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「メンやば本かじり」正式名称が変更されています編

 メンやば、第──あーもう無理、わかんない。

 やや第二〇回目気味、で良いですか?

 ただ今回は、正式なタイトルはいつもの「メンタルがやばいときは、本をひとかじり」ではなく、

「メン類がやばいめっちゃ本気で食べたくなる! かどうかは、じっくりこの本を読んでね」

 なのである!

 えっ?

 いい、その反応、いいよ。お時間の都合上、これ以外の反応は割愛しますね。

 そうなのだ。なんやねんそれと言いたくなるだろう。

 今回はメンタルがやばいときに読む本ではなくて、麺類が食べたくなったときに読むと、いっそう麺類が食べたくなる本を紹介させてもらいたいから、このようなタイトルにしている。

 そんなこっちゃで、今日紹介したい本はその名も

『ソース焼きそばの謎』

 である。タイトルから察してもらえると思うが、本書はソース焼きそばについて濃厚ソースよりもさらに濃く、お腹いっぱいになるまで語ってくれるのだ。

焼きそばと聞いて、頭に思い描くイメージは人それぞれだろう。祭り囃子と人混みで賑わう縁日の屋台。ありあわせの食材を使った土曜のお昼ごはん。コンビニで買ったカップ焼きそば。肉で満腹なのに、なぜか入ってしまうバーベキューの締め。そこに共通するのは、むせ返るようなソースの香りだ。

『ソース焼きそばの謎』(ハヤカワ新書)塩崎省吾 著

 みなさんは、ソース焼きそばというとどんな景色が思い浮かぶのだろう。

 私は関西出身なので、ソースにはとても馴染みがある。お好み焼きプレートやたこ焼きプレートがセットされると、幼い頃はおおはしゃぎだった。もちろん、大人になって自炊をするようになってもよく作っているし、フレキシタリアン(動物性食品を極力減らした食事をする人)となった今でも、キャベツと山芋たっぷりの肉なしお好み焼きは夜食用に作り置きしているし、大豆ミートと野菜の焼きそばも作る。もちろんソースはオタフクのヴィーガンでも使用できる「有機ソース」だ。

 私にとってソースは、食生活に欠かせないものである。

 ただ、一緒に育ってきた仲であるはずのソースだが、私はソースについて何も知らない。いや、知らなかったと本書に思い知らされたのだ。

料理のジャンルでいうとソース焼きそばは「麺類」のはずだ。しかし、お好み焼きやたこ焼きなどの「コナモン」に分類する方が、なぜかしっくりくる気がする。

同上

 ああー、確かに。麺類っていうより、お好み焼きや広島焼きの仲間という気がするわ。完全にコナモンやな。って、さっそく今回のタイトル「麺類がやばい本気で食べたくなる」、ミスってること発覚やん。

 すまん。だが、しかし、タイトルは変えない。だってまたタイトル考えるの、めんどうやもん。

「ソース焼きそばは戦後に生まれた」とよく言われている。だが、それは誤った認識による俗説なのだ。
 ではいったいいつ、どこでソース焼きそばは生まれたのか? そしてなぜ「戦後発祥説」が正しいと思われてきたのか? これからじっくり検証していきたい。

同上

食文化研究家の岡田哲氏は、焼きそばにあまり関心がなさそうだ。編著『食べもの起源事典』『食べもの起源事典 日本編』ともに、「焼きそば」の項目自体がない。ただ、「お好み焼き」の項で戦後のお好み焼きに触れ、次のように述べている。
 お好み焼きといえば、大阪が本場といわれる程に盛んになる。イカ天・エビ天・牛天・天もの・焼きそば・バター焼きアド、種類が豊富になる。
明言はしていないが、文脈的に「焼きそばは戦後の大阪で発祥した」と読み取れる。

同上

 そうそう、私が関西出身だからじゃないけど、焼きそばを含むコナモンは関西が発祥と思っていたのよ。

 だが、いちおう私でも日本で最初にウスターソースを製造したのはヤマサ醤油(銚子)である、ということくらいは知っている。以下、美味求眞(書籍ではなく『美味求眞』を通して食について書かれた個人のサイト)に詳しく書かれているので引用させてもらう。

ウスターソースが日本に入ってきたのは明治時代で、1885年(明治18年)にヤマサ醤油が「ミカドソース」として発売したのが最初である。海外向けの名称が「ミカドソース」、国内向けの名称を「新味醤油」として販売を始めたがあまり評判が良くなく1年ほどで製造を中止している。この時期、特許制度が始まったことからこのソースも新しい商品として特許取得が行われている。

「美味求眞」サイト

 一年という短命ながら、特許も取っており、「ソースといえば関西」説が揺らいでくる。しまった墓穴や。

 だが、その後1896年(明治29年)にイカリソースが、本格的ソースとしては国内第一号となる「錨印ソース」を発売している(イカリソース株式会社ホームページより)のだ。

 イカリソースの創設者である木村幸次郎氏は、ソースを普及するため街に象を闊歩させたり、なんやかんや尽力した人物なのである。

木村幸次郎1877.2.20〜1922.7
大阪市西区波座に山城屋(イカリソースの前身)を開店し、イギリス人デービスの指導を受け、日本人の舌にあった洋式醤油、つまりソースを「醤油」と名付けて売り出した。それまで、幾つか試みられていたが、普及せず、本格的なソースとしては国産最初といわれる。
ソースの普及を図るため、天王寺動物園から象3頭を借り、完成したばかりの御堂筋を歩かせたり牛に着物を着せ錨ソースの旗を立て市中を引き回すなど宣伝に努めた。しかし、当時ソースをかけて食べるものは少なく、売行きは今一つであったという。

『日本食文化人物事典』(筑波書房)西東秋男編


 でも売行きは今一つだったのね。悲しいやん。

 ソースにかけるものが少なかったということは、この時点で大阪ではコナモンは普及していなかった(あるいはなかった)のだろう。

 明治時代には、ソースといえばやはり洋食のイメージだったのかもしれない。

 明治三六年に連載されていた村井弦斎『食道楽』(我が家のは中公文庫版)にも牛のスープのゼリーにウスターソースを使用しているし、マルボントース(牛の脛の髓をトーストにのせたもの)が出されたときに「薬味壺もウスタソースもない」という台詞が出てくる。

 ちなみに『食道楽』の舞台は東京だ。

 私の中の大阪発祥説、ぐらぐらである。足元不安定な私に『ソース焼きそばの謎』は追い討ちをかけてくる。

(…)少なくとも二〇一一年頃まで、ソース焼きそばの発祥については「戦後誕生説」が主流だった。
その「戦後誕生説」に異を唱えたのが、二〇一二年にWEBで公開された、ライターの澁川祐子氏による「なぜか「ソース」で炒める日本の焼きそば」という記事だ。(…)
 ソース焼きそばの起源は、実はわかっていないことが多い。一般には第2次世界大戦直後の闇市で生まれた、とされている。だが、本当にそれまで存在していなかったのだろうか。

『ソース焼きそばの謎』(ハヤカワ新書)塩崎省吾 著

 このあと、澁川さんが高見順の『如何なる星の下に』(1939年連載スタート)から、お好み焼き屋「浅草染太郎」をモデルにした店のメニューにやきそば五銭と書かれている部分を引いている。

『如何なる星の下に』にあるやきそばの話は、確かに我が家にある『オムライスの秘密メロンパンの謎』(新潮文庫/澁川祐子 著)にも、『たべもの噺』(小学館ライブラリー/鈴木晋一 著)にも見られる有名な話だ。

 なんや、やっぱり東京発祥だったんや。てか、私、知ってたやん。

 だが、待たれよ。

 ミカドソースと同時期である明治一八年、阪神ソースの創業者である安井敬七郎が日本人の口に合うソースを開発し、販売している。ただ、やはり当時ソースは一般的ではなかったので、薬局に販売を委託していた。

 ちなみに、農林水産省のホームページにはイギリス発祥のウスターソースが日本にはじめて伝来したのは江戸末期とある。

 江戸時代末期にウスターソースは入ってきたが、明治一八年になっても、一般になかなか受け入れられなかったのは江戸時代の肉の禁忌が大きく影響しているのではないだろうか。上記の明治三六年に連載がスタートした『食道楽』にも田舎から東京に出てきた家族が、豚肉を出され驚くシーンがある。 

 さらに

近世において肉食は原則的に禁忌とされていたが、あくまでも否定は建前で、現実に都市部では、薬喰いの名目で部分的に認められ、山間部でも諏訪神社の鹿食免などの抜け道が設けられていた。(…)模範を示すべき武家社会でも、肉食が行われていたが、『料理集』の牛肉料理法の末尾には、食すれば「百五十日の穢れ」という注記があり、公的な場面では、肉の禁忌が厳守されていたことが窺える。

『歴史のなかの米と肉』(平凡社)原田信男 著

 とあり、阪神ソースの安井敬七郎(安政元年生まれ)が薬屋にウスターソースの販売を委託したのもなんだか繋がる気がする。

 ちなみに、安井が渡航し指導を受けた「リー&ペリン』社はウスターソースを肉だけでなく、魚やカレーとも相性が良いと売り込んでいた。おそらく日本に最初にリー&ペリン社のウスターソースを本格的に輸入販売した明治屋も、同じように宣伝したのではないだろうか。

 薬局で販売してしまった阪神ソースが、関東(明治屋は横浜)に遅れをとった感が否めない。ううう、関西発祥説、もうぐらぐらがくがくや。

 ちなみに、カレーが日本人に食べられるようになったのは明治初期あたり。クラーク博士によってカレーライスが推奨された話はあまりに有名だ。

 江戸末期から明治にかけて異国の影響を受ける日本の食。とはいえ、やはり『ソース焼きそばの謎』にも書いてあるように、ソース焼きそばの起源は判然とせず、明治時代にソースが入ったときに、麺と出会ったという文言は見当たらない。そもそも日本では、油で麺を炒めるという手法が馴染みがなかったようである。

中国で発達した麵を炒めて食べる方法は、伝統的に油脂欠乏型の料理文化であった日本では、焼きそばが伝わるまではおこなわれなかった。

『世界の食べもの──食の文化地理』(講談社学術文庫)石毛直道 著

 と石毛氏は語っている。油脂欠乏型の日本食に油を使った料理はほとんどなく、主に登場するのは明治以降だと農林水産省のホームページにはある。中国から輸入した大豆が多く使用され、水圧機によって製油する技術が日本に現れたのが明治中期だそうだ。油といえば、マーガリンが輸入され、国内生産がはじまったのも明治時代。

 はて。この頃あたりに焼きそばも入ってきそうなものだが。

 世界の伝統料理を紹介するサイト「tasteatlas」にはChow meim(炒麺)がアメリカに伝わったのは一八五〇年だとある。つまり江戸時代だ。江戸時代に、アメリカにはすでに焼きそばがあったのだ。また、岩間一弘氏による『中国料理の世界史』(慶應義塾大学出版会)には、「中国のライスヌードルは、ラーマ五世(一八六八〜一九一〇年在位)の時代までには、タンメン(湯麵)や焼きそば(炒麵)として、バンコクで人気のエスニックフードになっていたという」とある。
 少し話が逸れるが、『中国料理の世界史』には冷やし中華の話があり、一九二九年刊行の『料理相談』に、支那焼きそばをゆでて、皿盛りし、酢・砂糖を加えた汁で味付けするとある。この酢と砂糖の汁をソースに変えれば、ソース焼きそばとならないだろうか。

 ただ、『ソース焼きそばの謎』は続編があるらしく炒麺については続編で書くとあったため、ここらへんのつながりは続編へのお楽しみということにしておこう。

 さてさて、話をコナモン大阪発祥説に戻そう。

 大阪発祥説にこだわる私に「いいかげん、目え覚せや」とパンチをくらわすような話が本書にはあるのだ。

私は焼きそばを食べ歩くのを趣味としている。(…)戦前からソース焼きそばを提供しきた三軒の老舗に出会った。三軒とも浅草周辺に集中しているため、私は「ソース焼きそばは戦前の浅草で生まれた」と考えている。

『ソース焼きそばの謎』(ハヤカワ新書)塩崎省吾 著

関西で戦前にソース焼きそばが提供されていたことを示す事例は、今のところ、大阪で一件しか見つかっていない。昭和六年生まれのジャーナリスト・黒田清が、幼稚園・小学校時代の思い出を語る中で、天満天神の縁日に出ていた「やきそば」を挙げている。この証言だけだ。

同上

 ううううう。あかん。うちの負けや。やっぱコナモンは浅草発祥やったんや。

 派手に宣伝したのに、日本最古の現存するウスターソースの会社もあるのに、関西やないんかい。切ないわ。

 悲しいが、やはり焼きそばはおいしいのである。

 焼きそば、食べたいやん。
 
 そんな私を誘惑するかのように、本書は写真付き(しかもカラー!)で、全国の焼きそばを紹介してくれている。紅生姜がどっさりと乗ったシンプルな青森県青森市の「やきそば鈴木」や、目玉焼きが中央を飾る長野県松本市の「たけしや」など垂涎ものだらけ。

 プライドはズタズタだが、香ばしいソースの香りともちもち麺に罪はない。

 うむ、よかろう。

 まだちびっと大阪説は諦めてはいないが、今夜は焼きそばとビールでキメるか! 


■書籍データ
『ソース焼きそばの謎』(ハヤカワ新書)塩崎省吾 著
難易度★★☆☆☆ 大人から子供まで楽しめる、みんな大好きソース焼きそばの本。

 ソース焼きそばをこれほど食べてきたのに、私はまったくソース焼きそばについて知らなかったと衝撃を受けた本書。焼きそば露店のマニュアルから、文献に見る焼きそば、そして実際に著者が食べ歩いた全国の焼きそば、とソース焼きそばへの愛が香ばしく漂ってきそうな究極のソース焼きそば本。せっかくなので、焼きそばを食べながら是非読んでいただきたい。

 


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