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可愛くないキャラはいない② 主文:女体化 ≠ 「女体になること」 前編

※このnoteは前後編に分かれており、
後編は記事末尾のリンクからお読みいただけます。

1.可愛いとは女性的なものへの歓喜である

可愛いという感情を起こさせるからこそキャラクターと呼べる。
そのような話をするときに付きまとってくるのが、では、可愛いとはなにか? という疑問である。
可愛いとは、つまるところそれが女性的であるということであり、全てのキャラクターが女体化しているからこそ、この感情が沸き起こるのだ。

だから可愛いとは、その女体化したキャラクターの女性的な部分に、魅力を覚えること、ということになる。

※参考note

しかしそのような結論だとしても、このテの話は特に、「女性」や「可愛さ」「女体化」など主観的・スラング的な要素をいくつも含み、ややこしい。
だから、きちんと私たちが感じるキャラクターへの可愛さを理解するためには、これらの要素を解きほぐしていかなければならない。
中でも、人間のキャラクターづくりというものの中で欠かせない要素となっている「女体化」については、最初に理解せねばならないものだろう。

2.女体化は人類がやめることのできない癖である

そもそも女体化とは、この世のあらゆるヒト・モノ・コト……事象をモチーフとし、それに人格を与え、かつその性別設定を女性とすることである。
それは古くは神話が作られた時代から、現代まで連綿と続く、創作的な一大ジャンルだ。

女体化が存在しない瞬間などなかったし、おそらくこれからもないだろうと思えるほどに、私たちは女体化が好きである。
いわば、ある種のフェティシズム、思想的偏り、創作的好みと言っても良い。それくらい、女体化はシンプルかつ結果になりやすく、私たちはいつでもこの女体化されたキャラクターたちと過ごしてきた。

この世の中に、女体化されていないキャラクターなど存在しないとすら言える。

だがここで、ひとつの疑問が出てくる。
世の中のキャラクターが女体化しかないのならば、その性別設定は全て女性ということになっていなければならない。

しかし現実には、そうでないキャラクターがたくさんいる。つまり、女体化されていないキャラクターがいないというのは誤りだったのか、ということだ。

これには、女体化という言葉に含まれる、あるバイアスが関係してくる。

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ。


※後編は以下よりどうぞ。



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