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はじめての古文書学習(5) 「歌麿のえほんで学ぶかな文字」 吉成秀夫

 2025年の大河ドラマ「べらぼう」の主人公は、蔦重(つたじゅう)こと蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)がモデルになるらしい。これは楽しみ!
 恥ずかしながら、私はいままで一度も大河ドラマを通して見たという経験がない。大河に限らず、TVドラマでシリーズすべてを通して見たためしがない。しかし、今度の大河ばかりは必ずすべて録画して何度も繰り返し見るぞと決意している。「だって、蔦重ですもの」。
 蔦屋重三郎といってすぐにピンとくる人はどれほどいるだろう。江戸時代の後期に江戸の吉原で本屋・出版業を行い、東洲斎写楽や喜多川歌麿の浮世絵を世に広めて流行の最先端をリードした名プロデューサーの出版人である。文化と趣味と娯楽の中心である吉原で、その精華を全身に吸収した通人。多くの文人と交流し、ヒット作を出版。その交流圏には、山東京伝、曲亭馬琴、十返舎一九、恋川春町、太田南畝、酒井抱一、平賀源内など、そうそうたる文人たちがいた。吉原の情報誌『吉原細見』の版元として地歩を築き、狂歌師・蔦唐丸としても活躍した。人気狂歌師を描いた『吉原大通会』では平秩東作(立松東蒙)の隣に蔦重が登場している。黄表紙出版で全盛を誇るが、老中・田沼意次による商業振興の時代から一転、松平定信のいわゆる寛政の改革によって財政は緊縮、倹約の時代となる。出版物が統制され、蔦重は処分を受ける苦汁をなめたが、その後は喜多川歌麿、東洲斎写楽による大首絵のヒットで浮世絵の市場を席巻した。47歳、脚気で亡くなったらしい。
 ちなみに、曲亭馬琴は、松前藩主だった松前道広と親交があったことを書き留めておきたい。はじめて二人の親交を知った時は、馬琴が蝦夷と縁があるなんてと意外に思った。

歌麿の春画でかな文字を学ぶ

 さて、そろそろ「はじめての古文書学習」というテーマはどこへ行ったのだとお叱りがきそうだ。今回は「かな文字」について。
 この連載第一回目で「かなについて学びたい人はまずアダム・カバット『妖怪草子 くずし字入門』柏書店がおすすめです。江戸時代の妖怪がかわいいので、たのしく勉強できますよ。」と書いた。かな文字を学ぶのにおすすめの本がじつはもう一冊ある。第一回目ではあえて書かなかった。なぜ書かなかったかというと、これは隠したほうが良いと思ったからだ。なぜって? 「だって、歌麿ですもの」。

 今回ご紹介しますのはこちら、車浮代著『歌麿春画で江戸かなを学ぶ』(中央公論新社、2021)です。(文章がです・ます体に変わります。ご了承ください)
そう、春画。本書では「『春画』とは、性の営みについて描かれた絵柄の総称をいいます」と解説されています。ただし、春画という呼称は昭和以降のことで、もともとは「笑い絵」「ワ印(笑い絵の隠語)」「枕絵」「秘画」と呼ばれていて、冊子になっているものは「笑本(えほん)」「艶本(えほん)」「枕草紙(まくらぞうし)」「好色本(こうしょくぼん)」などと呼ばれていたのだそうです。
 この本は春画・美人画の第一人者である歌麿の名作『ねがひの糸ぐち』『艶本 葉男婦舞喜(はなふぶき)』『艶本 床の梅』の三作品の全図を掲載しています。三作品とも春画の余白に男女の会話を書き入れた絵本仕立てになっています。本書はこの男女の会話のかな文字を学習することを目的として編まれたものです。最大の特徴は、春画の影印のつぎのページにまた同じ絵が若干縮小されてあり、絵のまわりにページ概要、翻刻、書き下し文、用語解説がレイアウトされている点です。非常に見やすい造りになっています。
 本書のはじめには、かな文字の学習をスムーズに進められるよう「基本の八文字」「応用の八文字」を練習するページがあります。この合計16文字を覚えておけば全体の八割以上は読めるようになるというのですから、これは何がなんでも覚えたくなります。親切なことに、本書の栞の表裏にこの16文字が印刷されてあります。栞のくずし字をそのつど見直しながら解読をチャレンジすることができるようになっています。
(アダム・カバット『妖怪草子 くずし字入門』柏書店では、かなのくずし字一覧表が本の見返しに印刷してあり、これも非常に使い勝手が良かったことを付言します。ページ構成やデザイン一つで使い勝手はずいぶん変わるものだと思いました)

性と創世神話

『ねがひの糸ぐち』の序文は古事記の日本誕生シーンが書かれています。日本誕生シーンに隠れて男女の交わりが暗示されているのです。

それ天地の開闢せるや。會交てうへなるものは陽。したがつて下なるものは陰。はや其ときよりしておと子女の道さだまれりける。彼浮橋の逆鉾をもてかき探りたるも。(後略)

 いまから20年ほど前、宮崎県の高千穂町が観光客向けに上演している神楽を見学したことがあります。演目のなかに性的な身振りをおもしろおかしく演じる踊りがありました。それはあっけらかんとしていて卑猥な感じがなく、たいへん豊饒なもの、元気が出て笑いが起こるような明るい気持ちになるような踊りであったことを今も覚えています。歌麿の春画を見ているうちに、そんな遠い観劇の記憶がよみがえりました。春画はお守り(弾除け・火事避け・虫除けなど)としても使われたそうです。なにかありがたいような気持ちがするというのは、私にはわかる気がします。
「日本国が一つになって身うちが融けて煮凝りになるようだ。その煮凝りでおまんまを食うより、うまいうまい。」とは『艶本 葉男婦舞喜』に出てくる男のセリフ。この「日本国がひとつになる」は、絶頂に達する時の江戸語の常套句なのだそうです。本書の絵と会話文からは、この他にも江戸の男女の機微、身分の違い、二人の関係性、言葉遊び、風俗が活き活きと伝わってきます。
 歌麿は、蔦屋重三郎の家に居候して「子飼い」のお抱え絵師として活躍しました。きっと大河ドラマでも重要な登場人物の一人となるでしょう。本書に収録された三作品はいずれも蔦重が亡くなった後の刊行物ではありますが、歌麿春画をとおして、歌麿のこと、吉原のこと、当時の庶民の様子を学びながら、くずし字を勉強してみませんか? 江戸かな文字が読めるようになれば、浮世絵鑑賞が一層たのしくなること間違いなしです。

【執筆者プロフィール】
吉成秀夫(よしなり・ひでお)
1977年、北海道生まれ。札幌大学にて山口昌男に師事。2007年に書肆吉成を開業、店主。『アフンルパル通信』を14号まで刊行。2020年から2021年まで吉増剛造とマリリアの映像詩「gozo’s DOMUS」を編集・配信。2022年よりアイヌ語地名研究会古文書部会にて北海道史と古文書解読を学習中。
主な執筆は、「山口昌男先生のギフト」『ユリイカ 2013年6月号』青土社、「始原の声」『現代詩手帖 2024年4月号』思潮社、共著に「DOMUSの時間」吉増剛造著『DOMUS X』コトニ社など。

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