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失敗をやり直す。実際にできるかは別にして。意識の上で。

 失敗したならやり直せばいいというシンプルで当たり前のことに、私達は不思議と思い至らない。それはよく言われてきて手垢の付いた言葉かもしれないけれど、この世の真実だということから目を背けられがちだ。
 何かをやることに、準備万端も過程完璧も結果満足も珍しいことなのである。ごくごく、稀に何もかもがうまく行って成功したという「ストーリー」に、私達は憧れてしまう。
 でもそんなものはすごく表面的な理解で、幻で、この手につかもうとすること自体が無茶なのだ。なぜならそんなストーリーの裏にはいくつもの苦労と妥協と諦めが潜んでおり、外からはそれがよくわからないだけなのだから。

 そういうことだから、失敗すればやり直せばいい。失敗を恐れるなという意味ではないし、失敗しろというのではない。もちろん、失敗などない方がいい。そこから学べることなど、失敗の損失に比べたら微々たるものだ。それに、失敗から素直に学べるほど、私達はよくできていない。
 でも、失敗とは、それをしてしまったらもう「終わり」などと考えるほど、重たいものでもないのである。少なくとも、そのように考えることのマイナスは、実際に失敗することのマイナスよりも私達に悪影響を及ぼす。

 やる前からネガティブな考えに至るくらいなら、失敗はするしかない。むしろ、この世は失敗するようにできている。こんなに複雑な世の中を、成功だけで渡り切れるほど、私達個人の能力は高くない。そう考えなければ、私達はいつまでも失敗することに恐れをなして、何もかも前に進められなくなってしまう。
 失敗はするものだ。そしてそれをやり直せばいい。
 そう昔から散々言われていることの意味とは、経験豊富な大人たちの口うるさいアドバイスでもなんでもなくて。その大人たちすらも痛いほど実感し、しかし割り切れない中で迷いながら口にする、自らへの言い聞かせであるのだ。

 実際にできるかどうかはともかく、「失敗をやり直せ」は実態として取り組むべき処世術だ。

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