雨のひとなくした者

 雨の日が憂鬱だと、最初に言い出したのは誰だろう。そのせいで、雨が泣いていることも知らずに、私たちは当たり前のように雨の日を毛嫌いする。

 湿気や低気圧や、特別な服装をしなきゃいけないとか、電車が混むとか、傘の忘れ物が多くなるとか、人間側の都合を雨に押し付けて済ませている。でも雨がないと生き物は、それどころかこの地球は行き続けられないのだ。そのことをちゃんと知っている人は、きっとあめを毛嫌いしない。きっと土砂降りの日でも喜んで外に出かけていくだろう。なぜならそれは恵みの雨だから。

 陽介は、雨が好きな子だった。やっと歩けるようになった日に土砂降りの雨を見て、窓に駆け寄って初めて笑ったのが、多分最初のきっかけだ。
 足腰が少ししっかりしてきた頃、一緒に買い物をしていて雨が降り出した時も、すぐにベビーカーから降りたがった。その内、雨の日だからと外に出ることをせがむようになり、雨上がりの水たまりに、1番に足を踏み入れないと気が済まないような子だった。それほど、陽介は雨が好きな子だった。

 私の育児休暇が終わり、母のところに陽介を預けながら――もう本当は独りで留守番もできる年齢だったのだけれど――働いていた2年間、よく母から連絡があった。母は毎日、写真を何枚もつけて職場の私に陽介の様子を見せてくれ、それがかえって仕事の邪魔になることもあったけれど、振り返って思えばその大量の写真たちが、仕事を辞めた私を今でも支えてくれている。
 当時、息子の写真のせいで仕事に集中できなかった。けれど今、そのかつての写真が、私に生きることを集中させている。

 ――視界いっぱいに広がるのは、黄色い花畑だ。郊外の大きな自然公園に陽介と一緒に訪れた。息子は見た事のない景色に、わっと叫んでかけていく。もう足腰はしっかりしているから、転んだりする心配はないと分かっていても、やはり目を離せない。写真を撮ろうとしている学生らしき集団に割り込みそうになり、腕を組んで花畑を見まわしている老夫婦に「危ないよ」と声を掛けられる。なぜか、私はそんな息子の様子を、親らしく止めたりもせずに、ここに立っている。横には母がいて、
「元気がいいでしょう」とニコニコ笑う。
 私はそれに返事をしたくても、声が出ない。
 少しずつ、日が傾いていくのが分かる。あれだけいた他の観光客――大学生グループも、老夫婦も――もういない。帰ってしまったのだろうか? 紫色に染まる空の下、黄色い花畑の向こうに、息子だけがどんどんと走って行ってしまう。
「もう3年も経つのねえ……」
 母が言った。私はやっと、その姿を見ることができた。けれど彼女の表情は、なにもなかった。わからない。何も。私はそれに返事をしたくても、声が出ない。声が出ないまま、辺りはすっかり暗くなって、陽介の姿も見えなくなってしまった――

 夜、暗い部屋の中で目を覚ます。朧気な視界が少しずつ現実へと戻っていき、今はまだ無視できるくらいのわずかな片頭痛が、確かに自分が、花畑ではなく自分の家にいるのだということを教えてくれていた。左目の端が白く明滅する。見れば、枕元の携帯が光っていた。腕を伸ばそうとして……できなかった。身体の下に敷いていたのか、すっかり痺れて感覚がない。私はできるだけそっと、腕に刺激がいかないように身体を転がして、反対側の無事な手で携帯を拾い上げた。
 誰かからの連絡だろうかと、確認しようとする。けれど、形態を持ち上げた手はベッドの上にぽふんと落ちた。目はちゃんと開いているのに、頭が痛い。遅れて、キンキンと耳鳴りもするのが追い打ちをかけてきた。せめて、今が何時くらいかは把握しておかないとと、目覚まし時計があるはずの方へ顔を向けた。実家から持ってきた古い型の多機能時計。手を伸ばして叩くと、蛍光がぼんやり時計の盤面を浮き彫りにする。
 3時24分――明日は休日だった。連絡してきた主には、明日の午後にでもゆっくりと返事をしようと、携帯を枕元に伏せて置きなおした。しばし、そのまま眠気が誘ってこないかとベッドの上で目をつぶっていると、静かに立ち上がってくる外からの音が、耳鳴りの中に割り込んでくる。

 ――しゃあああ、という速い水の音。ぴしゃぴしゃと、何かにくっついては離れていく水の音、ちょろちょろと、どこかを這って流れていく水の音。そんな様々な水の音が、窓の外、ベランダをこえて部屋に響き渡っている。その音は無遠慮に、夜中の3時半の私の部屋にまで入って来て、きっと、悪夢を見る私の目を覚まさせたのだと思った。
 私は体を起こした。
 まるで後頭部に無数の糸でも繋がっているかのように、くらりと、頭と視界が引っ張られて揺れる。気持ち悪さに顔をしかめた。でも、無理にでも起きるべきだった。雨の日だから。

 雨の日用のブーツとコートと傘を持って、私はマンションのエントランスをくぐっていた。下に降りると、頭痛と耳鳴りは幾分かましになっている気がした。背後でエントランスの自動ドアが閉まる。傘を開くと、わずかに残っていた水がしぶきとなって乾いた床に飛び散った。一昨日も雨だったから。
 そのまま、傘の柄を肩に乗せて、外の景色を見る。整えられたマンションの敷地に植えられた木々を、ゆるく、強くない雨粒が当たって揺らしている。1歩2歩と前へ進み、雨の下に出る。ひんやりとした湿気が顔を包むのがわかった。今日は、以前の土砂降りの日のように苦労することはなさそうだ。土砂降りの日に一番つらいのは、上から降ってくる雨ではなく下にたまる水たまりやどこからかすごい勢いで流れてくる排水だ。雨の中の地面を見て、それらが今日は大したことがないのを確認すると、私は自宅を離れて、夜の道を歩いて行く。

 息子が、病院へ搬送されたと連絡がきたのは、会社の同僚と昼食をとっていた時だった。いつものように、母からの他愛もない息子の日常の連絡かと思っていた私は、続けてかかって来た母からの電話で、息子が意識不明の重体だと聞かされて、駆けだすこともできずにその場に立ち尽くしていた。
 同僚たちの協力で、どうにか病室を訪れた私は、陽介が川遊びの途中で溺れ、意識が戻らないことを医者に聞かされた。
 母は何度も――今でも、私に謝る。そしていつも私は、それに決まって首を振るのだ。あの日から何か月か経ち、治療の甲斐なく陽介は他界した。でも、何もかもを終えた今でも、私が息子と共に生活できているのは、母が撮っていた膨大な写真のおかげだった。
 私は片手に傘を持ち、もう片方の手をコートのポケットに入れていた。そこには1枚の写真が入っている。履きなれたブーツを鳴らし、水たまりをものともせず歩く。息子がいつもそうしていたように、私もそうして、あの場所へ向かう。

 川べり。今日はそれほど増水していないようで、土手に青々とした草花が、雨粒を嬉しそうに受け止めているのが良く見えた。
 私は設けられた階段を下って行って、ごうごうと流れの速い川のすぐ近くまで近づく。流石にこういう日の川は、普段とは違って狂暴に見える。何か、様々なものを巻き込んだ濁流が、下流の海に向かって猛スピードで駆け抜けていく。
 陽介はここよりももう少し上流で溺れたという話だ。私はまだ暗い闇の中で、その場所を眺め、また、目の前の流れに視線を戻す。
 コートのポケットから写真を取り出した。少し色あせた、どこかの公園の噴水広場で楽しそうに水遊びをする陽介の写真。これは息子の写真の中でも、数少ない私が自分で撮った写真の内の1つだった。その中にいる、笑顔の息子にとって、きっとこの目の前の川は大層恐いものだったに違いない。私は写真と、そして川とを見比べながら、雨の中でそうしてしばらく立っていた。

 気づけば空が明るくなってきた頃、持ってきていた携帯電話が震えた。取り出してみると、もう5時だった。念のためセットしておいた、形態のアラームだった。ついでに今朝の着信元を見ると、やはり母親からのメッセージだった。地元で工芸をしているからか、朝が早いのだ。休みなので、お茶でもしようという誘いだった。母はいつも、毎週必ず、何かしらの連絡をくれる。
 私はそれに返事をすることなく、とりあえずしまった。雨は、もちろんやまない。頭痛も、耳鳴りも、後悔も。何もかも、やむはずがない。けれど私は、息子が好きだったこの雨を受け入れないわけにも、いかなかった。少なくとも私にとって、まだ、雨の日は憂鬱ではない。

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