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非・世界への誘い:消失者、大越美墨②

 戦いとは、生存戦略だ。それは生き残るための手段であり、誰にでも平等に与えられた権利であり、大したコストもかからない、使って当たり前の道具だ。
 にもかかわらず、それを放棄する人間がいた。そいつはそうすることが正しいと信じて”戦うこと”を捨てたのだ。けれど結果はひどいものだった。そいつはもう二度と戦えない身体にされ、その正しささえも失い、さまよえる生きた屍となった。
 自分はそうなるまい。そう決めて、俺は武器を取ることにした。

 大学3年の春、この世からその存在が消え去った大越美墨(みすみ)は、通学途中の電車の中で停電に見舞われたと思ったら、見た事のない石回廊に立っていた。目の前には、全身黒づくめの”痛い”男。自分の手の甲には、いつの間にか考古学的な文様。
(……どういうこと?)
 美墨はスマホを取り出す。電源はつくが……思わず、彼女はそれを取り落としてしまう。壊れてしまったのか馴染みのホーム画面は現れなかった。かわりに、手の甲と同じ文様が、白い画面に赤く浮かび上がり、美墨は反射的にスマホをはなしてしまったのだ。
「ちっ……ごちゃごちゃやってねえで決めろ。さっき言った通りだ。俺は行くからな」
「あっ……!」
 男は、美墨は”非世界”に来たのだと言い、このままここで野垂れ死ぬか、化け物に襲われたいならついて来なくていいとも言っていた。美墨はできるだけ当たり障りのない会話で状況を聞こうとしたが、結局は、彼の世界の話――つまり、この黒づくめの痛い男の世界観に基づいたファンタジーな話――しか返ってこず、意味不明だった。
 彼の中で”設定”が出来上がっていることは、まあ、美墨にとっては別に関係ないこととして、この石回廊はどういう仕掛けだろう。男の革靴の音が遠ざかっていくたびに、呼応するように松明の灯りが揺れる。それを見ていると、まるで催眠術にかかっていくかのように眠くなる気がした。
「……?」
 美墨は、苔むした石回廊の壁に目を凝らす。どういうわけか彼女にはこの壁が、”実は壁ではないのではないか”という気がした。自分でも良くわからなかったが、そういう感じを受けたのだ。なんというか、避けている。その壁が、美墨の視線どころか、その存在を遠ざけ、干渉することを避けようとしているかのような雰囲気。それは大学でも感じたことがある、あの感覚だった。
(これ、あれだ。独りでいたいオーラ……)
 それは、たくさんの人の集まる空間ではそこかしこで感じられるものだった。何より美墨自身が、そのオーラを発し、あまり他人を近づけてこなかった。人間は、誰かと関わり続けることが生きていく術ではない。もっと他にもあるはず……そんなことをふと思ったかつての記憶を反芻しながら、美墨はその、気になった壁にそっと触れようとした。多分、無機物なら怒られないはずだ。勝手に触れても。
 ――ぷつん――
 「え……?」
 予想に反して、美墨の指先は固い感触ではなく、柔らかく生ぬるい感触に包まれた。それと同時に、石回廊に何か電子的な”音声通信が切れた音”がこだまし、美墨はそのまま、倒れこむように壁の中へと入っていく。
「――オイ!」
 もう視界は壁の中だった。背中の方からあの男の声が聞こえ、駆け寄ってくる足音もした。しかし美墨の身体は止まらず、そのままでんぐり返しの要領で完全に壁の向こうへと転がり込んだ。ひじや背中や後頭部がこすれ、思い切り尻を強打する。
「……っっ!!」
 声にならない悲鳴を上げ、うずくまる。地面が固い。ここも石回廊のようだった。涙目をうっすらと開けて確認すると、なんのことはない、そこは先ほどと全く同じ、松明の揺らめく苔むした石回廊だった。
「どういうこと……?」
「――大越美墨さんですね。ようこそ非世界へ」
「……?」
 顔を上げ、見まわす。周囲は四角く囲まれた石の空間だけが続き、誰かがそばに立っている様子も、その気配もしなかった。ただ、頭の中に響くような声だけが、美墨に立ち上がるように促す。手の甲の文様はもう消えていた。美墨が立ち上がってほの暗い天井を見上げると、まるでそこから声が聞こえているかのように、サビが自己紹介をする。
「ワタクシ、”サビタニアン”と申します、現在わけあって、お2人とは離れた管制室にてオペレーティングをしております」
「サビタニアン……さん」
「……あ、ワタクシのことは”サビ”とお呼びください」
「ええと……わかりました。それでサビさん、ここはどこですか?」
 サビの落ち着いた声のおかげか、美墨はこれまでとは打って変わって、状況を冷静に呑み込む準備ができていた。
「地下鉄の……トンネル?」
 あるいは、美墨は今までのことが夢で、今、現実に戻って来たと思っているのかもしれなかった。当然だ。突然に停電に巻き込まれたと思ったら、あなたは別の世界にいます、などと言われても信じられない。それよりは、頭の中に響く、どこかにいるらしい誰かの声のほうが、何倍も信じられる。だが――
「おいサビ、気安く話しかけんな。こいつが”あっち”だったらどうする」
「さっきの……」
「ああ? さっき? なんの話してんだ」
 美墨が先ほど出会った黒い男――黒滝四鳴が、遠慮のない睨みを見せる。相変わらず全身黒づくめだが、その手には白く長い棒を握っており、美墨には、それがどうやらぼんやりと光っているように見えた。
「美墨さん、もしや”壁の向こう”で四鳴さんと会いました?」
「はい。この人はどういう人なんですか」
「それについては直接会って話しましょう。非世界では遠隔通信ほど信用ならないものもありませんから」
「非世界……」
 美墨は、信用していたサビからも”非世界”なるワードが出たことに、少し困惑しているようだった。だが、そんな彼女を他所に、四鳴はつかつかと歩み寄り、腕を伸ばして彼女の片手をぐいと引き寄せた。
「きゃ……!?」
「……印がねえ。じゃあ偽モンだな」
 四鳴は白棒を美墨に突き付けた。彼女は思わず肩をすくませ、目を強くつぶった。パチパチと、松明の火のはぜる音がする。しばらく、彼女はその音に交じる、自身の鼓動と呼吸の速い音を聞いていた。目の前の四鳴も少し浅い呼吸を繰り返している。
「……?」
 美墨は片目を開けた。そこには、憮然とした表情の四鳴が、白い棒を突き付けたまま、ただ、その場に立っているだけだった。
「……どういうことだ」
「あの――」
「てめえじゃねえ。サビ、わかってたのか?」
「いえ。ですが薄々、そうじゃないかなあとは。だって美墨さん、そっちの壁をすり抜けてきたんですよ。そんなの、デグジストだったら見せる意味ないじゃないですか」
「手の甲は?」
「手の甲……変な印のこと?」
 美墨が先に答えたので、四鳴はまた露骨に嫌そうな顔をした。しかし、サビが何か言う前に、彼の中では答えが出たのか、四鳴は白棒をおろし、くるりと反対側をむく。
「ちっ……紛らわしいことしてんじゃねえ。目覚めてるんならさっさと言え」
「……?」
 いつの間にか白棒をしまった四鳴は、黙ったままの美墨に、背を向けたまま舌打ちした。先ほどから不機嫌だったが、今は輪をかけて不機嫌だ。しかし、美墨にはその理由がわからない。見かねたように、サビが言葉を発する。
「美墨さん、すみません。この人、他人に相談しないで走っちゃうタイプなんですよ」
「うるせえ」
「それと口も悪いです」
「あ、それはなんとなく……」
「てめえ……殺されてえか?」
 四鳴が横目ですごむ。そんなやりとりがおかしくて、美墨は少し笑いそうになった。なんだかわからないが、サビを信じるなら、悪い人ではなさそうだと美墨は思った。改めて、ここがどこかとか、自分がどうなったかとかを美墨は聞こうと口を開く。
 しかし、その瞬間彼女の手の甲がまた熱くなり、文様が浮かび上がってくる。
「四鳴さん、ようやく引きこもりをやめたようですよ」
「めんどくせえ野郎だぜ。おいお前、あいつの能力は」
「あいつ?」
「デグジストだよ。さっき会ったんなら能力くらい知ってるよな」
「でぐ、じすと……?」
「あ? なんだその顔。知らないってのか」
 美墨は頷く、手の甲の熱さは、もはや痛いほどになっていた。
「……おいサビ、こいつ目覚めてんじゃねえのか?」
「目覚めてても、彼女は存在が消えたばかりですよ。それにデグジストに会ったのも初めてのはずです」
 美墨は今度は何度も頷く。
「じゃあどうやって逃げてきたんだよ。おい、さっき何かに会って、そいつから逃げてここに来た。違うか?」
 再び近づいてくる四鳴に対し、美墨は人差し指を向ける。
「四鳴さんでしたっけ。あなたにさっき会ったはず」
「会ってねえよ」
「嘘。落ちそうなところを助けてくれた」
「なんの話だ? 俺はお前がデグジストに襲われそうなところを――」
 そのとき、石回廊の片側の壁が、爆風と共に崩れ去る。大小さまざまな塊が、美墨達に襲い掛かる。
「……!?」
「くっ……!」
 美墨はとっさに、両手で頭を覆った。視界の端に、素早く割って入る四鳴が見えた気がした。
 「……そういうことかよ」
 四鳴の声が聞こえる、美墨が顔を上げると、傷ひとつない四鳴が白棒を構え、崩れた壁の向こうにいる何かに向けていた。
「……擬態型、ですか。それも澗位(かんい)級ですね、恐らく」
 サビの冷静だが、絶望したような声。美墨が四鳴の肩越しに、“それ”を確かめようとして――
「「――見るな! 次はお前に成り代わられるぞ」」
 “二重の”四鳴の声が聞こえてくる。直後、目の前の四鳴の姿が消え、大きな音とともに崩れた壁が土煙を上げた。美墨は吹き飛ばされ、反対側の壁に打ち付けられた。声にならない声が口から出る。床に倒れ伏す美墨。もうもうとした視界の中、サビが低く抑えた声で言う。
「美墨さん、左側に出口があります。そこまで走ってください。四鳴さんが、デグジストを抑えている間に」
 美墨はなんとか身体を起こし、言う通りに足を踏み出した。不思議と、足の進みは早かった。
「あの人は……」
「今、救援を呼んでいます。四鳴さんはあなたを逃がすために戦っているんです。急いで安全なところへ」
 身体だけが逃げようとする中、美墨は後ろ髪を引かれる思いで、崩壊しかける石回廊を出口へと向かって走った。

※つづく

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