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主人公は正しい存在であるべきか?

 主人公という存在が、異分子であることは明白である。それは常に、ストーリーの中で他とは異なる意見を持ち、流れに反抗し、しかしコミュニティの調和を仲立ちする存在だ。主人公ではないキャラクターは、基本的に一貫性を持ち、ブレることが許されない。しかし実のところ主人公にはそれが許されており、何故かといえばそれは異分子だからである。

 この異分子というのは、つまるところ、「その存在さえいなければ世界は変わることがなかった」と周囲に思われる存在である。そして、物語世界はなんらかの問題を抱えていて、誰かに変えられたがっている。それを維持したいのは、それで得をするキャラクターだけだ。そんな状況の中で主人公は現れる。まさに世界を変えるために。だから、異分子となる。

 しかし、いくら世界が変えられたがっているからと言って、大抵のキャラクターにとっては、変わらない世界こそが真実である。あるいは、そのように教えられているし、信じている。疑いようもないキャラクターたちの現実は、まさに物語世界だけなのだから、それを変えることが正しいなどとは思わないだろう。
 そして、この「世界を信じている」というのは、問題を感じていないというわけではない。キャラクター達はそれぞれ、問題意識を持っているし、それこそ世界を変えたがるキャラクターもいるだろう。しかし、彼らはその世界の常識で動かざるを得ない。あるいは、それをしたくないがそうせざるを得ない。そのことが、まさに彼らにとっての世界の真実である。

 そして主人公は、それすらも覆せる存在である。物語世界の中で起こっている諸問題は、他のキャラクターでも解決できる。けれど、物語世界そのものの構造的な、枠組み的な、形而上的な、そういったより大きな観点での問題は、主人公にしか解決できない。あるいは、何かしら正解に近い答えを導き出すことは困難である。
 これはむしろ、主人公がそれをする役割を得ているというよりも、そういった真実を導き出す者を主人公と言うのである、ということだ。そしてこのことは、世界そのものを転覆させかねない主人公の「異分子であるゆえん」を示している。

 とにかく、主人公は正しくない。正しくあれば、主人公である意味はない。必ずどこか異分子的だ。主人公はそうでなければならない。

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