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誰だって、「対人関係」は面倒だとわかっていても

 この世に面倒事が好きな人は皆無であり(いるとすれば、それは相当に特殊である)、面倒事の9割は対人関係に起因する。つまりごく一部の人を除けば、人は他人と関わるのが嫌なのである。そしてそれはお互いにそうだから、普通にしていれば人は人と繋がらない。
 でも、この社会はそうなっておらず、むしろ誰かと対話はおろか、協力も議論も調整もできないことは、死を意味するくらいに致命的である。私たちは誰も、それを良しとしないし、だから他人と関わって過ごしていて、そうするしかない。

 重要なのは、渋々でなくとも、それはやらなければならないからやられているものだということで、基本的には面倒事だ。自分ひとりで何もかも決められて、満足できて、心配がないならそれでいいはずだ。でもそうではない。私たちは一人では何もできない。本当にできない。動き出して、頑張って、結果にするのはそれだけ大変なのだ。
 誰の協力もないままに本当に不自由なく過ごせると言うのなら、それは強がりであって、私たちは常に絡む面倒ごとという名の、他人との関係を取ることをしいられている。現代ではそれはますます複雑化して広くなり、しかも深く深く把握できないほどにすらなっている。
 でもそれに自ら飛び込まなくてはならないくらい、避けることはできない。そうやって「対人関係」という面倒事に絡んでいくからこそ、私たちは「ひとり」以上の働きを実現し、その恩恵に預かれることになる。

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