していながらも、そのための金すら工面できずにいた。
「2、3……6千円か……キツいな」
 思わず笑いが出る。今日、辞めてきてしまったバイトの賃金が振り込まれるのはひと月後だ。それまでどう考えても、この金じゃやっていけない。そんなことは二夢でもわかった。
 いっそ実家に帰ろうかと思ったが、その金もないことに気づく。そもそも、行ったところで親に追い出されるのがオチだ。連絡手段も、プリペイド携帯がもったいなくて、おいそれと使えるものではない。
「はあ……」
 再び、二夢の公開は冬空に消えた。こうして何度もため息をつけば、イヤなことを忘れてしまえるのなら、そうしたかった。しかし現実は逆だ。暖かい呼気の代わりに、冬の冷たい空気が入り込むのにつれて、彼の中には陰鬱な気持ちがどんどんとたまっていく。
「やっぱり、俺はダメなやつなんだなあ……」
 子供の頃からそうだった。彼はいつも失敗ばかりだ。学生の時は友達を作るために目立とうと、不良グループに絡みに行ってイジメられた。勉強も要領が悪く、大した成績は収められなかった。どうにか滑り込んだコンピューター系の専門学校でも、対して興味のないIT系の知識に嫌気がさし、逃げるように中退した。そして両親と喧嘩したことがきっかけで、今、このようにしてフリーター生活を続けている。
 振り返ると、本当に自分を否定したくなってくる。冬はいつもそうだ。夏なら、暑さは気温のせいにできる。太陽に文句を言える。でも、冬はどうしたらよいのだろう? 二夢は頭を抱えた。
「――お困りですか?」
 そのとき、頭上から優し気な、包み込むような声をかけられ、二夢は顔を上げた。髭を整えた壮年の男性がにこやかに見つめ返していた。身長は180以上ある。いかにもビジネスマンといったふうなコートを着ており、右手にはしっかりとしたブリーフケースを持っている。
「ど、どちらさまですか……?」
 二夢が目を白黒させていると、その男性は表情を変えないまま、二夢の隣に腰掛けた。
「……つ、冷たいですよ」
「大丈夫、このコートは防寒防水ですから」
 男性は腰を浮かせて、尻を撫でる。その手には水の雫がついていた。そこで初めて、二夢はこの男性が手袋などつけていない、素手であることに気づいた。
「寒くないんですか?」
「ふふふ、あなたは私の心配ばかりしてくれるのですね」
 男性は思わずと言った調子で笑いながら、慣れた手つきでケースを開く。そこには二夢には何かわからない道具のようなものと、二夢にも何かわかる筆記用具やファイルの類が入っていた。
「この説明書をどうぞ」
「……日本懸賞管理法人ドリーム……?」
「はい、私共は国内の懸賞……いわゆる宝くじや、抽選で商品が当選するキャンペーン等を管理する団体です。失礼、申し遅れましたが、私、代表を務めております斎藤貘と申します」
「斎藤さん……」
 二夢は渡された資料に目を通した。事業の説明などいろいろなことが書かれているが、要は、国内の懸賞が適切なものかを管理・監督する人達らしい。
「それが……なんの用ですか?」
「ええ、単刀直入に言えば、藤堂二夢さん、あなたには私共の法人に入り、働いていただきたいのです」
 斎藤は書類の中から待遇などが記載されている紙を取り出し、二夢に見せた。そこには、彼が見たこともない、給与を始めとした待遇が書かれている。
「え……こんなに!?」
 思わず挙げた声に、周囲の人々が振り返る。二夢は慌てて小声になり、どういうことかと斎藤に確認する。
「言葉通りの意味ですよ。もちろん、詐欺などではありません。なんなら前払いでお振込みいたします」
 合わせて、斎藤も小声で話す。そう言われても、二夢はまだ半信半疑だった。
「恐れ入りますが、あなたは今現在、失職しておられますよね。加えて明日の生活に不安も覚えておられる」
 二夢の心に気まずい思いが去来したが、渋々頷く。
「私共の法人は、なにせ全国の懸賞をチェックするという業務……正直、それなりに忙しいのです。だから、仕事に打ち込んでいただけるような、若い方を積極的に迎え入れたいのです」
「で、でも……どうして俺なんですか。面接もしていないのに」
「当然の疑問でしょう。ですがご安心ください。私共は、そのような、面接官の主観に左右されるような選考方法を取りません。極めて公平に、かつ、私共の仕事にふさわしい方をスカウトできる方法を用いているのです」
 斎藤は自信たっぷりにそう言い、書類の一番うしろを見るように促した。
「採用通知書……『おめでとうございます。あなたは厳正なる抽選の結果、私共の法人に……』抽選?」
「はい、懸賞管理法人としては、この上ないほど相応しいでしょう」
 斎藤はにっこり微笑んだ。

 その後、近場の喫茶店に場を移し、詳細な仕事内容を聞いた二夢は、すっかり目を輝かせていた。食後のコーヒーを一気に飲み干すと、二夢の口からは暖かな空気が漏れた。
「どうでしょう、あなたは確かに自身を失うような人生を歩んできたかもしれません。けれど今からはもう関係ありません。あなたは強運だった。だから私と出会った――」
 二夢は自信満々に頷いた。実際、彼は今の今まで半信半疑だった。こんな、降って湧いたような上手い話などあるのだろうかと。彼の経験上、自分が求めたものは手に入れられないのが常だった。だから諦めていた。
 でも、今までがなんだというのだ。そんなことは関係ない。「強運」は全てをひっくり返す。それを否定できる人間などいない。仮にそれまでがどれだけ上手くいっていようと、運が悪いだけで落ちぶれる。自分はその反対だっただけだ。
 疑う余地なく……これで明日からの生活も安泰だった。それどころか、人生が180度変わる。その内、両親にも連絡しよう。
 二夢の決心に、斎藤は笑顔で応えた。彼も一口、カップを傾けると、口を開く。
「若者には常に扉は開かれていなければなりません。では、参りましょう。職場を案内いたしますよ」
「はい……!」
 キャリーケースを引き、二夢は斎藤に着いて行く。雪がちらつき始めていた。公園ではその切片が、二夢の座っていたベンチ落ち……その残した体温によって、溶けてなくなった。

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