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今回のおすすめ本 プラトン『国家(下)』

みなさんこんばんは📚
今回おすすめするのは、プラトン『国家(下)』という本です!以下では収録されている巻ごと(全5巻)に見ていきます。

「第6巻」

 本巻では、まず哲学者は生々流転する世の中において恒常不変のあり方を保つものに触れる事ができる人であり、国の守護者に相応しいと結論づけられています。そしてこの素質を生まれてから自然と身についている人は幼少期から、あらゆる真実を求める人であるとしています。これは第二巻の方で語られていたように、「徳のあるものは必ず善き者であるから」ですね。また、守護者には記憶力がいい魂が必要としています。そしてソクラテスはそうした人が善き者のまま歳を重ねれば、民衆はその人に為政を任せるだろうと結びます。

 ここで、アデイマントスが「哲学に傾倒した人はみな国家社会に役に立たない人間になる」と指摘します。ソクラテスは「役に立てようとしない者たち」に非があると返し、それより遥かに大きな問題は「哲学を仕事にしていると自称する者たち」にあるとします。この人たちは先に挙げた哲学者の自然的素質を持つ魂を堕落させているためにアデイマントスが述べた印象が染み付いてしまっていることが問題であり、哲学そのものに問題があるわけではないと返しています。そして魂を堕落させている教育者、すなわちソフィストに批判の矛先が向かいます。

 次に「哲学をどのように国家に役立てるか」について議論が進んでいきます。哲学に身を置く人は中途で断念してしまうのが常ですが、生涯を通して適切な付き合い方をすることで理想的な哲人政治は可能であるとします。そして学ぶべき最大のものは〈善〉の実相(イデア)だと言います。そしてこれは太陽の比喩として用いられているものとなります。太陽は生成の世界に属し、善も同じように生成するものだということですね。


 本巻では、主に哲学者の素質と哲人政治を実現するための知的教育について語られていました。現在でも教育が国家の根幹の一つを担っているのではないでしょうか。日本では教員の質よりも数が足りていない状況にあります。その状態だと公立学校では特に質の良い(能力のある)教員を採用するのは困難なことは言うまでもありませんね。

「第7巻」

 本巻では、まず教育と無教育に関連して人間の本性を洞窟の比喩でもって説明しています(この部分はじっくり読むことをおすすめします)。簡単に言うと、人間が実際に知覚しているものは実態(本質)
の陰であり、実態そのものではないにも関わらず、多くの人は実態そのものとして認識しているということです。これは前巻で言われていたソフィストのような人が該当するのでしょう。

 ソフィストが教育を「魂の中に知識がないため私たちが知識を入れてやっている」と捉えているのに対し、ソクラテスは「真理を知る機能と器官はすでに魂の中にあり、実在の最も光り輝くもの(=善)を見られるように導く」と捉えています。これは面白い捉え方だと思います。教育と聞くと、外部から知識を入れてあげるというソフィストに近い認識を持っている人は多いのではないでしょうか。そうではなく、元々知識は持っているという前提のもとに視点を切り替えさせて正しい見方に導くというのが教育の目的だとすれば、現在の教育のあり方も見える視点が変わってくると思います。

 次に「どのような仕方で哲人を生み出し、導くのか」について語られていきます。数多くある学問の中でも数学的諸学科(数と計算・幾何学・立体幾何学・天文学・音階論)を学ぶべきであるとソクラテスは言います。それは数そのものが目に見えたり手に触れたりできるような物質ではないため、魂を強くするにはもってこいだからですね。これは言い換えると数学は思惟を行う学問だということでしょうか。そして少年時代に強制しないやり方で学習をする必要があるとします。それは自由な人間は自発的に行動する必要があり、また魂は無理に強いられると何も残らないからだと言います。さらに若い時に議論の仕方(論駁するなど)の味を覚えないことが取り上げられています。

 これまで述べられてきたことをまとめると以下のようになります。
 ※pp.429-430の訳者注を参考

⑴一七、八歳までの少年期
 数学的諸学科の自由な学習(音楽・文芸・体育も)。
⑵一七、八歳から二〇歳
 体育のハード・トレーニング。
⑶二〇歳から三〇歳まで
 選抜者に対して数学的諸学科の総合的研究。
⑷三〇歳から三五歳まで
 さらなる選抜者に哲学的問答法の持続的集中的学習。
⑸三五歳から五〇歳まで
 公務について実際上の経験を積む。
⑹五〇歳以降
 最優秀者は〈善〉のイデアの認識。以降は哲学に過ごし、順番により政治と支配の任務に就く。

 本巻では、主に理想的な国家における教育プログラムについて語られていました。学ぶべき学問として数学的諸学科が取り上げていたのは意外でした。思えばギリシア哲学には、現在の哲学のイメージとは異なり自然学や数学が入っていましたね。

「第8巻」

 本巻では、まず前巻までの議論結果が以下のように示されます。

最高の統治を達成しようとする国家は
 ①妻女と子供は共有されること
 ②教育は共通に課されること
 ③男女ともに共通の仕事を行うこと
 ④哲学・戦争に関して共に最も優れた人が王となること
という四点を目指すこと。

次に国制の分類とその概要が述べられます。
 ①優秀者支配制
 ②名誉支配制
 ③寡頭制
 ④民主制
 ⑤僭主独裁制

 そしてこれらの国制とそのような性質を持つ人間を照らし合わせて語られています。②〜⑤の国制は理念的順番に生じるものとしており、歴史的順番ではないことに注意が必要です。ここは国制を考える上で重要なところなので、ぜひ熟読してみてください!


 ①がプラトンの理想的な国家だとして、これまで人類史において実際に到達できていないということは、②〜⑤のいずれかに相当してきたと考えられます。現在の日本は議会制民主主義なので④に属すると言えますが、果たして問題はないのでしょうか? どの政権になっても反対意見が表出していますが、担当している(担当させている)人が悪いのか、そもそも議会制民主主義というシステムが悪いのか、各人が一度考えてみることが必要だと思います。

「第9巻」

 本巻では、まず前巻で言い残していた僭主独裁制的な性質を持つ者の概要が語られます。その後、「徳と悪徳」「幸福と不幸」という観点から①〜⑤の国制を見ると、この順に順位が確定していると述べられます。

「最もすぐれていて最も正しい人間が最も幸福であり、そしてそれは、最も王者的で、自己自身を王として支配する人間のことである。他方、最も劣悪で最も不正な人間が最も不幸であり、そしてそれは、最も僭主独裁制的な性格である上に、自己自身と国家に対して、実際に最大限に僭主(独裁者)となる人間のことである」

プラトン『国家(下)』p.296

 以上で国家論的(政治論的)証明が終わり、今後は魂論的(心理学的)証明が展開されます。上巻において登場した魂の三つの部分、すなわち「知を愛する人」「勝利を愛する人」「利得を愛する人」は、それぞれが快楽に結びついており、この順に順位が確定していると述べられます。

 次に「真実の快楽」と「虚偽の快楽」について語られます。ここでは、「快楽とは苦痛の止むことであり、苦痛とは快楽の止むことである」という思考を否定しています。魂においては快楽(苦痛)が止むときは静止の状態であるとしています。
 これは卑近な例で考えてみるとわかりやすいと思います。恋人とのデート中は快楽を感じ、帰宅して日常に戻った際にその快楽は薄れていきますが、苦痛を感じているわけではないでしょう。これがいわゆる静止の状態ですね。

 そして第8巻で述べられたことと関連して、僭主は最も不快な生活を送り、優秀者である王は最も快い生活を送ることになるとしています。そして当初言われていた「不正が利益になるのか」という検証が行われます。ここも重要なところなのでぜひ読んでみてください!


 本巻では、プラトンが理想とする正義・徳・善を兼ね備えた哲学者(愛知者)が述べられていたように感じます。現在でも理想論・綺麗事として捉えられてしまうプラトンの考えですが、「人間としてどう生きるか」を考えた際には一つの指針となると思います。特に「知を愛する」ことは僕自身生涯を通して求めていきたいものです。

「第10巻」

 本巻では、まず詩(創作)について語られていきます。ソクラテスは、詩の中でも真似ることを機能とするものを受け入れてはならないとします。それは真似(描写)とは真実から遠く離れたところにあるからだといいます。物を真似る人は、あるものについて何か知ってるわけではなく、その人が見えているものについて知っているだけということですね。
 ここで注意しておかなければならないのは、国や人間の生活に有益なもの(真理に触れるもの)は否定していないということです。

 次に正義の報酬に語られていきます。まずソクラテスは「人間の魂は不死なるもの」と説明します。例えば金属は錆びてしまいますが、この際の錆は金属にとって害悪(固有の悪)だと言えます。しかし、錆は金属の質を悪化させるものの、解体・滅亡させることはできないとしています。
 身体も害のある食べ物(毒を含んでいたり腐敗していたりなど)によって滅ぼされるのではなく、その食物のために病気(固有の悪)によって滅びるとしています。つまり、外部から直接壊滅に作用するのではなく、外部が原因であっても最終的には内部から壊滅に至るということでしょう。
 魂も同様のものとして考えています。しかし、魂には壊滅に至らしめる固有の害悪はないといいます。魂に害を与える(崩壊させる)ものの例で思いつくのは不正ということになります。しかし、「死ぬこと=不正になるため魂は不死ではない」と仮定すると、不正を行った者は死ぬことになりますが実際には反対に活力を得るものとして述べられています。    
 よって魂派崩壊せずに常にあるものとして結論付けられ、それはすなわち魂が不死であることになります。

 そして正義の報酬として、年を重ねてから自分の望むもの(誰と結婚するか、国を支配することなど)を意のままにすることができるとしています。また、不正を行った人たちは、若い頃はうまくいっても年を重ねると誰からも嘲笑されさまざまな刑罰を受けることになるといいます。この後人間が死んだ後に魂がどのような処置を受けるかが語られますが、これまで聴き馴染んだような展開なので割愛します。


 本巻では、正義を行なってきたものに対する報酬について語られていました。正義を行うのは現世において善い報いを受けることだけでなく、死後の世界において(またその先の生において)も善い報いを受けるために必要なものだからということでした。つまり、死後の世界(天国と地獄)や前世・来世などの価値観を持っていると現世の利益を些少と見ることができるということです。しかしこれに関しては、生活することで精一杯な人が多いように思われる現在ではなかなか共感するのは難しいところだと思います。

読後感想

 本作では、プラトンの思い描く理想の国家を実現させるためには人間の魂(精神)的向上が必須であることが描かれています。不正を行っている人は思っているよりも悪行が表に出ずに得をしているのではないでしょうか。現在不正を行わない理由として「刑罰があるから」というものが多いのではないでしょうか。そのため刑罰のない不正(浮気など)は往々にして行われています。そのため「いかに自律して生きるか」を各人が学び実践していく必要があると思います(教育で身につけられるならそれに越したことはないですが…)。プラトンが理想としている国家が本当に善い国家なのか?と言われたら、微妙なところだと思います。しかし、徳の高い王者が支配する国家ではそこに住む国民は一定以上の幸福を享受することが可能となります。独裁体制が必ずしも悪とは思えないのは、こうした側面があるからだと思いますが、現実的には独裁者の都合の良い政策が展開されているので否定的な意見を持つ人が多いのは道理だと思います。国民のために政治を行う統治者が何代にもわたって政務を執る国家があるのであれば、それはまさに理想の国家となるでしょう。
 現在の日本がより善い国家となるにはどうすればよいのでしょうか…。

ぜひお手に取って読んでみてください☕️

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