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「結論」が見えないとき、「クライマックス」を頼ってみる

例えば、物語であったり、そうでなくとも何かコンテンツを制作するというとき。
そこには必ず、「結論」や「オチ」が用意されている。
そうでなければ、その創作物を受け取とる人々に、なんの印象も抱かせることなく、そのコンテンツは霧散する。

けれど、創作をするときにといつでも、その「結論」や「オチ」が見えるわけではない。
作者自身が迷いながら創作することもあれば、単純に五里霧中、なにも見えずに創作を始めることもある。あるいは、見えていると思っていたらそれは幻想、見間違い、ときには出すべき結論やオチを変えなければいけない、なんてこともある。

そんなふうにして、どうにも創作の向かうべき終着点を見いだせなくなったとき。
ここはひとつ、「クライマックス」を参考にしてみるのはどうだろうか?

クライマックスとは終わりのことではない。
それは、「もっとも盛り上がる部分」のことである。
だから、結論やオチとは違うものの、創作においてそれらと同じくらい大事な部分でもあるのだ。
このクライマックスをイメージすることで、その創作における終着のとっかかりにすることができる。

ストーリー性のある創作では特にそうだが、何かが始まって、盛り上がって、そして終わっていくという流れがあることは、創作物の変わることのない定義である。
そのため、創作物の終わり方がわからなくなったのであれば、最も盛り上がるところからの流れを考えるのが、ヒントになるのだ。
最も盛り上がるとは、言い換えれば、観客の感情をもっとも揺さぶる部分のことである。
そしてまた、その創作物におけるテーマであったり、コンセプトというものが最もよく表れている部分であるとも言える。

このクライマックスをイメージできるなら、結論やオチに関しても「後はその盛り上がりを収束させていくだけ」と考えることで、見出すことが可能になるだろう。

「終わり」は「クライマックス」という頂点から下って来たところにあるものである。
それを意識していれば、もし、終着点が霧の中にあったとしても、あなたの創作はきちんとした結論やオチに向かっていける。


※関連note:
クライマックスとは
https://note.com/kawausowright/n/ne0b006eead71

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